音盤工房

活字中毒&ベルボトムガール音楽漂流記

IMPERIAL HEARTBREAKERS

2009年11月23日 | インポート

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 ブート、いわゆる海賊盤なんていうのは昔からあまり買わないし、聴かないのだが、とどのつまりなぜ聴かないかといえば、音が悪いからである。初めて聴いたストーンズのLIVEも海賊盤だった。それは、『Get Yer Ya-Ya’s Out!』の頃のもので、それはもうすこぶるひどかったのを覚えている。

 あまりにひどかったから一度聴いて以来二度と聴くことはなかった。ブートが氾濫し、それを高値で買うファンをみかねてストーンズが公式でリリースしたLIVE盤が『Get Yer Ya-Ya’s Out!』や『Love You Live』などのLIVEの名盤といわれるレコードだ。

 ストーンズの映像がなかなか見られなかった頃はこれが唯一彼らの生々しい現在を伝える映像の代替手段だった。90年代に突入すると、これまでとは打って変わって続々とLIVE映像を収めたビデオやDVDが発売された。すると、途端にLIVE盤がもつ意味合いというか存在価値はこれまでとは別なものになっていく。

 LIVE映像に慣らされた眼や耳はもはや、通常の丸ごとLIVEの模様を収めたレコードやCDでは飽き足らず、これまでと同じような憧憬の眼差しを向けることが出来なくなっていた。そのいい例が『Flashpoint』だ。彼らの代表曲を並べただけの行儀のいいLIVE盤にはかつての瑞々しさに乏しく、スタジオで作ったLIVE盤のように臨場感も足りなかった。そこには『Get Yer Ya-Ya’s Out!』や『Love You Live』がもつ圧倒的な迫力に欠けていた。

 この負の経験を活かした『No Security』や『Live Licks』にはこれまでLIVE盤には収録されなかったレア&コアなレパートリーが収録され、ファンの興味を擽った。けれど、そんなLIVE盤もかつての傑作の比較対象でしかなかった。僕は90年代以降にリリースされたLIVE盤があまりいい評価を得られなかったことがなんとなくだがわかるような気がする。唯一、コンセプトアルバムとして製作された『Stripped』だけは、これまでのLIVE盤と違い、ストーンズがいったいどういうバンドなのかが第三者的に伝えやすい内容だったと思う。

 『Voodoo lounge』のLIVE盤扱いになっている『Stripped』だったのだろうけど、このアルバムについては『Voodoo lounge』からの選曲はなかったから実質は通常のLIVE盤とはまったく別のコンセプトでつくられたものであろうか。ちょうどこの頃にひょんなことで手に入れた海賊盤のIMPERIAL HEARTBREAKERS』も、正直なところ、音質が悪く、お世辞にもファン以外にはとてもお薦めできないCDなのだが、LIVEを丸ごと何の飾り気もなく収録したお蔭で、臨場感に溢れ、しかも公式DVD以外でしかなかなか聴けないようなナンバーがレパートリーにはいっていて逆になんだか新鮮に映ったのが印象的。

 屋内特有の音がこもったような抜けの悪さやマイクが様々な雑音を拾っている難点を除けばそこそこ聴けなくもない音源だが、その一方で、マイクから近いヴォーカルの明瞭さに比べ、ボービー・キーズのせっかくのソロがマイクから遠くて聴き取り難い点など挙げ連ねたらきりがないけれど、そんなブート特有の音のバランスの悪さにも眼を瞑れば、演奏は折り紙つきの素晴らしさである。とりわけこの頃のキースのギター演奏は抜群に切れ味がある。

 僕はこれまでからずっとLIVE音源や映像を観たり聴いたりしながらストーンズのピークがいったいいつだったのかを意識的に探っていた。『Tattoo You』直後の『Still Life』の頃なのか、それとも『Steel Wheels』の頃なのか、それとも『Bridges To Babylon』の頃なのか、と。でも、結局のところ、僕にはいやおそらく誰しもそれはわからないとは思うけれど、少なくとも「Monkey Man」や「Street Fighting Man」で闊達なギターを弾きまくる『IMPERIAL HEARTBREAKERS』でのキースはまるで何かが乗り移ったかのように荒々しく、それでいてうつくしさすら感じる。

 公式のLIVE盤ならそこそこ吟味して収録されたなかから公式盤用にチョイスしている筈だろうが、こういった海賊盤なら演奏の良し悪しは二の次。求められるのは、表には出ない希少性なのだ。苦手意識があるのか、LIVE盤でもリストから外された名曲「Love Is Strong」もこの海賊盤には収録されている。頭から最後までスピード感の途切れないところも海賊盤ならでは。僕たちはいつしかロックの聴き方を間違って聴くようになったんだろうか。そもそもロックは粗野で上品な音楽ではなかった筈だ。キースの暴力性を孕みながらロックする「Monkey Man」や「Street Fighting Man」を聴きながらふいにそんなことが頭を過ぎった。


