こんばんわ。しょくです。
今日は珍しくまじめな歴史のお話です。
私の住んでいる安城市はいろいろな町村が合併して出来ました。
安城合併の歴史は以下の通りです。
①1906年(明治39年)5月1日
安城村・里村・箕輪村・福釜村・赤松村・今村・古井村・平貴村と、
長崎村篠目
碧海郡安城町が誕生
②1952年(昭和27年)5月5日
碧海郡安城町が市制施行。安城市誕生へ
③1955年(昭和30年)4月1日
碧海郡明治村の一部(大字東端、根崎、榎前、和泉、城ケ入、石井)
碧海郡依佐美村の一部(大字井杭山、二本木、高棚)
安城市に編入
④1960年(昭和35年)1月1日
岡崎市の一部(尾崎、柿碕、橋目、宇頭茶屋、河野)
安城市に編入
⑤1967年(昭和42年)4月1日
碧海郡桜井町
安城市に編入
このように合併を繰り返して大きくなった安城市。
なので合併以前(かなり前だけど)私が住んでいるところはが、
安城の最南端地域でした。
その安城南部の古い井戸の話がこちらです。
『 七 つ 井 』
その昔、安祥城二代当主 松平 長親(松平家では 五代目)が
茶道で使う水を求め、安祥城近くの綺麗な湧き水が出る井戸を
七つ選び、その名が付きました。
安祥城は歴史の詳しい人ならわかりますね。
織田信秀軍(織田信長の父)と今川義元軍が戦った
安祥合戦(安城合戦とも言うみたい。)の記録があります。
家康四天王の一人、本多忠勝の父、
本多忠高が戦死した戦いでもあります。(分かりにくいかな)
でも、 市の文化財指定を受けていないと思われます。
なんてったって、うちの近くの井戸なんて跡形も有りませんから。
僕が子供の頃、ある会社の倉庫が出来たときに埋められてしまいました。
石碑も何処へ行ったのやら。
子供でありながらかなりショックを受けました。
うちに井戸あるから、たぶん埋められたここと同じ水脈かなとは
勝手に思っています。
ささいな歴史物ですが、
こういうのも大切に残して欲しいものですね。
あなたの町の小さな歴史遺産、何かありますか?
では。
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あれで有名?
近隣の市が一豊誕生地はわが町って言い初めて、、、
小さい頃に住んでた所は他所ですけどね。
http://www.jtb.co.jp/kokunai/theme/history/kazutoyo/index.asp?Dest=01&CityCode=01
結局、木曽川町で生まれたのか岩倉市で生まれたのかどっちが有力なんです?
木曽川町っぽい気が僕はするんですが・・・。
普通は一豊の母の実家で生むでしょう。
育ったのは木曽川の黒田城に間違いないんだけどね。
っで、黒田城が焼けて親戚とか家来の居た岩倉に来て
その時、一豊に名前が変わるのよね。
一豊の母の実家ってどこだったんですか?
岩倉なのかな?すみません。知識がなくて。
お城の規模にもよりますが、確か徳川家康は岡崎城内で生まれたと思いますよ。
でも、武田信玄は躑躅が館ではなく、もう少し安全な場所であった要害山城だったな。
豊田の松平郷の松平東照宮の境内に家康の産湯の井戸跡がありますののね。
岡崎城にも産湯を使ったって場所もあるしね。
信玄は要害山の麓にある積翠寺で生まれたことになってますね。
僕の記憶はダメですね。
松平東照宮内に産湯の井戸跡があるなんて知らなかった。
でも、あの歴史背景的には松平はない気もしますが・・・。
信玄はやられました。
要害山の麓にある積翠寺で生まれたんだ。
また歴史の本でも読んで勉強しなおさなくちゃいけないな、こりゃ。
りません、、。
確かに今の錦町は都会ですが、歴史建造物は思い当たりません。
安城市自体が、明治用水が引かれるまでは、原っぱでしたから。
今の安城市で一番歴史が古いのは、やはり桜井や小川の遺跡群でしょうか。
やはり古墳があるのはすごいと思います。
あんなの一人じゃ作れませんから。
元々安城は、刈谷と岡崎に挟まれた(いずれも城下町)市なので、
残念な所があります。
安城市民としてさみしいですわ。