音盤工房

活字中毒&ベルボトムガール音楽漂流記

ノラ・ジョーンズの自由時間

2010年11月30日 | インポート

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 邦題『ノラ・ジョーンズの自由時間』が絶妙なタイミングでリリースされた。

 世界的なシンガー達のクリスマス・アルバムが怒涛の如くリリースされた昨年、今年こそは…と期待していたノラ・ジョーンズの新作はなんと、数々のミュージシャン達とコラボレーションした音源をまとめたコンビレーション・アルバムである。

 新作とはいえ、音源についてはすでに聴いた楽曲もあり、その所為で、新鮮味は薄いが、過去の音源が、こうしてノラ・ジョーンズのひとつのアルバムにコンパイルされたことは嬉しい限りだ。

 まず、過去にフィーチャリングしたミュージシャンの多さに驚く。

 フルアルバムにヴォーカルとして参加したアルバムとしてもピーター・マリック・グループの『New York City』を筆頭に、リトル・ウィリーズにも殆どバンドのメンバーといっても過言ではない貢献度を示しているノラは、このアルバムでもリトル・ウィリーズからの「Love Me」をフィーチャーしている。

 オリジナルはエルヴィス・プレスリー。

 この曲が、カヴァー曲としてアルバムの1曲目を飾っている。

 忠実に再現するか、それとも一度消化して再構築し直すか。

 カヴァーにはいつもこの二通りの方法があるのだと思うのだけれど、ノラの場合は明らかに後者だ。

 それにしてもノラは完全にこの曲を自分のものにしているな。

 ロックの名曲にジャズ・フィーリングが加わることでとても新鮮な聴き応えのあるナンバーに仕上がっている。

 そして、僕にとって嬉しいのは4曲目に収録されたウィリー・ネルソンとの「Baby It's Cold Outside」を聴けたことかな。

 冒頭で僕はノラのクリスマス・アルバムを期待していたというようなことを書いたが、まさしくこの曲こそこの季節に聴くに相応しい曲だね。

 邦題は、「ベイビー、外は寒いよ」だ。

 カントリー界のこの大物シンガーであるウィリー・ネルソンと、同じようにカントリー・フィーリングを持つノラ・ジョーンズとが、いつの日にか、こんな風に競演することになろうことは容易に想像できたけれど、ウィリー・ネルソンと彼女の年齢差を考えると祖父と孫娘といった関係にも思え、とても同じステージで一緒に歌うなんて滑稽にも思えるのだけれど、お互いをミュージシャンとして認め合う仲ならば、ある意味、師匠とその成長した弟子にも見えてしまう。

 「おう、お前も漸く、この域に達したか。よくぞここまで立派に…」

 「わたしが今あるのもすべてあなたのお蔭よ。ありがとう」

 そんな風な会話をお互いが交わしたかどうかは定かではないけれど(おそらくそんな会話は交わさなかったと思うけれど)、カテゴリー音楽の重鎮と彼を崇拝する孫娘と同じ世代のノラとがこうして並んで歌をデュエットすると、広いアメリカの台地を切り取ったように壮麗且つ壮大で、彼らが歌う「歌」がかけがえのない音楽の遺産のようにも思えてくる。

 デビューアルバム『Come Away With Me』で衝撃的デビューを果たすことになったノラ・ジョーンズだが、彼女の音楽人生はまだ始まったばかり。それなのにその束の間の時間で、これほどのミュージシャン達と競演して、いったい次はどんな世界を僕達(私達)にみせてくれるのだろうか。Norah_jones_featuring_norah_jones_2

 そういった意味で『ノラ・ジョーンズの自由時間』は、ほんの束の間のミュージシャン達との交流の記録であり、とても偉大なJobだったんだなと思うのだ。

  このアルバムを買ってCDショップを出ようとすると、入れ違いに店に入ってきた女性の淡い香水の匂いが鼻腔を掠めた。

 と同時に、外の冷気が僕を包み込んだ。

 「ベイビー、外は寒いよ」。

 そんな風に誰かに呟きたくなる気分だった。


27年後の「時をかける少女」

2010年11月23日 | インポート

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 あなた 私のもとから/突然消えたり しないでね/二度とは会えない場所へ/ひとりで行かないと誓って/私は 私は さまよい人になる/時をかける少女 愛は輝く舟/過去も未来も星座も越えるから/抱きとめて