世界最強のスウィングジャズ・ビックバンド「SWING GIRLS」に僕は夢中

2009年11月11日 | インポート

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 風が吹く水曜日だ。雨も降っている。庭の楓はすっかり葉が落ちて寂しい限り。風は時にゴーと鳴き、時に笛のように甲高い音で鳴く。晩秋から冬に向かうこの氷雨が膚を刺す。そろそろ炬燵が愛しい季節になってきた。あ~やだやだ、まったく寒いのは苦手だ。

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 さて。

 こんな日にはホットな音楽なり映画を観るに限るが、きょうは、先日TSUTAYAよりレンタルした『SWING GIRLS First & Last Concert〔DVD〕』を観ている。これは2004年9月に公開された映画『SWING GIRLS』のライヴ版である。

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 映画公開の年、12月に27日と28日の2日間にわたってホテル日航東京内「山河高校大講堂」で開催された『SWING GIRLS First & Last Concert』は、2003年にオーディションに集まった17人の俳優によって結成されたスィングジャズ・ビックバンドで、この日、最初で最後のコンサートを開き、約1年半にわたるバンド活動を終えた。

 僕は以前にもブログで書いたと思うけれど、素人バンドの演奏はなるべく見ないし、聴かないようにしている。ただし、お金を払って見に行くものは別である。これは観たいし、聴きたいからである(笑)。

 何年か前に、映画『SWING GIRLS』を観た。所詮、素人が集まって作る映画だから、碌なもんじゃないんだろうな、演奏も眼も当てられないようなひどさで…観る前からそんな先入観でいたから劇が進行していくうちに見違えるほど上達していく彼女らに思わず羨望的に眼を瞠ったものだ。

 コンサートで演奏する「A列車で行こう」は個人的に好きなデューク・エリントン楽団の十八番。ストーンズのライヴ映像や『スティル・ライフ』でも冒頭この曲が流れていたよな。当時はジャズ好きのチャーリーの趣味に合わせたのかなと思っていたけど、このビックバンドのナンバーは当時からごっつうかっこええ曲やと思ってた。このジャズのスタンダードをまだ十代の若いおねえちゃん達が吹きこなしてる。なかでもソロでラッパを吹いてた金﨑睦美って娘はうまかったよな。その堂々たる演奏ぷりはプロ顔負けや。ここで終わらせておくには惜しい。

 それより、上野樹里らメインキャストが楽器演奏未経験で始まったこの企画、不安とかなかったんかいな。映画作りっていうと演技だけでも大変なことだろうに、そこに触ったこともない楽器を演奏せにゃならん、それも女子学生には縁遠いジャズの世界や。ロックやポップスならなんとなくわかるけど、ジャズなんて正直なところ、おっさんが道楽で聴く音楽やがな。最初はなかなか馴染めんかったと思うわ。兎に角、よくやった。そう拍手したい気持ちです。

 この『SWING GIRLS First & Last Concert』では、前半はプロの演奏によるライヴ映像で、漸く、35分過ぎから彼女らが登場するので、彼女らだけが目当てのファンはスキップさせてそのあたりから観てもいいかなと思います(笑)。それではこれもジャズのスタンダードですが、「イン・ザ・ムード」です。何度もいうようですが、ここで終わりにするのは惜しい。何年後かに再結成することを願ってます。


『ダーティ・ワーク』が齎した運命的出来事③

2009年11月03日 | インポート

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  …このタイトルからすると、『ダーティ・ワーク』以後についてのメンバーの動向みたいになる。正直なところ、このアルバムについては世界ツアーを見据えて製作されていた(少なくともキースはそのつもりだった筈…)だけにファンとしては見事に肩透かしを喰らったアルバムだし、ミックが不在でなかなかレコーディングが進まなかったこともあり、ミックとキースの不仲説が浮上した忌みすべくアルバムとしてもその後有名になった。B00005goe201_sclzzzzzzz__2

 そのせいかこのアルバムに関していえばミックよりもむしろキースのマスコミ露出が増えた。実際、キースはアルバム『ダーティ・ワーク』をリリースした直後はこのアルバムに対して自信に満ち溢れたコメントをしている。自らの音楽のルーツに触れたり、ベールに包まれていたキースの音楽性や人物像についてもこれまで以上に掘り下げた内容の番組出演に積極的だった。その際に、様々な憶測で書かれたミックとの不仲説についても否定的にインタビューでは応えていたり、キースズ・アルバムという世間のアルバム評価についても冷静に対応しているように感じた。

 一応、蔵書として持っていた山川健一氏の『ロックンロール・ゲームス』(角川文庫)を読み返すとそのあたりのアルバム製作上の苦労話も浮き彫りにされている。

 僕は、運よく最近手に入れたユニバーサル盤のSHM-CDを聴きながらこの原稿を書いている。『ダーティ・ワーク』が生まれた経緯を考えると、ここで一人の男にスポットを当てねばなるまい。トム・ウェイツその人である。B000001ffj01_sclzzzzzzz__2

