トム・ウェイツの音楽に初めて接した人はいったい彼に対してどんな評価を下すだろうか。
ずっとそのことが気がかりで、つい僕の周りの人にはトム・ウェイツを話題にすることがなくて、彼の音楽に出会ってもうかれこれ二十年になるのにも関わらず、僕がトム・ウェイツの大ファンであることはひた隠しにして、ついぞ語ったことはなかったわけである。
そんなわけで僕がトム・ウェイツについて思いっきり語れるのはこのブログ上だけになってしまった。
トム・ウェイツの音楽性を時系列的に分析すると、アサイラム時代とアイランド時代以降に大きく分かれる。
ロックというよりジャズやブルースに傾倒していたアサイラム時代は 、時折、彼をジャズ歌手と錯覚するほどその歌声と曲は洒脱性に溢れていた。
基本的に彼が弾くピアノの弾き語りによる数多くの名曲達は、当時やはり同世代を疾駆し、若者から絶大な支持を受けていたビリー・ジョエルの音楽と重なる。
この場合のキーワードはジャズである。
最近になって僕は所有しているiPodに、トムのライヴ盤をまとめて収録した。
オフィシャルでは2010年現在で3枚のライヴ盤が発表されているけど、そのすべてを収録したわけである。
そして暇が出来ると、耳にイヤフォンをあてて聴いている。
もっとも古いものはアサイラム・レコードに残したサード・アルバムで、1975年に初のライヴ・アルバムとなる『娼婦たちの晩餐~ライヴ』が聴きやすくてお薦めだが、レコード会社が変わるたびにリリースしているライヴ音源にも注目だ。
アイランド・レコードで1988年に発表した『ビッグ・タイム』は、僕がトムに出会った直後の音源であり、もっとも親しみ深いライヴ盤だけれど、その音楽はロック・バンドによるものというよりも、何々楽団による演奏といったほうがちょうど当て嵌まってしまう。
1980年に現在のワイフであり、よき音楽パートナーであるキャスリーン・ブレナンと結婚したトムは彼女の影響により徐々に音楽性にも変化が見られるようになった。
彼の特異性のある歌声や音楽の作風はこのアイランド時代でがらりと変わり、その音楽はアヴァンギャルドで実験的な方向に向かっていくのである。
そして、彼が生み出す音楽 はアンタイ時代になり、パンク・ロック的要素も加わりよりヘヴィーさを増していく。
現在までで一番新しいライヴ盤が2008年の『グリッター・アンド・ドゥーム・ライヴ』である。
アンタイ・レコードでリリースされたこのアルバムは、「破壊された喉を持つ怪物が歌う狂気に満ちた歌声」と形容していいほど、息遣いさえ尋常ではないのだけれど、なぜかトム・ウェイツの音楽として成立してしまっているから不思議だ。
これら性格の異なる3枚のライヴ盤を聴くと、ミュージシャンとしてのトムの音楽的軌跡を一瞬のうちに掌握できてしまう。
『娼婦たちの晩餐~ライヴ』から『ビッグ・タイム』までは13年、『グリッター・アンド・ドゥーム・ライヴ』は実に『ビッグ・タイム』から20年後ということになり、ずいぶん野太くなった声質とリリース当初より、硬質を帯びたアレンジは、キース・リチャーズの影響なのかなとも思うし、きっとミュージシャン同士はお互い影響されながら音楽性を高めていくんだなと思った。
今や、キース・リチャーズにとって「興味深い男」から「双子」のような存在になったトム・ウェイツは、今後どこに向かうのであろうか。
その答えはきっと彼が残している最新ライヴ・アルバム『グリッター・アンド・ドゥーム・ライヴ』の中にこそあるような気がしている。
見世物小屋の袖から貌を覗かせる「怪物」の飼い主は、今度はいったいどんな見世物で僕達を驚かせてくれるのだろう。
その日が来るのを僕はじっと彼の音楽に耳を傾け、ただただ待つしかないのである。