音盤工房

活字中毒&ベルボトムガール音楽漂流記

綾小路きみまろの情報収集力には脱帽である

2010年03月30日 | インポート

 今から5年、いや10年近くなるのだろうか。某旅行会社が企画した“何とか激安ツアー”で伊勢旅行した際、観光バスのなかで聴いたのが、この綾小路きみまろの「爆笑スーパーライブ」である。

 当時は中高年層を対象にテープでしか販売されていなかった幻の音源がこのほど、CD化された。「ぴったんこカンカン」という番組に出演した時にも綾小路きみまろは頑なにテープ音源のCD化を拒んでいた。

 お金に困って已む無くCD化を許したかどうかは定かではないけれど、ネタが尽きたというよりも、周りからの熱望する声に応えるためだったと思いたい。Photo_4

 ともあれ、この音源を再び耳にするとは思いも寄らなかった訳だが、これを書いている本人自体、本当にこれが当時観光バスの中で聴いた漫談なのかどうか些か自信がない。余りにも彼のテレビでの露出が増えたため、ネットにも音源や映像が溢れ過ぎていて、どれが当時聴いた内容なのかわからなくなっているのだ。

 ただし、この音源がテープ音源からのものかは編集の仕方からも歴然としている。あの頃は、車内の間を持たせる為に流していたものだろうけれど、内容が“毒舌漫談”ということもあり、その場凌ぎの笑いで深く内容を詮索した事はなかった。

 たとえタイトルが『元祖 爆笑スーパーライブ第0集!』と書かれていようが、今更確認する術もなく、ただ、音源に耳を傾けるだけである。

 この音源がまだ売れていない当時のものかどうかも言葉の端々に聞き取れるが、これが正真正銘のブレイクのきっかけになったものかどうかは、是非、実際聞いてみることをお薦めしておく。

 のっけから自虐ネタと飽くなき人間観察、川柳のような中高年ネタのオンパレードである。一時は一部盗作問題も浮上したけど、彼らしくあっさり認めたのが潔かった(笑)。

 それにしても綾小路きみまろの情報収集力には脱帽である。

 そして絶妙の“間”。これぞ名人の域である!

 あいにくここに収録されている音源をお届けすることは出来ないけれど、YouTubeでとっておきの映像を見つけたのでお届けする。

 僕は落語も好きだが、彼の漫談は落語にも通じる。笑いとペーソス。これがあるから何度聴いても彼の漫談は飽きないのだ。


前人未踏の領域に達したロックンロールワールド―『ア・ビガー・バン』

2010年03月18日 | インポート

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 いよいよ5月に発売されるボックス版の『メインストリートのならず者』。僕の場合、リアルタイムでこのアルバムを聴かなかった所為か、そんなに深い思い入れはないわけだが、このアルバムがストーンズ史上最高傑作であり、ロック史上においても重要かつ最大級の傑作であることはまず疑いのない事実なのである。

 そして、アメリカ南部に伝わる音楽を根底から見つめなおし、ストーンズ風に解釈したブラックミュージックがこの『メインストリートのならず者』なのである。

 70年代中期から後期にかけてストーンズは積極的にサザンソウルを取り入れた。だが、彼らの本領が発揮されたのはまさに南部のもっともディープな泥臭さが凝縮された『メインストリートのならず者』だったと思う。

 ビートルズ以前以後があるように、また、ストーンズをリスペクトし、彼らに近づこうとしたロックバンドは少なくない。

 セックス・ピストルズしかり、エアロスミスしかりなのだが、その都度、ストーンズは彼らとの距離をあけてきた。

 マディ・ウォーターズやチャック・ベリーのカヴァーソングを歌い演奏していた彼らは自称ブルースとR&Bの伝道師と名乗っていた。そういった意味では彼らもまた、自分達が愛するアイドル達に近づこうとしていたことに間違いはないのだ。

 追従しようとする者がいれば、追従される者もいる。60年代にはビートルズがいた。70年代前期にはレッド・ツェッペリンが、後期にはセックス・ピストルズが猛爆していた。80年代にはニューウェイブの台頭があり、継承的ロックは生まれてはじめて危機的状況を迎える。

