しょく日記。

三河地方をこよなく愛するしょくが、ささいな出来事から温泉レポ、旅日記、親バカ奮闘記などをつづった日記です。

安城合併の歴史から小さな歴史遺産「七つ井」まで

2008年04月09日 | 歴史

 日記@BlogRanking  

こんばんわ。しょくです。

 

今日は珍しくまじめな歴史のお話です。

私の住んでいる安城市はいろいろな町村が合併して出来ました。

安城合併の歴史は以下の通りです。

 

①1906年(明治39年)5月1日

  安城村・里村・箕輪村・福釜村・赤松村・今村・古井村・平貴村と、

  長崎村篠目

  碧海郡安城町が誕生 

②1952年(昭和27年)5月5日

  碧海郡安城町が市制施行。安城市誕生へ 

③1955年(昭和30年)4月1日

   碧海郡明治村の一部(大字東端、根崎、榎前、和泉、城ケ入、石井)

   碧海郡依佐美村の一部(大字井杭山、二本木、高棚)

  安城市に編入 

④1960年(昭和35年)1月1日

   岡崎市の一部(尾崎、柿碕、橋目、宇頭茶屋、河野)

  安城市に編入 

⑤1967年(昭和42年)4月1

   碧海郡桜井町

  安城市に編入 

 

このように合併を繰り返して大きくなった安城市。

なので合併以前(かなり前だけど)私が住んでいるところはが、

安城の最南端地域でした。

 

その安城南部の古い井戸の話がこちらです。

       『 七 つ 井 』

その昔、安祥城二代当主 松平 長親(松平家では 五代目)

茶道で使う水を求め、安祥城近くの綺麗な湧き水が出る井戸

七つ選び、その名が付きました。

 

安祥城は歴史の詳しい人ならわかりますね。

織田信秀軍(織田信長の父)と今川義元軍が戦った

安祥合戦(安城合戦とも言うみたい。)の記録があります。

家康四天王の一人、本多忠勝の

本多忠高が戦死した戦いでもあります。(分かりにくいかな

でも、 市の文化財指定を受けていないと思われます。

なんてったって、うちの近くの井戸なんて跡形も有りませんから。

僕が子供の頃、ある会社の倉庫が出来たときに埋められてしまいました。

石碑も何処へ行ったのやら。

子供でありながらかなりショックを受けました。

うちに井戸あるから、たぶん埋められたここと同じ水脈かなとは

勝手に思っています。 

ささいな歴史物ですが、

こういうのも大切に残して欲しいものですね。

 

あなたの町の小さな歴史遺産何かありますか?

では。

 

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