翻訳者の散歩道

  ☆ 法律翻訳者の思考のあれこれ ☆
(「翻訳者になりたい人のためのブログ」を統合し「第ⅡBlog〇〇編」と表記)

灰となった都市国家カルタゴ

2007年05月30日 | 歴史
カルタゴの滅亡は史上空前絶後の悲劇でした。

今回は、カルタゴの歴史をチョコッとまとめてみようと思います(^_^)

まず、カルタゴ興亡の輪郭の描写を下記の本からお借りします。

 ☆ 「カルタゴ」アランロイド著(木本彰子訳)から。
今日、ハンニバル海岸に立ち、かつてカルタゴ市があったあたりを眺めてもそこには西欧世界最大の商業中心地があったとはとても信じられない。このけだるい黄褐色の海岸から、船乗りが北海の霧に閉ざされた謎の地チュールをめざして漕ぎだし、商人が黄金を求めてサハラの奥地へと赴き、武将たちが戦象隊をひきいて遥かなる戦場へと出発した光景など想像すべくもない。カルタゴほど栄えた都市が、かくも徹底的に、かくも暴力的に壊滅された例があっただろうか。遺跡すらほとんど残っていないのである。すぐれた文明を持ち、栄華をきわめた都市が忽然と地球上から姿を消し去ったのである。☆

カルタゴ―古代貿易大国の滅亡

河出書房新社

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上記の引用をお読みになればカルタゴの興亡の物語の輪郭をつかめると思いますが、歴史的あらすじをちょこっと(^_^)

カルタゴは、BC814、(現在の)レバノンからやってきたフェニキア人の殖民により建国されました。彼らは、陸上の外的の脅威を避けて、生存と繁栄を海洋進出に求めます。
イベリア半島のスペインの一帯が彼らの主な交易国で、貴金属や鉱石を安く買い入れ、東に持ち帰ってこれを売り、巨大な富を手にしたのです。
ところで、レバノンからスペインの間の航行距離は片道6000kmもあり、その間には中継基地が必要になります。⇒その1つが現在のチュニジアです。穏やかな気候と肥沃な土壌に恵まれ天然の良港があり、これが都市国家カルタゴなのです。

地図をご覧になればお分かりになると思いますが、全地中海を制圧する中央に位置しており、イタリア半島の長靴の先の方とはシチリアをはさんで対峙しています。
こう見ると、ローマとカルタゴの対立が起こらない方が不思議ですね。
争いは、ギリシャを含む3国間でシチリア島の争奪から始まります。

----続く----




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