つい3日前にアマゾンから届いたばかりのボブ・ディランの新作『TOGETHER THROUGH LIFE』を車の中で聴いている。自宅から職場までは凡そ30分。ロックのアルバムなら自宅から職場までの行き帰りの時間で一枚のアルバムを全曲聴くことが出来る。朝の通勤ラッシュ時だと新円山大橋が架かる道路と駅周辺は大変混雑する。それでもトヨオカの街中を抜け、そこから職場までは朝の混雑が嘘のように交通量は激減し、対岸が遙か向こうに見える円山川を見渡しながら通勤するこのひと時は、唯一生活の中で好きな音楽を満喫できる時間帯でもある。
その日、職場から帰ると、自宅の僕の机の上にぽつんと到着したばかりのアマゾンからの小包が届いていた。すぐにも聴きたかったのだけれど、その日の夜はあいにく飲み会が控えていて、帰宅したのは夜の11時を廻っていたので聴くのを断念。それからもずるずると聴く機会を逃したまま、漸く、きょうに至った訳である。
好きなミュージシャンやシンガーのアルバムがリリースされても以前のように心ときめかなくなったのはたしかだが、ロックは行き着くところまで行ってしまった感があるし、ソウルやR&B、レゲエそれに、ヒップホップもどこで線引きされているかが不明瞭なくらいにボーダレス化してしまった。そこにも以前のようなワクワク感が影を潜めた原因であるような気がしている。
とはいえ、僕の場合、気の置けないミュージシャンは必ずいて、今か今かと新作を待ち望む瞬間が決まって訪れるものだ。ボブ・ディランもその中の一人で、新作『TOGETHER THROUGH LIFE』もいつになくブルージーな彼の一面が垣間見られるアルバムに仕上がっている。3曲目に当たる、「MY WIFE'S HOME TOWN」なんかは、歌詞以外はまるでマディ・ウォーターズの「 I JUST WANT TO MAKE LOVE TO YOU」みたい(殆ど盗作)だし、随所にどこかで聴いたことのある懐かしさを感じる。車のバックシートで抱き合う男女のモノクロ写真がアルバムジャケットになった新作の帯びには、ボブ・ディランの「そしてぼくは自由になれた。」と題した自らのコメントが載せられている。
「ぼくの歌を聴く人たちは様々で、意見も多彩、初期の作品が好きだと言う人もいれば、もう少し後の作品が好きだと言う人もいる。キリスト教時代のものが良いとか、90年代の歌が良いという人もいたりして、最近はその歌がいつ作られたかなんて事にこだわらなくなってきたような気がする。歌そのものをストレートに感じ、受け入れてるから、強い思い入れで、勝手にイメージをふくらませたりはしない。歌の中に邪悪な占星術が出てきたとしても、それで世の中がどうにかなっちまうなんて思う人はいない。歌をそのまま、拡大解釈せずに受け取るようになり、そしてぼくは自由になれた。
ボブ・ディラン」
因みに僕はすべての時代のディランの作品が好きだ。こんな気持ちになったのも、僕がある程度の年齢(中年層)に達していながら、いまだに子供の部分をどこかに残している証なのだろう。何はともあれボブ・ディランが元気に新作をリリースできたことが何よりも嬉しい。出来るだけ長生きして、死ぬまで現役でいてくれよ。そんなエールをディランに送りたい心境である。