人生の謎学

―― あるいは、瞑想と世界

マルコムXの軌跡

2015-08-25 16:28:05 | 評伝
マルコム・リトル――後のマルコムX――は1925年5月19日にネブラスカ州オマハで生まれた。
彼は8人兄弟の7番目として育ち、教会の牧師だった父アール・リトルは日頃から黒人の自立をとなえていた。
1863年に奴隷解放宣言が発布されたとはいうものの、奴隷制度廃止に反対する白人たちがK・K・K(クー・クラックス・クラン)を結成し、マルコムが生まれる前年には全米で500万人もの団員数を獲得し、首都ワシントンで堂々とパレードをするまでになっていた。法律上では人権を認められているとはいえ、白人は黒人を殺しても罰せられることはなく、黒人たちの社会的地位は奴隷時代とほとんどかわらないものだった。
――そんな時代に黒人の人権を主張する彼の父アールの言動が、白人たちに認められるはずもなかった。マルコムが4歳のときに、リトル家は白人によって焼き打ちにされている。白人の警官と消防士は、燃えさかる家を見て嘲笑したという。さらにその2年後の31年、父アールは白人によって線路の上に縛りつけられ、電車に轢かれて死亡するのである。あきらかに他殺だったが、保険会社は自殺と断定し、保険金の支払を拒否している。
――葬儀のあいだじゅう、狂ったように叫びつづけていた母ルイズは、その後の閉ざされた未来と貧困のなかで発狂し、マルコムが12歳のとき強制的にカラマーズ州立精神病院に収容される。8人の兄弟は離散し、マルコムも施設に収容された。…………


マルコムXの軌跡__1


マルコムXの軌跡__2


マルコムXの軌跡__3


マルコムXの軌跡__4


マルコムXの軌跡__5


マルコムXの軌跡__6


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ダッド ―― 精神病棟の画家 | トップ | ゴッホ ―― メニエール病とア... »
最新の画像もっと見る

評伝」カテゴリの最新記事