人生の謎学

―― あるいは、瞑想と世界

古代ギリシアの元素観

2008-11-07 00:20:20 | 科学・宇宙論
前八世紀、ホメロスは『イーリアス』のなかで「水の神オケイアス」を万物の根源として神格化しました。その二世紀後、哲学者タレスが水そのものを、始源「アルケー」と考え、万物は水でできていると定義しました。
ミレトス学派の始祖、哲学者タレスは、万象に神々が遍在していると考え、水をアルケーとして、大地は水の上に浮かんでいると考えました。イオニア学派の自然哲学では、アルケーは自然――フュシスにおける根本的物質であり、活きて自ら運動し、生成変化することで万物を生ずると考えられました。
このアルケーの一元論は、現象界における多くの実在やその生成変化を認めたため、真に存在するのは不変不滅、不生不可分の「在るもの」だけであるとしたエレア学派のパルメニデスらによって、いったんは否定されますが、後に多数の根本物質を認めるエンペドクレス、あるいはアナクサゴラスらの主張によって、原子論の宇宙観は復活することとなります。
前五世紀のエンペドクレスは、アルケーを地・水・火・風とし、この四元素が結合したり分離したりして、世界のいろいろな状態が現出するとし、多元論の立場から宇宙の構造を解釈しました。
アナクサゴラスによれば、アルケーはそれぞれ性質の異なる種子――スペルマタであり、世界の初めは、これらの種子全体が入り混じった混沌とした状態だったが、精神――ヌースがその混沌状態に旋回運動を与えて分離させたので、秩序ある世界が創られたのです。そして、あらゆるものはアルケーの全種類の種子を含むが、その配合の比率によって、その物質が何であるかが決定されるとしました。
アルケーを分割できないものとしてとらえ、自然の連続説に対する不連続説として説いたのがデモクリトスです。彼はアルケーを不生、不滅、不変のアトムと規定し、アトムの数は無限であるが、形態と位置によってそれぞれ異なっていると考えました。つまりアトムは、空間を運動しており、その離合集散によって、万物が生成、または消滅するわけです。デモクリトスはまた、魂の実在を一種の火として説明し、それは球形のアトムから成っており、肉体と同様に死滅するとも説きました。
若くしてデモクリトスの原子論を学んだエピクロスは、その倫理思想をも取り込んで彼の思想の骨格を形成しました。エピクロスは、真の実在を、不壊の究極的実体であるところの原子――アトマと、原子が運動する場所であるところの空虚――ケノンによって説明し、原子の本来的運動は、上から下への落下運動であるとして、そのさい、原子に不定の彷徨――パレンクリシスが起こるので、原子相互間の衝突が生じ、世界が生成すると考えたのです。そして、物体も、神々も、人間の霊魂も、すべて原子の結合物にすぎないとしました。さらには認識も、物体の放射する原子と人間の魂を構成する原子との接触に他ならず、死とは魂を含めた人間を構成する原子結合体の分解散逸なので、あらゆる認識は死と同時に消滅すると主張しました。


〈古代ギリシアの元素観〉_1

〈古代ギリシアの元素観〉_2

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