昔、超多忙な職場にいた頃、世間でも「過労死」が取りざたされていました。
新聞記事で「また過労死!!何と280時間の残業」と・・・
T2の職場では・・・280時間か、まあしんどいわなぁ・・・ん?・・・年間?
あのなぁ・・・ワシらは月や月・・・月300時間以上残業しとるんや!!
誰か死ぬ予定の奴おるか?
と、みんなで笑っていたものです。
(もし、お知り合いの方等で過労死の経験をお持ちの方がおられましたら、申し訳ありません。単に時間の長短だけでなく労働の内容等に起因するモノであることは認識しております。そのような方々を罵倒する気持ちで書いているのでは毛頭ありませんのでご容赦ください。)
土曜日曜なんてありません。10月中旬から2月中旬まで、休みは1月1日の元旦だけです。(T2は元旦もほとんど出ていましたが・・・。)
昼間はヒアリングをして、夜から朝まで資料づくり。
T2もこの世界に入った1年目、当時は手書きでB5の資料を、1日に100枚ほどつくります。
まず指にタコができます。ペンに包帯を巻きます。指の関節が曲がったままになります。変な書き方をするので手首が、次に肘が・・・2月に入った頃には右手が動かなくなって、左手で資料をつくりました。
まとまって寝る時間はありません。
たまに自宅へ帰るタクシーの中の30分が唯一まとまった睡眠時間です。
昼間、ヒアリングをしているときに10分だけ気を失います。
「うとうと」するのではなく、自分がしゃべっている時に意識がなくなるのです。
全社的に大変な仕事だ、エリートの仕事だと認識されていたので目の前の人たちはT2が覚醒するのを黙って待ってくれます。
こんな生活をしていても、人間はプライドと仕事のゴールが明確であれば生きていけるんだなぁと自分でも感心しました。
T2作「初号機」 この凶暴さが好きです。
今、同じ仕事に携わっている若い人たち・・・T2は懐かい目で見ます。
今は、パソコンなので、作ってきてもらった資料を手直しして数字を入れれば必要な資料にリンクが張られ、昔一番多かった「転記間違い」もありません。
便利になったモノです。
もちろん今も大変な仕事には変わりはありませんが、彼らを見ていると当時の「乗り・高揚感」「体育会系の一体感」「達成感、楽しさ」といったモノが感じられません。
単に長時間拘束されると言うだけでなく、いずれも非常に問題を抱えたモノをいかに公平に裁き、より効果的な事業として仕立てていくか、そして、それをいかに短時間で理解し、魅力的なモノと分かる資料に仕上げ、説明するのか・・・動かせない期限までに自分を追い詰めるような仕事です。
人間、限界、せっぱ詰まると初めて出てくるアイデアがあります。
今、やれと言われても到底出来ないことを、経験出来たのは今のT2にとって大きな財産であると認識していますので、今この仕事に携わっている方々や同じような辛い仕事をされている方々にも、今のしんどさは将来の糧になることを意識して乗り切ってもらいたいと思います。
考えられない様な配色がマッチしています。
一昨日も例の訴訟の最終のシナリヲ、みんなにとって、よりハッピーな結末が、昼寝している時にひらめきました。電光石火でシナリヲを書き直し、出演者への交渉に走り回りました。
我ながらと絶賛できる名案、あっというまに納得させてしまう押しの交渉術も、この経験から得た自信が支えてくれていると思います。
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T2の書くモチベーションとポイントも上がり
ます。