音盤工房

活字中毒&ベルボトムガール音楽漂流記

そしてぼくは自由になれた。

2009年05月31日 | インポート

Together_through_life_4

 つい3日前にアマゾンから届いたばかりのボブ・ディランの新作『TOGETHER THROUGH LIFE』を車の中で聴いている。自宅から職場までは凡そ30分。ロックのアルバムなら自宅から職場までの行き帰りの時間で一枚のアルバムを全曲聴くことが出来る。朝の通勤ラッシュ時だと新円山大橋が架かる道路と駅周辺は大変混雑する。それでもトヨオカの街中を抜け、そこから職場までは朝の混雑が嘘のように交通量は激減し、対岸が遙か向こうに見える円山川を見渡しながら通勤するこのひと時は、唯一生活の中で好きな音楽を満喫できる時間帯でもある。

 その日、職場から帰ると、自宅の僕の机の上にぽつんと到着したばかりのアマゾンからの小包が届いていた。すぐにも聴きたかったのだけれど、その日の夜はあいにく飲み会が控えていて、帰宅したのは夜の11時を廻っていたので聴くのを断念。それからもずるずると聴く機会を逃したまま、漸く、きょうに至った訳である。

 好きなミュージシャンやシンガーのアルバムがリリースされても以前のように心ときめかなくなったのはたしかだが、ロックは行き着くところまで行ってしまった感があるし、ソウルやR&B、レゲエそれに、ヒップホップもどこで線引きされているかが不明瞭なくらいにボーダレス化してしまった。そこにも以前のようなワクワク感が影を潜めた原因であるような気がしている。

トゥゲザー・スルー・ライフ(初回生産限定盤)(DVD付)

 とはいえ、僕の場合、気の置けないミュージシャンは必ずいて、今か今かと新作を待ち望む瞬間が決まって訪れるものだ。ボブ・ディランもその中の一人で、新作『TOGETHER THROUGH LIFE』もいつになくブルージーな彼の一面が垣間見られるアルバムに仕上がっている。3曲目に当たる、「MY WIFE'S HOME TOWN」なんかは、歌詞以外はまるでマディ・ウォーターズの「 I JUST WANT TO MAKE LOVE TO YOU」みたい(殆ど盗作)だし、随所にどこかで聴いたことのある懐かしさを感じる。車のバックシートで抱き合う男女のモノクロ写真がアルバムジャケットになった新作の帯びには、ボブ・ディランの「そしてぼくは自由になれた。」と題した自らのコメントが載せられている。

 「ぼくの歌を聴く人たちは様々で、意見も多彩、初期の作品が好きだと言う人もいれば、もう少し後の作品が好きだと言う人もいる。キリスト教時代のものが良いとか、90年代の歌が良いという人もいたりして、最近はその歌がいつ作られたかなんて事にこだわらなくなってきたような気がする。歌そのものをストレートに感じ、受け入れてるから、強い思い入れで、勝手にイメージをふくらませたりはしない。歌の中に邪悪な占星術が出てきたとしても、それで世の中がどうにかなっちまうなんて思う人はいない。歌をそのまま、拡大解釈せずに受け取るようになり、そしてぼくは自由になれた。

                                    ボブ・ディラン

 因みに僕はすべての時代のディランの作品が好きだ。こんな気持ちになったのも、僕がある程度の年齢(中年層)に達していながら、いまだに子供の部分をどこかに残している証なのだろう。何はともあれボブ・ディランが元気に新作をリリースできたことが何よりも嬉しい。出来るだけ長生きして、死ぬまで現役でいてくれよ。そんなエールをディランに送りたい心境である。

                           


そこにブルースがあるから…

2009年05月21日 | インポート

 直接記事とは関係のない話なのだが、トヨオカでは軒並み、商店街から人が消えている。これは大袈裟な表現ではなくマジな話。原因は例のインフルの影響によるものなのだろうが、その余波は公共施設にも及び、一部は当分の間、閉鎖を余儀なくされた。学校も休校になり、不況であれほど人で溢れに溢れていたハローワークまでもが閑散としている。

 今日は初夏を思わせる陽気であった。こんな陽気にもかかわらず、お店の精算所にはマスクをかけた従業員が立っている。おそらく、ウイルスをお客さんに移さない配慮というよりは、お客からウイルスを貰わない為の最善の方法なのだろうが、見ているとやはり異様な光景だよな。

 お店に入ると、「いらっしゃいませ」と近づいてくる男がいる。顔半分がマスクで覆われている為、表情は読みとれない。けれど、中年になると若いときにはなかった加齢臭や口臭がどうしても気になるので、つい、「そんなにオレは臭いのかよ」と妙な勘繰りをして睨みつけてしまう。半分は自己嫌悪で、半分が被害妄想。まったくいやな習性が身に付いたものだよな。するとその従業員は「何か?」というような顔をしてこっちを見るので、あわててなんでもないと、首を激しく横に振る。