  夕べの夢は金色/幼い頃に遊んだ庭は/たたずむあなたのそばへ/走ってゆこうとするけれど/もつれて もつれて 涙 枕を濡らすの/時をかける少女 空は宇宙の海よ/褪せた写真の あなたのかたわらに/飛んでゆく

  時をかける少女 愛は輝く舟/過去も未来も星座も越えるから/抱きとめて

                          作詞・作曲:松任谷由美

 この曲が主題歌となった『時をかける少女』を古くからある地元の映画館で観たのは今から27年前、僕がちょうど二十歳の頃だ。

 当時(1983年)、日本の映画界は角川映画全盛期であり、この映画に抜擢された原田知世は、この映画の成功を期に、一躍スター女優の座を獲得した。

 この映画を監督した大林宣彦は、2年前にも薬師丸ひろ子が主演する『ねらわれた学園』を撮っており、この興行的成功に味をしめた角川が大林監督に続投を依頼したものだろう。

 結果は、周知の通りである。

 空前のSFブームと相俟ってこの映画は爆発的にヒットした。

 実を云うと僕は当時この映画を観るつもりはなく、たまたま本命との二本立てで上映されていたために偶然観ることになってしまったのだが、観た瞬間、この映画にひどく感動してしまい、それ以来、僕は大林監督と原田知世のファンになってしまった。

 不思議なことにこの時、本命となる映画が何だったか思い出せないでいる。

 それほどにこの映画は強烈な印象を僕に残したのだ。

 帰宅する道すがら、あの映画に主演していた少女がずっと気にかかっていて、自然な成り行きというか、そのままレコード・ショップに立ち寄り、彼女が歌う「時をかける少女」のドーナツ盤を買った。

 映画とタイアップした原田知世が歌う映画主題歌「時をかける少女」は大ヒットした。

 数々の音楽番組に出演依頼が殺到し、あの国民的人気歌番組「ザ・ベストテン」に出演していた彼女は愛らしかったよな。

 この映画の主題歌を手懸けたのがあの松任谷由美。

 松任谷由美が歌う同曲は、映画と同年リリースした『VOYAGER(ヴォイジャー)』に収録。

 松任谷由美は『ねらわれた学園』でも主題歌を手懸け、彼女が歌う「守ってあげたい」も大ヒットさせていた。

 なんとなくこの頃って、「大林宣彦」と「松任谷由美」という組み合わせが売れるキーワードになっていたのかな。

 そして2010年の今年、仲里依紗主演でこの映画がリメイクされ、かなりな反響だったらしい。Photo_3

 まあ、今回は映画のほうは別の機会に譲るとして、2010年版『時をかける少女』の主題歌をカヴァーしている(Maxi Single盤『ノスタルジア』に収録)のが、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いに乗っているいきものがかり。

 僕が初めて聴いたこの主題歌の原田知世ヴァージョンは、消え入りそうに儚かった。

 僕は密かにこのサウンドを「切な系」と呼んでいるけれど、当時僕が聴いた原田知世ヴァージョンには、技巧を駆使するプロのシンガーとは異なり、この曲を、彼女の精一杯の声量と実直さで歌い切ったという感じがして当時とても共感をもったことを覚えている。

 当時アイドルは巧く歌ってはいけない、といった風潮があったことは確かだし、巧く歌えば売れないといったジンクスも確かにあった筈だ。

 しかし、この曲に限っては、実力のあるシンガーではとても表現できない純朴さが必要だった。

 その素養を充分に備えた原田知世だったからあんなにヒットしたということなのだろう。

 いきものがかりはずいぶん巧いなあ。

 そもそもこの曲はこんなに巧く歌っちゃいけないんだよ。

 たぶん、主演した仲里依紗をイメージした雰囲気を出したかったんだろうね。

 それにしてもサウンドも歌詞も素晴らしいからつい聴き込んでしまう。

 これが名曲といわれるものの魔法のようなもんだよね。


『BILLIE HOLIDAY Vol.4 You’re My Thrill Original Recordings 1944-1949』

2010年11月19日 | インポート

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 アーサー・ルービンが監督した『ニューオーリンズ』を久しぶりに観た。

