■私は「奇跡の奇跡」という概念を大切にしています。「私がこれまでに経験してきた、合理的な説明が困難な出来事は、一つや二つではない。科学的にどう解釈しようが、それらの体験のうちには、どう考えても不合理な要素が残存するのである。それだから私は、奇跡や奇跡的な出来事というのは、やはり存在するのではないかと考えるしかないのである。――このとき、度重なる私の不可解な経験が『奇跡の奇跡』なのである。」
「私が考えるもっとも上質な『奇跡の奇跡』は、度重なる奇跡のすえに、それが減衰するという奇跡である。それは〈不死〉の消失点をめざす。それは無限遠点かに思われるが、減衰した『奇跡の奇跡』にとってはそうではない。それは従世界の内側にエッジを形成する自我、意識のまくれかえった直線である。」――もちろんこれだけでは、度重なる奇跡のすえに減衰する「奇跡の奇跡」がなぜ最良の奇跡なのか、説明を回避しているも同然です。この問題は詳述するにたる興味深い内容をふくんでいますから、いずれ近いうちにテキスト化するつもりでいます。
〈奇跡の奇跡〉_1
〈奇跡の奇跡〉_2
〈奇跡の奇跡〉_3
〈奇跡の奇跡〉_4
〈奇跡の奇跡〉_5
■偏愛的年表
「私が考えるもっとも上質な『奇跡の奇跡』は、度重なる奇跡のすえに、それが減衰するという奇跡である。それは〈不死〉の消失点をめざす。それは無限遠点かに思われるが、減衰した『奇跡の奇跡』にとってはそうではない。それは従世界の内側にエッジを形成する自我、意識のまくれかえった直線である。」――もちろんこれだけでは、度重なる奇跡のすえに減衰する「奇跡の奇跡」がなぜ最良の奇跡なのか、説明を回避しているも同然です。この問題は詳述するにたる興味深い内容をふくんでいますから、いずれ近いうちにテキスト化するつもりでいます。
〈奇跡の奇跡〉_1
〈奇跡の奇跡〉_2
〈奇跡の奇跡〉_3
〈奇跡の奇跡〉_4
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