 そんなことよりオレは、これを聴いていたいんだ。先ほどからテレビモニターから流れているロックンロール。

 地元にあるCDショップでは今でも忌野清志郎追悼コーナーがあって申し訳程度のアルバムが置かれた一角に恭しく追悼のコメントが載せられた記事のコピーが貼り付けられている。アルバムの数から言ってもいかにも清志郎の訃報を嘆くというよりも俄かに沸き起こったブームのように脚光を浴びているといった風にしか見えなかった。

入門編

 僕は、RCサクセションの頃はあまり良く知らなくて、熱心な清志郎ファンとはいえないけれど、当時からずっと気になっていた彼の「忌野清志郎」というネーミングはどうして生まれたのだろうか。忌野+清志郎。このふたつの真逆を意味する名前がどうも今でも心のなかを駆け巡っている。

 僕の車のプレーヤーにはいつも清志郎のベスト盤『入門編』が入れっぱなしになっている。彼の長いキャリアを思うと、とてもベスト・セレクトな選曲とは思えないけれど、瞬時にして彼のソロキャリアを振り返るにはいいかもしれない。ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のような「Sweet Lovin'」、オーティス・レディングのオマージュに溢れた「Baby何もかも」、そして僕がもっとも好きなこの曲が流れてくる。そしてなぜかしら目に涙が溢れてくる。大人になったらきっと永遠に泣かないものだと信じていた。でも現実には子供の頃より泣き虫になった自分がいる。なんでこの曲を聴くと泣けてくるのだろう。彼が生きていた頃は少しも悲しくなかったのに…

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Jump

スライ&ロビーがレゲエを陵辱する

2009年05月18日 | インポート

 そろそろ夏に聴くCDを物色するため、CDショップを覗いてみることにした。夏といえば、レゲエ。レゲエといえばボブ・マーリーなのだが、公式盤はすべて持っているし、企画盤はそんなに興味がある訳ではない。かといって、ほかに思い当たるミュージシャンはこれといってなく、仕方なく新譜を見渡していると、(おや、スライ&ロビーが出ているぞ)と手にとってみる。なになに、スライ&ロビーがJ-POPのカヴァー集を発表した?だと…その名も『Jパラダイス』。

Jパラダイス

 よりによって日本のミュージシャンとのコラボかよと思っていると、どうやら楽曲だけ日本のもので、歌っているのは外国ミュージシャンであるらしい。オイオイ、どうしちゃったんだ、スライ&ロビーのオッサン達よ。こんな予期せぬリリースがあると、(もしかしたらカネに困ってんのかな…)などと余計な心配をしてしまう。

 リリースの経緯は深くは詮索せず、とにかくNew Songに耳を傾けてみようか。宇多田ヒカルの「Automatic」である。この楽曲自体耳に馴染んでいるし、僕自身好きなナンバーであるので、選曲的にこの曲が入っているのは嬉しいけれど、どうも、神聖なレゲエを陵辱しているようで、僕にはすこし抵抗があるよな。

 なにはともあれ絶妙のタイミングでのこのリリースは意外だが、日本のヒット曲がこんな風にレゲエ風にアレンジされて売られると、なぜだか安っぽく見えてしまうのはなぜだろう。もっとも、「Automatic」以外の曲は聴いていないんだけれど、聴かなくとも容易に想像できてしまうから、この「Automatic」はよき判断材料になるだろうな。今度はもっとごつい連中との絡みを期待している。

 とにかくレゲエ界の大御所なんだから、もっと地に足のついた仕事をしてほしいものだ。J-POPだからダメだといっているんじゃないよ。そもそもJ-POPはレゲエとは相性が悪いんだ。だから僕は今回ばかりはこの新譜は買わないよ。これに比べたら、ハード・コア・ラップの『ザ・パニシャーズ』のほうがずっと良かった。

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SLY&ROBBIE : Automatic

日本国内新型インフルエンザ感染ニュースと映画『ハプニング』の私的考察

2009年05月17日 | インポート

 えらいことになったよ。今日、テレビで番組中にテロップが流れて阪神で新型インフルエンザの感染者が拡大しているそうだ。僕の住んでいる地域からはずいぶん離れているとはいえ、国内の発生第一号がこんなに近場からとは思わなかったよ。

 ん、でもまてよ、渡航経験のない人が感染しているということはつまり、うつした人間がいるってことだよな…。冗談じゃないよ、もしかしたらそのうつした人間だってマイ・ホームタウンの近くにいないとは限らないじゃないか。

 ということで町で擦れ違う人が何気にそうじゃないかという不信感が芽生えてしまうのはやむを得ぬ心理だし、俄かにウイルス予防用マスクをつけた人を見かけるようになったのもその報道の大きさを物語っている。