 『ニューオーリンズ』は賭博経営をする男と金持ちの令嬢との叶わぬ恋を描いた映画である。

 もともとコメディを得意とするアーサー・ルービンがどうして畑違いのミュージカル映画を撮ることになったかは不明だが、この映画の興味深いところは、あのジャズの巨人の一人、ルイ・アームストロングが実名で登場し、賭博場で素晴らしい演奏を聴かせてくれる場面である。

 当時はまだ、ジャズという名称ではなく、ブルースとかラグタイムと呼ばれるのが一般的だった。

 この映画によると、賭博場の経営者である男が恋に破れてシカゴに拠点を移し、そこでルイ・アームストロング率いるバンドの演奏に魅せられた聴衆を見て、きっぱりと賭博の世界から足を洗う。

 そして心機一転、クラブ経営に乗り出すのだ。

 ルイ・アームストロング達が奏でるラグタイムはやがて聴衆の一人(僕には酔っ払いに見えた)が発した「派手に踊れよ」、つまり、「ジャス・イット・アップ」という言葉を、かつて賭博場を営んでいた男が耳にし、おそらく「ジャス」が濁ったか訛ったかして、その後「ジャズ」と呼ばれるようになり、アメリカ全土に広まっていった。

 これが「ジャズ」の語源かどうかは勿論定かではないし、それを示す文献も手元にないのでなんとも云えないけれど、戦前にこれほど聴衆を魅了する音楽、殊更、白人層からこの音楽が広まっていった事実には驚かされる。

 身分の違う男女が織り成すラブストーリーを描いたこの映画は、ストーリー的には平凡な映画には違いないのだろうけれども、これを別の角度から見ると、音楽を愛し、ジャズを愛する人の目線で言わせて貰えば、この映画は最高のミュージカル映画なのである。

 そしてこの『ニューオーリンズ』には主役級の脇役がいることを忘れてはならない。

 どういう経緯で出演することになったかはわからないのだが、この映画に、令嬢家のメイド役としてジャズシンガーのビリー・ホリデイが出演している。

 予てから実生活でもルイ・アームストロングのファンであったビリー・ホリデイが同じ映画に競演できたことをどんなに喜んだかは、僕達の想像を遥かに超える出来事だっただろう。

 この映画が発表されたのが、1947年。1947年といえば、ジャズシンガーとしても安泰期のこの時期に新天地であるデッカ・レコードに移籍したばかりの頃だ。

 この頃には、『奇妙な果実』のようなダークなイメージはいくらか脱色され、音楽もコロンビア時代を少し髣髴させる明るさを取り戻した歌唱をしているのが特徴である。

 「なぁ、今度僕の出演する映画にきみも出てくれないか」と相談され、「わたし、映画に出るなんて真っ平よ。けど、あなたと歌えるなら喜んで出させて貰うわ」と、ビリーが云ったかどうかは定かではないけど、この頃に、ルイ・アームストロングとレコードを作っているところをみれば、あながちこの遣り取りも僕の想像でもないなと思うのだ。

 Billie_holiday_vol4_youre_my_thrill ちょうどこの頃のレコーディングでいうと、DECCA盤の『Lover Man』なんかが有名なんだけど、僕はNAXOS JAZZ LEGENDSが発売している『BILLIE HOLIDAY Vol.4 You’re My Thrill Original Recordings 1944-1949』を最近よく聴いている。

 このレコードでルイ・アームストロングとデュエットしている「You Can’t Lose A Broken Heart」や「My Sweet Hunk O’ Trash」の息のあったところを聴けば、ルイ・アームストロングがビリー・ホリデイにシンガー以上の好意を抱いていたことがよくわかる。

 ビリー・ホリデイも単にルイ・アームストロングを憧れのジャズメン以上に思っていたことを窺わせる映画での場面が登場する。

 たとえば、家人がいないことをいいことに、こっそりとピアノを弾きながらブルースを歌うメイド役のビリー・ホリデイに、令嬢が興味津々に「今弾いていた曲は何か」と問いかける場面がある。

