翻訳者の散歩道

  ☆ 法律翻訳者の思考のあれこれ ☆
(「翻訳者になりたい人のためのブログ」を統合し「第ⅡBlog〇〇編」と表記)

ストレスは必要!?

2009年02月25日 | 健康
ずーっとストレスがない生活を夢見ていた。(笑)

しかし、専門家によれば・・・

  ストレスがないとボケる!

そうです。

そうだったのか!?

過度のストレスでシンドイ経験をした者としては、にわかには”シンジラレナ-イ”(←野球好きでないとこのギャグはわかりません。そう言えば、教室でのオヤジギャグもずいぶんと減った(~_~))

ストレスも適度なら望ましいってことでしょう。

しかし、「適度だ・・・」「まだ適度だぞ・・・」と思いながら、いつの間にか「過度」になるのが怖いかも。



つらい季節(今年も)+甲子園町

2009年02月19日 | 健康
花粉症、数日前から症状が悪化しています。

今年は花粉が多いと言われていたので、先月から薬を飲み始めました。

しかし、つらいです。一番酷使する目が開かない(笑)。

運動不足を解消すべく、散歩に出るのも完全防備。マスク+めがね+帽子は必需品です。
花粉の出ない杉の開発というニュースが出ていましたが、早くしてくれー(笑)。


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上記とは関係ないのですが
今日の朝日新聞の記事によれば、
「甲子園町1番」に本籍を置く人の数が多いそうですよ。

この番地は「甲子園球場の所在地」だそうで、トラの熱烈なファンがこの番地に本籍を移している可能性が高いそうです(@_@)
いやー、びっくりしました。そこまでするか(@_@)
と、いいながら、何を隠そう、昨年私が作った日英教材で戸籍謄本などをとり上げた際に、ちゃーんと「甲子園町」を使っております。(爆)
もっとも、他にも野球にちなんだ住所や人名など、たくさん出しておりまして、当時、生徒さん達の笑い(呆れ返った笑い!?)を誘ったものです。

あら、不思議、野球のことを書いている間は目のかゆみが止まりました。


浅間山噴火(続)

2009年02月09日 | 歴史
天明の大飢饉がもたらした損害は甚大でした。
封建制下の農民は土地に縛り付けられていたので餓死者が相当出ました。
即ち、封建時代においては、藩がひとつの独立国であり、容易に他の藩に移ることはできなかったわけです。
天明3年から4年にかけて、津軽藩で餓死81,700人、南部藩で餓死、病死64,700人、仙台藩では餓死40万人といわれています。

さて、ここでヨーロパに目を転じると、同じ年にアイスランドのラキ山が大爆発しています。この噴火は浅間山をこえるもので、灰がヨーロパを覆ったそうです。
そのラキ山から噴きあがった灰塵は浅間山の噴火による灰塵と合流!偏西風にのって地球を周回しました。
ヨーロパも農作物の不作に追い込まれ、小麦の凶作はパンの価格を高騰させ、1789年のフランス革命の引き金になったと言われています。
まことに、因果の連鎖は恐ろしいですね。

現在も、近く大地震が起こると予想されており、少しずつ準備をしておいた方がいいのでしょう。いえ、"するべき"ですか。


法令翻訳データ更新(民事執行法)

2009年02月06日 | 英語・翻訳
法令翻訳データに民事執行法が加わりました。

民事執行法はこちら。

☆ ご利用はご自分の判断と責任において ☆


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上記と全く関係ないので、野球に興味のない方は無視して下さい^_^;

WBCにむけて、投手は「汗を手でぬぐうな!」という指令が出たそうな。何でも不正投球と判断されるのをおそれるからとか。
・・・よくわかりません、これ。(>_<)<(_ _)>


浅間山噴火

2009年02月05日 | 歴史
先日、浅間山が噴火しました。
長野県と群馬県との境にあって、その北側は六里ヶ原という草原になっており、火山灰の土質で大きな樹木が育たず、山裾近く奇岩の連なる奇観景勝の地「鬼押し出し」があるのはご存知かと思います。
その鬼押し出しから北に6キロほど行ったところに鎌原観音堂がありますが、この観音堂には歴史的事件(?)があるようです。

1783年(天明3年)、日本は春から夏にかけての長雨により洪水の被害が各地で起こりました。実は、これはその後の破局の始まりだったのです。
その年の6月25日、浅間山が噴火。この爆発は1707年(宝永4年)の富士山の噴火と並び日本の火山噴火史上最も激しいものとされています。
浅間山はその日から爆発を続け、その鳴動は北海道から京都、大阪に至るまで響き渡ったとされていますから驚きです。
そして、火砕流は六里ヶ原の森林を焼き尽くしながら進み、あっという間に鎌原村を襲いました。その火砕流のスピードは時速100kmとか。

さて、その鎌原村の外れに観音堂がありました。
生き残った村人は観音堂を目指して小高い丘を上ります。
最後に老女を背負った若い女性(母娘という説も)が丘の下の階段にたどり着きました。階段を上りかけたその時、火砕流が追いつき、一瞬に二人を飲み込んでしまったのです。
観音堂に続く15段の階段を残して。(この階段は2009年の噴火ニュースの映像でも紹介されておりました。)
  “天明の生死を分かつ十五段”

その後も、火砕流は多くの人の命を飲み込んでいきました。
最後に火口から溶岩を噴出し、この溶岩は鎌原の火砕流の上に30mの厚さで堆積し黒灰色にかたまり、奇奇怪怪の岩だらけ原野となったのです。これが上記でも触れた“鬼押し出し”です。

さらに、この浅間山の噴火は天明時代の悲劇の幕開けでもありました。
噴火は2ヶ月も続き、噴き上げられた灰塵などの微粒子は時には上空15,000mにまで達したといわれ、そのまま浮遊。その結果、フィルターになって太陽の恵みを遮断してしまいました。つまり、稲作を中心とした農作物に大きな損害を与え、未曾有(←読めますね?)の大凶作となり、いわゆる「天明の大飢饉」につながっていくのです。

 (この項、続く)