 でもなぜか騒いでるわりにウイルス自体が弱毒で、命の危険にさらされることはないなどと聞くと、知らず知らず警戒心は薄れてくる。世界的にみると確かに死者は出ているし、警戒レベルもフェーズ5に引き上げられた。それでも、なぜか大変なことが起きているという実感がないのは、感染者の症状も軽く、もっとも身近に罹患者がいないというのも僕がいまひとつ危機感が持てない理由なのかもしれない。

ハプニング (特別編) [DVD]

 つい先日、TSUTAYAから借りてきた『ハプニング』という映画を観た。ある日、公園で戯れる人々が次から次へと自殺を図る。無差別テロか…それとも原因不明のウイルスか判らないが、突然起こった変異に人々はパニックに陥る。これまでのこの手の映画だと、さしずめそれなりの原因があって、それに対処すべき道筋が用意されているものだが、この映画にはそれがまったくなく、ただ、バタバタと人が死んでいくだけの映画なのである。

 様々な仮定や憶測がその場その場で飛び交いながらも、そのいずれもが正しい方向に向かわず、次から次ぎへ理不尽な死に方で命を落としていく。時に笑ってしまうくらい絶望的で、先の見えないストーリーというのがこの映画の持ち味なのだけれど、一度観てしまうと二度目は辞退したいという気持ちにさせる映画だ。

 一組の男女と少女の行方がその後どうなるか―。死か、それとも生か―。最後の最後まで目が離せない映画だけれど、いまひとつ心に残らなかったのが残念だ。

 現実に戻れば、新型インフルエンザも人から人へ感染するうちに突然変異する恐れがあるから、国や自治体も警戒を緩めないよう呼びかけている。きっと、人類は戦争なんかよりもっと恐ろしい自然の兵器があることがわかっている。その恐怖が具現化されてついにはこんな救いようのない映画を作ってしまったんだろうな。でも人はしばらくするとそんなこともすぐに忘れてしまう。猛威は忘れた頃にやってくる。微熱があってもきっと保険所ではなく、真っ先に病院へ行くだろうな。いや、微熱だからこそ、病院へ行くんだ。人間、自分だけはそうじゃないと思っているだろうから…


きまぐれ読書探訪⑤~本読みを唸らせる傑作小説~

2009年05月16日 | インポート

 漸く、ジェフリー・ディーヴァーの『ボーン・コレクター』を読み切った。そこそこ長篇だったし、専門用語連発で難解な箇所も多々あったけれど、読者を飽きさせない仕掛けが一杯あって、なかなか読み応えがあった。初版が今から10年前に出たということだから作品的には一昔前なのだが、よくよく考えてみると、猟奇的殺人をモチーフにした作品が世に蔓延るようになったのは確かこの頃が初めなのだろう。

 ただ今こんな風な作品を書くと、ちょっと僕なんかはこの手の作品はやや食傷気味になっているので、やたらと飛び付かなくはなってきているが、それにしてもこの繊細で、揺るぎないプロットはさすが。おそらく日本ではこんな作品を書ける作家はとうぶん出ないな。技量の問題ではなく、たぶん根気の問題だよな。ここまでストーリーを拡げると、ややもすると収拾がつかなくなってしまう。映画でもさすがに原作を踏襲できなかったようで、映画は原作の縮小版といった感じかな。そもそも、この長篇小説は映画では収まりきらなかったということなのか。

ボーン・コレクター

 「ページを捲る指が止まらなかった」とか「寝不足を保障する作品」とか、今ではこんな使い古されたキャッチコピーが、これほど当て嵌まる小説もないのではないか。四肢麻痺の元科学捜査官をヒーローに仕立てるあたりもまさにアメリカ気質の作家ならではで、日本の作家がもしこうした身体的障害者を主人公にした場合は、周囲からブーイングの嵐を浴びて、業界に居ずらくなるんじゃないのかな。

 『ボーン・コレクター』。骨収集家…そんなタイトルに惑わされ、読者を間違った犯人像へ誘導する作家の意図もそれほどあからさまではないし、現場に遺された遺留品を手掛かりに、犯人を追い詰めていく警察のプロチームとそれを嘲笑うかのように犯行を重ねていくボーン・コレクターとの死闘を描いたこの作品は、映像的で、しかも今までにない発想と特異な英雄を作り出した傑作サスペンスだ。映画を観た後でも読めるって言うのはなかなかないだろうし、人間関係が克明に描かれており、映画にはなかったリンカーンとアメリアの甘い関係もきっちりと描かれていて、むしろ原作の小説の方がぞくぞくし、心震わせられた。久しぶりにごつごつした骨太の小説を読んだよ。でもとうぶんこの手の小説は読みたくない。次はもっと軽いものにしようと思っている。赤川次郎か、星新一あたりがいいな、…ロバート・B・パーカーの軽いハードボイルドもいいな…