 そう尋ねられたビリー・ホリデイは「これはブルース」だと答える。

 すると令嬢は「それは憂鬱な時に弾くのか」と聞き返す。

 「いえ。それは音楽の種類です。ブルースは憂鬱な時でも恋しているときにも演奏するんですよ」とビリーは教える。

 それからビリーはこう付け加える。「わたしは恋してるんですよ」、「…サッチモに」。

 映画の中でビリーはなんと大胆にも愛の告白をしているのである。

 劇中でビリーが歌っている曲は、「The Blues Are Brewin’」というナンバー。

 ルイ・アームストロングがサポート役に回り、ビリーはステージでこの曲を伸び伸びと歌っている。

 『BILLIE HOLIDAY Vol.4 You’re My Thrill Original Recordings 1944-1949』では、「Lover Man」や「My Man」など愛する男のことを歌ったであろう曲が収録されている(あいにく輸入盤であることと、もともとビリー・ホリデイのLPには歌詞カードが封入されていないことが多いので、歌っている内容まではわかりかねる)。

 ビリー・ホリデイはジャズに留まらず、ポピュラー音楽全般にわたって語り継がれるビッグ・ネームである。

 その彼女がまるで十代の娘のようにはしゃぎ、愛らしかったのはいつも誰かに恋していたからだと思う。

 ビリー・ホリデイの肖像画がジャケットになった『BILLIE HOLIDAY Vol.4 You’re My Thrill Original Recordings 1944-1949』は『奇妙な果実』や『レディ・イン・サテン』のように有名なLPではないけれど、ジャケット画も含めて僕はとても好きだ。

 最後に、ルイ・アームストロングやビリー・ホリデイに終始した解説になったが、この映画の中で金持ちの令嬢役を演じる女性は、ドロシー・パトリックというとても美しい女優である。

 この女優さんは、マリリン・モンローのようにふくよかな健康的美人だけど、どこか品があって清楚なイメージがある。

 マリリン・モンローがそうではないとは云わないけれど、こうと決めたら一途なところもあって、行動力があり、普遍的な生命力も感じる。

 あくまで映画を見た僕の感想なんだけど、この女優さん、僕は好きだな。


日米歌姫達のアイドル進化論~クリスティーナ・アギレラ篇~

2010年11月16日 | インポート

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 昭和の伝説的歌姫・山口百恵が8年足らずの芸能生活に別れを告げ、引退コンサートを経て結婚の道を選んだことはその後の日本の歌手のステータスになっていった。

 そして山口百恵は多くの日本の歌手が「こうありたい」と願うアイドルのシンボライズとなった。

 山口百恵が芸能界を去ったのが80年代の初め、新たにアイドルとして頭角を現したのが、松田聖子だった。

 しかし、アメリカで衝撃的デビューを果たすマドンナが結婚後も精力的に音楽活動をこなす姿を見て、彼女に影響されたシンガーは少なくないだろう。

 松田聖子も例外ではない。

 その時、一瞬にしてシンガーとしての新たな道が開けたことは、その後に登場するシンガー達の生き方を見ても分かるとおりだ。

 山口百恵が「としごろ」でデビューしたのはわずか13歳のとき。

 「としごろ」は等身大の彼女が歌うのには余りにも自然体で予想外にヒットには繋がらなかったが、続くセカンドシングル「青い果実」から大胆な歌詞を取り入れたことでそれまでの彼女のイメージを一新した。

 彼女の5枚目のシングル「ひと夏の経験」は少女が歌うには余りに衝撃的な内容だったが、レコードは瞬く間にヒットし、清純でありながら大人びた歌を唄う彼女に多くの関心が集まった。   

 清純なイメージを前面に打ち出してデビューし、その後もその路線を脱皮できなかった松田聖子に対し、マドンナや山口百恵は瞬時にして路線変更を容易にしていった。

 ただ、山口百恵は一見清純に見える少女が性行為を連想させる歌を唄うことでこれまでのアイドルとは違う、いわゆるオジサン受けのするアイドルとして変貌を遂げた。

 内なるセクシーさを持ち、それが自然に振舞えるマドンナと違って「作られたアイドル」だったのである。

 こうした80年代を彩り、数々の神話を築いた日米のアイドル達の活躍から十年後、第二世代といっていいアイドルが生まれた20世紀後半にひとりの歌姫が誕生した。

 彼女の名前は、クリスティーナ・アギレラである。

 彼女もデビュー当時はブリトニー・スピアーズ同様、清純派路線で売り出したシンガーの一人だったが、マドンナの成功例を真似たためか、次第にセクシー路線へと変わっていく。

