人生の謎学

―― あるいは、瞑想と世界

寺山修司の短歌 ―― 1

2012-02-11 04:51:47 | 日本文学
 昭和十年青森県生まれの寺山修司は、青森高校時代に俳句雑誌『牧羊神』を創刊、全国学生俳句会議を組織した翌年の昭和二十九年(1954)に早大に入学し、十一月に『チエホフ祭』の五十首で『短歌研究』第二回新人賞を受賞した。

  一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき
  桃いれし籠に頬髭おしつけてチエホフの日の電車に揺らる
  チエホフ祭のビラのはられし林檎の木かすかに揺るる汽車過ぐるたび
  莨火を床に踏み消して立ちあがるチエホフ祭の若き俳優
  向日葵は枯れつつ花を捧げをり父の墓標はわれより低し

 ――みずみずしく、あざやかな叙情性が印象的である。『短歌研究』第一回の受賞作、中城ふみ子の『乳房喪失』が死のイメージを暗示して鮮烈だっただけに、寺山修司のデビューは燦然と光に包まれて輝いていた。寺山修司はまだ十八歳だった。しかしこの年に、寺山は混合性肝臓炎のため入院している。そして退院後、今度はネフローゼを発病するのである。

《寺山修司はかつて十八歳であつた。この自明の事実をことさらに言はねばならぬほど、彼の十八歳は光にみち、天才のサブ・タイトルとしての早熟をきらびやかに具現してゐた。彼が最初に嫉妬したのがレーモン・ラディゲであることも、至極当然のことであつたし、さらに言へばその嫉妬は逆であつて、寺山の若書の天衣無縫の神聖詐術の見事さは、むしろ死者をして妬ませるばかりだつた。》(「アルカディアの魔王 寺山修司の世界」――塚本邦雄)

 翌年、生活保護法によって社会保険中央病院に入院を余儀なくされた寺山は、やがて病状が悪化して面会謝絶となり、次の年をむかえる。この入院期間中に、同病室の韓国人に賭博や競馬の愉しみを教えられ、昭和三十三年の夏に退院して一時青森に帰るものの、再上京後、新宿諏訪町の六畳間のアパートを借り、ノミ屋の電話番などの仕事をはじめる。
 前後するが、昭和三十二年一月、中井英夫の協力があって第一作品集『われに五月を』を刊行、七月には散文詩集『はだしの恋唄』をまとめ、翌年六月に第一歌集『空には本』を出版する。

  赤き肉吊せし冬のガラス戸に葬列の一人としてわれうつる
  地下室の樽に煙草をこすり消し祖国の歌も信じがたかり
  地下室にころげて芽ぐむ馬鈴薯と韓人の同志をそれきり訪わず
  わが窓にかならず断崖さむく青し故郷喪失しつつ叫べず
  さむきわが射程のなかにさだまりし屋根の雀は母かもしれぬ
  冬菜屑うかべし川にうつさるるわれに敗者の微笑はありや
  頬つけて玻璃戸にさむき空ばかり一羽の鷹をもし見失わば
  わが野生たとえば木椅子きしませて牧師の一句たやすく奪う
  われの神なるやも知れぬ冬の鳩を撃ちて硝煙あげつつ帰る
  轢かれたる犬よりとびだせる蚤にコンクリートの冬ひろがれり
  ひとり酔えば軍歌も悲歌にかぞうべし断崖に町の灯らよろめきて
  町の空つらぬき天の川太し名もなき怒りいかにうたえど
  にんじんの種子吹きはこぶ風にして孤児と夕陽とわれをつなげり
  夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず
  跳躍の選手高飛ぶつかのまを炎天の影いきなりさみし
  群衆のなかに故郷を捨ててきしわれを夕陽のさす壁が待つ
  目つむりて春の雪崩をききいしがやがてふたたび墓掘りはじむ
  わけもなく海を厭える少年と実験室にいるをさびしむ
  ねむりてもわが内に棲む森番の少年と古きレコード一枚

『空には本』には「チエホフ祭」、「冬の斧」、「直角な空」、「熱い茎」、「祖国喪失」などが含まれている。さらに昭和三十六年ころまでに、寺山修司は戯曲『血は立ったまま眠っている』、小説『人間実験室』、ラジオ・ドラマ『中村一郎』、『星に全部話した』、『大人狩り』、テレビ・ドラマ『Q』、『家族あわせ』など、おびただしい作品を発表していった。そのどれもが話題となり、衝撃的で新しかった。