そんななかでもひたすら前を見据え、その歩みをとめなかったのがストーンズだった。

 21世紀になってもストーンズは彼らを崇拝していたバンド達をよそにどんどん先へと進んでいった。その結果、もう誰も手の届かない境地、高みへと登りつめてしまった。

 そのバリエーション、インパクトともに『メインストリートのならず者』にもっとも近いと評判の『ア・ビガー・バン』。

 この最新スタジオアルバムももう5年も前の話。『ブリッジ・トゥ・バビロン』から8年。待ち焦がれてようやく届けられた『ア・ビガー・バン』。

 なにやら彼ららしくない哲学的で、意味深なこのタイトル。

 不良おやじ達もついに上品に収まりやがったのかなと思いながら、あの時、『ア・ビガー・バン』を聴いた。そこには間違いなくストーンズの荒々しく、金属質のR&Rがあるのだけれど、長くこの世界で生きてきた男達でしか奏でられない燻し銀のR&Rがあるのだ。

 ストーンズは結成から40年が経ち、漸く、自分達の音が出せるようになった。そのR&Rは激しいのだが、どこか切なく、不思議とセンチメンタリズムに訴える。

 そしてどのナンバーも訳もなくかっこいいのだ。ドン・ウォズみたいな個性的な共同プロデューサーを迎えながら決して自分達の音を見失わないのがストーンズのストーンズらしいところである。

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Rolling Stones-Rough Justice


ボブの遺志を継ぐリタ・マーリィー渾身の名盤

2010年03月13日 | インポート

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 僕の人生の中でもしもボブ・マーリィーのアナログ盤との出会いがなかったら、きっとレゲエという音楽は僕のライブラリーには存在しなかった。

 もしもボブ・マーリィー&ザ・ウェイラーズの『CONFRONTATION』を聴かなかったら、そう、リタ・マーリィーの『HARAMBE』を聴くことは絶対にありえなかった。

 そう考えるとボブ・マーリィー亡き後に、妻のリタ・マーリィーとクリス・ブラックウェルにより編集されたこの追悼アルバムがいかに僕のその後のライフスタイルを変えて行ったかがわかると言うもの。

 久しぶりにそんな回想に耽りながら『HARAMBE』を聴くと、彼とザ・ウェイラーズが遺したレゲエという音楽の偉大さを感じずにはいられない。

 このアルバムは、夫を、そしてかけがえのない友を亡くした者達の鎮魂歌のようにも聴こえる。リタのソウルフルなヴォーカルが時にはゴスペルを歌うように神々しく厳かであり、時に愛に満ちたラブソングのようにも聴こえ、そのいずれもがボブ・マーリィーが愛したレゲエ・ミュージックのあのもの悲しいサウンドに包み込まれている。

 つい先日のこと、そろそろ新しいレゲエアルバムでも聴いてみるかとCDショップを覗いてみて適当なところを試聴して廻ったが、悉く、数曲聴いてすぐに棚に戻してしまった。

 ヒップホップはそれほど嫌いという訳ではないけれど、レゲエにそれらを持ち込むほど僕の頭は柔軟ではないのだ。せっかく脳みそを最新のレゲエサウンドで満たそうとした僕の思惑は見事に外れた訳である。

 ボブ・マーリィーの死後間を置かずにリリースされた『HARAMBE』は、1981年から1982年にかけてタフ・ゴング・スタジオで録音された。

 通算2作目となる『HARAMBE』は前作同様、リタ自身に加え、グラブ・クーパー、リッキー・ウォルターズ、ステーブ・ゴルディングらがプロデュース。

 レコーディング・エンジニアとしてエロール・ブラウンやスティーヴン・スチュワートの名前が挙がっている。

 『HARAMBE』は、ボブの遺志を引き継ぎ、まるで『CONFRONTATION』の続編のようなアルバムである。「対立」から一転、「一緒に頑張りましょう」という和解の意味が込められ、ボブ・マーリィーの最後のメッセージに対するリタ・マーリィーの答えのようなアルバムとしても聴くことが出来そうだ。

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