 初の全米No.1となったシングル「ジニー・イン・ア・ボトル」はどちらかといえば露出度の極めて少なかったブリトニー・スピアーズのデビュー当時と重なってしまう。

 健康的で、可愛さが売りのブリトニー・スピアーズと比べると、可愛さというよりもクール・ビューティーでスタイルが良かったクリスティーナ・アギレラのほうが実年齢よりも大人びて見えた。

 プラチナ・アルバムを獲得し、「ジニー・イン・ア・ボトル」を含む全米No.1タイトルが3曲も収録されたデビュー・アルバム『クリスティーナ・アギレラ』はその年の話題をかっ浚い、グラミーの最優秀新人賞の栄冠に輝くものの、音楽的スタイルや楽曲的には、常にブリトニー・スピアーズと比較される対象であった。

 その彼女が、一皮剥けた感じでブリトニーと同じ路線から離れていくきっかけとなったのが、ミッシー・エリオットがプロデュースした映画『ムーラン・ルージュ』の主題歌「レディー・マーマレード」でリル・キムやピンク、マイヤと競演した事だ。これも全米No.1に輝いた楽曲だが、ど派手に着飾った4人の中でも一際目立っているのがクリスティーナ・アギレラである。

 個人的に馴染み深く、普段でもよく聴いているピンクは娼婦のようだし、見た目もクリスティーナにそっくりなマイヤはヒップがセクシーだ。

 リル・キムは…うーん、唯一この場では笑いを誘うようなキャラだよな。

 それにしてもたかが、PVなんだが、豪華なステージ衣装に身を包んだ歌姫たちが同じステージでこんなパフォーマンスをしてくれるなんて滅多にはないだろう。

 彼女達を紹介するミッシー・エリオットはどこか売春宿の女将のようだ。Christina_aguilera_keeps_gettin_bet

 最近僕は、ちょうど今から2年前に発売された『Keeps Gettin' Better:A Decade Of Hits』を遅ればせながら購入した。

 発売当時、買いそびれたということもあり、今回は輸入盤での購入だが、ヒット曲は完全網羅されているし、勿論、今回紹介した楽曲も収録済みである。

 クリスティーナ・アギレラのアイドルとしての変遷を一瞬にして辿るにはかっこうのベスト盤である。

 売れ線狙いでデビューした彼女が結局、全米で予想外の評価を得た。だが、その後、その路線を踏襲することなく常に新しいスタイルを築いていった。

 そこにはマドンナの成功例の影がちらついているようにも思える。

 80年代初頭に一時代を築き、現在も尚、ポップ・スターの頂点に君臨し続けるマドンナ。

 実を言えば、彼女自身もマリリン・モンローの背中を追い続けながら、時に、娼婦となり、時に、高慢なセレブになったり、僕達が驚くような淑女に変身したり、その生き方は常に音楽シーンの興味の的だった。

 類い稀な美貌と圧倒的ヴォーカルで僕達を魅了し続けるクリスティナーが次に向かう世界も、きっと新作のなかで答えてくれている。


次なる伝説は、永遠に僕達の記憶に残したこと

2010年11月05日 | インポート

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 最近になってようやく聴く気になった。

 聴かなくなったのには色々理由があるけれど、サウンド的変化というよりも(むしろそれは歓迎すべき変化で)数々のゴシップに塗れた彼の周辺の変化によって嫌気がさしていた為だ。

 加えてアルバム『バット』以降の身体的変化にもある種違和感というか驚きに満ちた感想を抱いていて、とりわけ、『デンジャラス』リリース当時の彼の風貌の変化には直視できないくらいの驚きを感じたものだ。