《芸術の諸ジャンルにはそれぞれを劃る不可視の牆壁があるらしく、それに妨げられずに自在に創造力を発揮した芸術家は、古来意外に数多くはない。本職が別にあつてその方も堪能だつたとか、余技が神技に達したと言ふのならこの限りではなく、レオナルド・ダ・ヴィンチの自然科学に機械工学、アマディウス・ホフマンの法律とオペラ、さてはビアズレーの小説にブレイクの絵、そこまで来れば蕪村らの文人画などもあつて、例証に事欠くものではないが、ジャンルを言語芸術内の諸形式に限つてみても、傑れた評論家は拙劣な詩人であつたり、卓抜な俳人が愚昧な小説家であつたり、非凡の劇作家が悲惨な歌人であつたりする場合が、実例の枚挙は別として、通例であり得た。天は二物を与へるのに際して異常に吝かであつたのだ。ところがその天が時によつては法外な大盤振舞をすることがあつて、その被饗応者を人人は天才とか超人とか呼びたがる。私も亦たとへば寺山修司をさう呼びたがつた一人だし、今も呼ぶことをやめてはゐない。クロニクル風に言へば、俳句、短歌、詩劇、小説、戯曲の順に、彼はその鬼才ぶりを示して来た。評論、散文詩、ルポルタージュ等はその各形式の背後で着着と形成されて来たし、派生的な産物シナリオ、歌謡等は戯曲、散文詩の中に含めて評価してよいだらう。そしてこれらはすべてその辺の文学青年の出来心的偶発作品ではなく、一つ一つに傑作、代表作があり、厳然とした寺山修司独りの世界があり、その時代の典型たり得てゐる。私は彼を天才、鬼才と呼び、この後もさうあつてほしいと希望するが、同時に彼を秀才と呼んだことも冀つたことも、まだ一度もない。秀才と呼ぶあの一度も地獄を見たことのない、渾沌も虚無も、不条理も反社会も、惑乱も耽溺も、わが事に非ずと姿勢を正した合理主義の化物のシンボルを、私はかつて信じたことも愛したこともない。そして“芸術”はこの幸福な社会をかたちづくるためのエリート秀才の手で、連綿と守られ続けて来た。生ける験(しるし)ある幸福な社会の芸術に食傷して、死んだ方がましと考へざるを得ぬ理由がここにあつだのではなからうか。さらに言へば、死んだ方がましと叫ぶ者に、殺してやらうと立ちはだかる芸術家がゐたとすれば、それも単なる秀才の裏返し、偽物のメシア、知的アウトロウの変形にすぎないだらう。死にたい者をせせら笑つて、温か彼方で死の最高の方法を示し、また生の恍惚を暗示するに止まるなら、彼らも,“単なる”天才、鬼才を一歩も出ることはない。
 あるひはまた、地獄への案内人、天国への誘導者として完璧であることも、天才、鬼才の全的なイメージには合致しない。その称号はつひに、芸術家自身が天国即地獄の存在にまで昇華または失墜を遂げるまで僣称と言ふべきなのだ。》(「アルカディアの魔王 寺山修司の世界」――塚本邦雄)

 周知のとおり、昭和四十二年に演劇実験室《天井桟敷》を組織して旺盛な前衛劇活動をつづけたが、昭和五十八年に四十七歳で死去する。短歌、俳句、詩劇、小説、戯曲などのほか、評論、散文詩、ルポルタージュなども手がけ、さらにはシナリオ、歌謡曲の作詞などもこなした。これら数多くの各分野において、それぞれ傑作があり、代表作があり、きわめて豊穣な寺山修司の世界がある。