 誰がキースにトム・ウェイツを紹介したかは忘れてしまったが、キースは紹介される前にトムのアルバムを聴いていたかもしれない。はじめてキースがトムのアルバムに参加した『レイン・ドック』は世界的な評論家達の度肝を抜いた。

 キースもこのアルバムに参加していたが、この仕事がきっかけでトム・ウェイツはストーンズの『ダーティ・ワーク』に参加することになるけれど、これがキースへのお礼の意味があったのか、キースが強引に参加させたかはわからない。

 9曲目の「ハド・イット・ウィズ・ユー」と10曲目の「スリープ・トゥナイト」はトムの影響大だよな(笑)。それよりも『ダーティ・ワーク』がリリースされた同年の1986年にキースと相棒のロニーはアレサ・フランクリンの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のレコーディングにギタリストとして参加したり、翌年の1987年にはダーティ・ストレンジャーズのアルバムをバックアップしたり、キースのライフワークにもなったチャック・ベリーの映画『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』をプロデュースしたのもこの年だ。Aretha_franklin_jumpin_jack_flash_2

 時間軸でいえば、やはりトムのアルバム参加から始まったニューアルバム『ダーティ・ワーク』の完成までの紆余曲折、それに、ストーンズ以外のミュージシャンとのセッションが逆にキースにとってはリフレッシュ効果を与えたのだろうか。

 ついにリリースされることになった、自身初のソロ・アルバム『トーク・イズ・チープ』までの軌跡へのお膳立てはすでに整っていたのである。この頃の音楽的交流を抜きにしては語れない『ダーティ・ワーク』。

 とりわけこのアルバムの出来を高く評価していた山川健一氏だが、どうもこの時期この作家の思いいれというか思想というか、それに乗せられてずいぶんこの作家の著作は買った覚えがある。

 『ダーティ・ワーク』がストーンズ原点回帰の音作りに徹したアルバムという評価は山川健一氏だけでなく、このアルバム製作に拘わったキーズでもが自信たっぷりに答えていたよな。でも、このアルバムは冒頭でも書いたように初期のストーンズのスピード感や爆発力はあるかもしれないけれど、ストーンズ独自が持つ妖しさ、つまり艶っぽさをどこか欠いていたように思う。

 そのときぼくはこう思った。『ダーティ・ワーク』や『トーク・イズ・チープ』がキース色で彩られたアルバムであることはもう公然の事実としてある以上、ミックを欠いたストーンズが初期の荒々しさに戻るのはもはや必然的なことだ。なんとなくキース主導で作られたアルバムがミックの好みとあわなくなるのも事実。『ダーティ・ワーク』のチャーリーのドラムが80年代に流行していたパーカッシヴな電子ドラムのように歯切れが良かったのも妙に気になったよな。LPからCDへの過渡期の頃だからまだまだ選曲や曲順がLP志向で作られていたから、それなりにアルバムにもドラマ性があった頃だ。

 1曲目の「ワン・ヒット(トゥ・ザ・ボディ)」のミックとキースの関係を歌に乗せたような暴力性溢れたハードなロック、2曲目のいかにもストーンズのスタンダードらしい「ファイト」に思わずニヤリと顔が綻ぶ。なんでこんな選曲になったかは、参加メンバーにレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジがいたのも関係しているのかな。3曲目のR&Bのカヴァー「ハーレム・シャッフル」と5曲目のレゲエのカヴァー曲「トゥー・ルード」を選曲しているところも初期のストーンズのようなカヴァー・バンドの名残のようだ。「ハーレム・シャッフル」ではトム・ウェイツとボビー・ウーマックがバッキングボーカルで参加している。よく耳を澄まして聴いてごらんよ。

 ロック・アルバムを作る時にはある程度の暴力性をギターの弦に乗せて生み出すこともアリかなとは思うけれど、『ダーティ・ワーク』に関して言わせて貰うなら、このアルバムの暴力性はある特定の人物を対象にした極めて個人的事情によるところが大きい気がする(笑)。怒りのエネルギーをギターの弦に託して演奏するロックンロールはそのときはいいかもしれないけど、長きに亘ってはとても聴けない。『イッツ・オンリー・ロックンロール』や『ブラック&ブルー』みたいにメロディアスでクールで、ときにはユニークでなくてはいけないときもロックンロールにはあるんだよな。

 さて、ぼくは今夜、ユニバーサル盤のSHM-CD『ダーティ・ワーク』を聴いている。ヘッドフォンで聴くのがSHM-CDの正統な愉しみ方だと思う。

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ストーンズよりも転がったロックンロール・バンド

『ダーティ・ワーク』が齎した運命的出来事①