 虚偽に彩られた偶像と呼ぶべきか、とにかく一時期は彼の記事を見る事さえ嫌になっていた。 

 そういうわけで彼を嘲笑する番組や記事をここ十年間は、一切遠ざけていた。

 ようやく彼の音楽を聴く気になったのは、本屋さんでたまたま西寺郷太氏の『マイケル・ジャクソン』という本を見つけた為だ。

 でもそのときも手にしたもののすぐには読まず、数日の逡巡はあった。

 聞く気はなくとも自然と耳にしてしまうマイケルの噂話。

 ジャクソン家のスパルタ教育で父親から虐待を受けていた幼少期。ネバーランドの自宅での浮世離れした私生活。想像を絶する浪費癖…などなど、枚挙に暇がない情報が耳をすり抜ける。

 そういったメディアによって刷り込まれた情報をさらに文字で正確になぞるなど決して耐えられることではなかった。

 しかし、西寺氏の経歴を読むにつれ、彼に対する信頼度が増してくるのを感じた。Michael_jackson_off_the_wall

 彼なら少なくとも、事実を曲げることなく、ありのままのマイケル・ジャクソンの姿を伝えているに違いないと思い、ページを捲ることにした。批判的な箇所に出会えばいつでも本を閉じる気だった。

  80年代初頭に起こったマイケル・ジャクソンの『スリラー』の爆発的ヒット。当時、僕は総売り上げ一億一千万枚という桁違いの数字に度肝を抜かれた。

 若くしてその才能を開花させたマイケルはわずか二十歳そこそこで莫大な富と名声を得る。

Michael_jackson_thriller しかし、クインシー・ジョーンズとタッグを組んでレコーディングに挑んだマイケルにとって『オフ・ザ・ウォール』から『スリラー』に至る商業的大成功の過程は、結果的にマイケル自身を追い込んでいった。

 彼は『スリラー』を超える次なるアルバムに取り掛かったが、結果的には思うような成果を得られなかった。

 それどころか、次第にマスコミは彼を糾弾する側に回り始めた。

 「整形疑惑」や彼の「白人崇拝」が一部のマスコミの槍玉にあげられ、興味本位で報道されたかと思えば、少年に対する猥褻行為疑惑が浮上したときは彼のシンガーとしての生命をも脅かす事件や裁判に発展し、「もう彼の時代は終わった」と囁かれるほどのピンチに陥った。

 音楽とは程遠いところで、奇異な出来事や噂が取沙汰され、ファンやそうでない人たちの記憶に刷り込まれていく。

 例外なく僕もその中の一人だった。

 西寺郷太氏の『マイケル・ジャクソン』でもっとも興味のあったジャクソン・ファイブ時代のマイケルはその後、家族や兄弟との金銭的確執を生んだが、それは彼の音楽的野心が生んだことで、シンガーとしてはプラスになることだった。

 『スリラー』で頂点に登り詰めたマイケルが夢に見た次なる野望はこの『スリラー』を超えるアルバムを製作することだった。

 『スリラー』で得た有り余る費用を投じてレコーディングされた『バット』は結果的に『スリラー』を超えるどころか、思わぬ低評価の審判が下された。

 この不振が長く影を落とし、アルバム・リリースの間隔が次第にあき、『デンジャラス』から『インヴィンシブル』までは実に十年という歳月が経過していた。

 「ラスト・コンサート」と銘打たれた『THIS IS IT』もこの時点では新アルバムのリリースはなく、彼の持ち歌による「ファンがもっとも聴きたい曲」で構成されたコンサートを計画していたらしい。

 しかし彼はもっとも遣り遂げたかった夢を果たせず、五十歳という若さでその生涯を閉じた。

 彼は十代、二十代の夢は見たかもしれないが、五十代、六十代の夢を見ることは叶わなかった。

 未完成に終わったとはいえ、『THIS IS IT』は予想外の反響で、そのリハーサル風景はあたかもコンサートを想定したような完成度で、後に映像化されたり、映画用のサウンドトラックまで彼の死後にお目見えした。