 ――寺山修司の初期歌篇に、以下のような歌がある。

  ・とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を
  ・海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげたり
  ・そら豆の空一せいに鳴る夕母につながるわれのソネット
  ・草の穂を噛みつつ帰る田舎出の少年の知恵は容れられざりし
  ・草の笛吹くを切なく聞きており告白以前の愛とは何ぞ
  ・煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし
  ・ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らん
  ・ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし
  ・倖せをわかつごとくに握りいし南京豆を少女にあたう
  ・灯台に風吹き雲は時追えりあこがれきしはこの海ならず
  ・歳月がわれ呼ぶ声にふりむけば地を恋う雲雀はるかに高し
  ・川舟の少年われが吐き捨てし葡萄の種子のごとき昨日よ
  ・カナリアに逃げられし篭昏れのこりわが誕生日うつむきやすく
  ・遠き帆とわれとつなぎて吹く風に孤りを誇りいし少年時
  ・雉子の声やめば林の雨明るし幸福はいますぐ掴まねばならぬ
  ・人間嫌いの春のめだかをすいすいと統べいるものに吾もまかれん
  ・怒るときひかる蜥蜴の子は羨しわが詩は風に捨てられゆくも
  ・失いし言葉かえさん青空のつめたき小鳥撃ちおとすごと
  ・帆やランプ小鳥それらの滅びたる月日が貧しきわれを生かしむ
  ・膝まげて少年眠る暗き厦がわが内にありランプ磨けば
  ・漂いてゆくときにみなわれを呼び空の魚と言葉と風と
  ・たれかをよぶわが声やさしあお空をながるる川となりゆきながら
  ・駆けてきてふいにとまればわれをこえてゆく風たちの時を呼ぶこえ
  ・君のため一つの声とわれならん失いし日を歌わんために
  ・夜にいりし他人の空にいくつかの星の歌かきわれら眠らん
  ・青空に谺の上にわれら書かんすべての明日に否と書かんと
  ・空撃ってきし猟銃を拭きながら夏美にいかに渇きを告げん
  ・どのように窓ひらくともわが内に空を失くせし夏美が眠る
  ・青空より破片あつめてきしごとき愛語を言えりわれに抱かれて
  ・わがカヌーさみしからずや幾たびも他人の夢を川ぎしとして
  ・青空と同じ秤で量るゆえ希望はわかしそら豆よりも
  ・一本の樫の木やさしそのなかに血は立ったまま眠れるものを
  ・空を遂われし鳥・時・けものあつまりて方舟めけりわが玩具箱
  ・実らざる鳥の巣ひとつ内にもつ少年にして跛をひけり
  ・たそがれの空は希望のいれものぞ外套とビスケットを投げあげて
  ・屠りたる野兎ユダの血の染みし壁ありどこを向き眠るとも
  ・一枚の羽根を帽子に挿せるのみ田舎教師は飛ばない男
  ・空は本それをめくらんためにのみ雲雀もにがき心を通る
  ・わが空を売って小さく獲し希望蛙のごとく汗ばみやすし
  ・わが内に獣の眠り落ちしあとも太陽はあり頭蓋をぬけて

 二十二歳の歌集『空には本』の中から――。

  ・桃うかぶ暗き桶水替うるときの還らぬ父につながる想い
  ・音立てて墓穴ふかく父の棺下ろさるる時父目覚めずや
  ・桃太る夜はひそかな小市民の怒りをこめしわが無名の詩
  ・叔母はわが人生の脇役ならん手のハンカチに夏陽たまれる
  ・言い負けて風の又三郎たらん希いをもてり海青き日は
  ・路地さむき一ふりの斧またぎとびわれにふたたび今日がはじまる
  ・ゆくかぎり枯野とくもる空ばかり一匹の蝿もし失わば
  ・銃声をききたくてきし寒村のその一本に尿まりて帰る
  ・外套のままのひる寝にあらわれて父よりほかの霊と思えず
  ・硝煙を嗅ぎつつ帰るむなしさにさむき青空撃ちたるあとは
  ・胸冷えてくもる冬沼のぞきおり何に渇きてここまで来しや
  ・だれの悪霊なりや吊られし外套の前すぐるときいきなりさむし
  ・北へはしる鉄路に立てば胸いづるトロイカもすぐわれを捨てゆく
  ・赤き肉吊せし冬のガラス戸に葬列の一人としてわれうつる
  ・地下室の樽に煙草をこすり消し祖国の歌も信じがたかり
  ・地下室にころげて芽ぐむ馬鈴薯と韓人の同志をそれきり訪わず
  ・わが窓にかならず断崖さむく青し故郷喪失しつつ叫べず
  ・さむきわが射程のなかにさだまりし屋根の雀は母かもしれぬ
  ・冬菜屑うかべし川にうつさるるわれに敗者の微笑はありや
  ・頬つけて玻璃戸にさむき空ばかり一羽の鷹をもし見失わば
  ・わが野生たとえば木椅子きしませて牧師の一句たやすく奪う
  ・われの神なるやも知れぬ冬の鳩を撃ちて硝煙あげつつ帰る
  ・轢かれたる犬よりとびだせる蚤にコンクリートの冬ひろがれり
  ・ひとり酔えば軍歌も悲歌にかぞうべし断崖に町の灯らよろめきて
  ・町の空つらぬき天の川太し名もなき怒りいかにうたえど
  ・にんじんの種子吹きはこぶ風にして孤児と夕陽とわれをつなげり
  ・夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹どこまでゆけどわが影を出ず
  ・跳躍の選手高飛ぶつかのまを炎天の影いきなりさみし
  ・群衆のなかに故郷を捨ててきしわれを夕陽のさす壁が待つ
  ・目つむりて春の雪崩をききいしがやがてふたたび墓掘りはじむ
  ・わけもなく海を厭える少年と実験室にいるをさびしむ
  ・ねむりてもわが内に棲む森番の少年と古きレコード一枚
  ・マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
  ・鼠の死蹴とばしてきし靴先を冬の群衆のなかにまぎれしむ
  ・群衆のなかに昨日を失いし青年が夜の蟻を見ており
  ・外套のままかがまりて浜の焚火見ており彼も遁れてきしか
  ・コンクリートの舗道に破裂せる鼠見て過ぐさむく何か急ぎて
  ・何撃ちてきし銃なるとも硝煙を嗅ぎつつ帰る男をねたむ
  ・マラソンの最後の一人うつしたるあとの玻璃戸に冬田しずまる
  ・その思想なぜに主義とは為さざるや酔いたる脛に蚊を打ちおとし