 実にこの『スリラー』以来の再ブレイクもマイケルの伝説の一部でしかないのだ。

 活字中毒:「モータウン時代にソロを出しているとはいえ、ジャクソン・ファイブを離脱してからのスタジオ・アルバムが合計5枚というのは少なすぎるよな」

  BG:「たしかにキング・オブ・ポップの称号を手にしたわりにアルバム・リリースのペースが90年代半ば以降は急激に減っていったわね」

 活字中毒:「僕は『スリラー』と『バット』の頃、まさにリアルタイムでマイケルを聴いていたんだ。

 で、まず驚いたのは、わずか5年間で風貌が変わってしまっていたことだった。Michael_jackson_bad_2

 この頃から人気に翳りが生じていた。

 アメリカでは『バット』は低評価でグラミーの常連だった彼にとっては屈辱的な結果だった。

 しかし、日本ではまずまずの評価だったような気がする。アルバム全体で言わせて貰えばむしろ『スリラー』よりも『バット』のほうが好きだな。

 当時よく聴いたいたのも『バット』のほうだった。

 〈マン・イン・ザ・ミラー〉が大好きなんだよ。

 ポップなゴスペルみたいでね」

 BG:「未だに私『スリラー』があんなに売れたのが信じられないのよ。

 『オフ・ザ・ウォール』の成功で、減速することもなく、その勢いで作ってしまったって感じだったけれど、まだまだクインシー・ジョーンズの影響が強いアルバムだったわよね『スリラー』って」

 活字中毒:「クインシー・ジョーンズは、ジャズ畑出身の音楽家にしては大衆的な音楽を作る人という印象だよな。

 アルバムを出すときに彼に着目したマイケルの先見の妙の凄さには脱帽だよ。

 ふつうならプロデューサーに選ばない人だからね。

 もしかしたらマイケルの頭の中では『オフ・ザ・ウォール』のイメージが出来上がっていたのかな。

 『スリラー』の商業的大成功はマイケルにとっても予想外だったろうけれど、どこかの時点で突出した成功は収めていた気がするんだ。

 ただ不運なことにマイケルにとってその時期があまりにも早すぎた」

  BG:「なんだ、やればできるじゃん、みたいな自信なのかしら。あんなに売れちゃうとマイケルじゃなくとも変になるわよね」

 活字中毒:「そりゃ、マイケルだってあんなに売れるなんて信じられなかっただろうさ。でも売れてしまった。そうやって大金を手にした聖人によからぬ連中が“集り”“強請り”で肝心な音楽活動が立ち行かなくなったというのが実際のところだろうね。

 大金持ちには所詮世間の目は冷たいものさ。

 次第に金蔓のような存在になっていった…」

 BG:「いい曲を書いても、音楽以外のところで余計な神経を使わざるを得なくなった。

 音楽家としては致命的な状況よね」

 活字中毒:「最近僕は『バット』以降の彼の音楽に耳を傾けているんだ。

 その中でひとつだけ気がついたことがあるんだ。

 クインシーと袂を分かち、新しいアルバムの製作に取り掛かったマイケルは、今度こそ『スリラー』を超えてみせるぞ、という途方もない野心はいくらか修正されていると気づいたんだ。

 『スリラー』の時代は、まだアナログ・レコードが台頭していた。

 あのアルバムがあんなに売れたのはアナログ・レコードだったという状況と様々な時代的追い風、たとえば、かつてないホラー・ブームに乗ってあたかも『スリラー』が時代の足並みに揃えるように現れた。

 好景気に後押しされたってことも決して無関係ではないし、世界的に生産性が殺人的に進んでいたことも無関係ではない気がする。Michael_jackson_invincible

 作っても作っても不足する状況が作り出した悪魔的なアルバムだったともいえるかもしれない。

 それに比べて、『デンジャラス』と『インヴィンシブル』は妙にリラックスして聴けるんだ。

 サウンドも特別ではないし、今風で違和感がない。

 そもそも『スリラー』はあの時点で作られたアルバムにしてはどこか風変わりで特別だった。

 かつて聴いたことがないサウンドとマイケルのパフォーマンスが与えた驚異は、そのままこれが新しい次なるサウンドの幕開けなんだって僕達は予感していたんだろうと思う」Michael_jackson_dangerous

  BG:「なんか漸く、クインシーの呪縛から解き放たれたマイケルの心地いい居場所のような気もするわね。

 サウンドもとげとげしくなく、突っ張ってもいない。自然なままのマイケルって感じがするわ」

 活字中毒:「〈ブラック・オア・ホワイト〉を聴いたとき、ああそうか、マイケルはきっとこんな音楽をずっと作りたかったんだなと思ったよ。

 この『デンジャラス』のアルバム・ジャケットも僕のお気に入りさ」