 そして昭和三十九年刊の歌集『田園に死す』には――。

  ・新しき仏壇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥
  ・兎追ふこともなかりき故里の銭湯地獄の壁の絵の山
  ・売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき
  ・町の遠さを帯の長さではかるなり呉服屋地獄より嫁ぎきて
  ・夏蝶の屍ひそかにかくし来し本屋地獄の中の一冊
  ・生命線ひそかに変へむためにわが抽出しにある 一本の釘
  ・暗闇のわれに家系を問ふなかれ漬物樽の中の亡霊
  ・中古の斧買ひにゆく母のため長子は学びをり 法医学
  ・いまだ首吊らざりし縄たばねられ背後の壁に古びつつあり
  ・ほどかれて少女の髪にむすばれし葬儀の花の花ことばかな
  ・亡き母の真赤な櫛で梳きやれば山鳩の羽毛抜けやまぬなり
  ・亡き母の位牌の裏のわが指紋さみしくほぐれゆく夜ならむ
  ・トラホーム洗ひし水を捨ててゆく真赤な椿咲くところまで
  ・鋸の熱き歯をもてわが挽きし夜のひまはりつひに 首無し
  ・子守唄義歯もて唄ひくれし母死して炉辺に義歯のこせり
  ・てのひらの手相の野よりひつそりと盲目の鴨ら群立つ日あり
  ・生くる蝿ごと燃えてゆく蝿取紙その火あかりに手相をうつす
  ・かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭
  ・桃の木は桃の言葉で羨むやわれら母子の声の休暇を
  ・ひとに売る自伝を持たぬ男らにおでん屋地獄の鬼火が燃ゆる
  ・ひとの故郷買ひそこねたる男来て古着屋の前通りすぎたり
  ・青麦を大いなる歩で測りつつ他人の故郷売る男あり
  ・亡き父の歯刷子一つ捨てにゆき断崖の青しばらく見つむ
  ・吸ひさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず
  ・漫才の声を必死につかまむと荒野農家のテレビアンテナ
  ・東京の地図にしばらくさはりゐしあんまどの町に 指紋をのこす?
  ・鋏曇る日なり名もなき遠村にわれに似し人帰り来らむ
  ・挽肉器にずたずた挽きし花カンナの赤のしたたる わが誕生日
  ・田の中の濁流へだてさむざむとひとの再会見てゐたるなり
  ・針箱に針老ゆるなりもはやわれと母との仲を縫ひ閉ぢもせず
  ・おとうとの義肢作らむと伐りて来しどの桜木も桜のにほひ
  ・とばすべき鳩を両手でぬくめれば朝焼けてくる自伝の曠野
  ・少年の日はかの森のゆふぐれに赤面恐怖の木を抱きにゆく
  ・鶏頭の首なしの茎流したる川こそ渡れわが地獄変
  ・地球儀の陽のあたらざる裏がわにわれ在り一人青ざめながら


■寺山修司の未発表短歌











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