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名古屋城に入らない名古屋城巡り-3-

2024-06-11 07:15:12 | 取材・旅行

2024年6月8日(土)、栄中日文化センター主催、「歩いて巡る東海の古城史跡」(2024年4~6月)「名古屋城に入らない名古屋城巡り」へ行ってきました。

講師は七種英康先生です。その様子を、5回にわたって紹介しています。

今回はその第3回。

G からK  まで歩きます。

G 周辺をアップしてみます

G は 堀川堀留跡の碑

文字起こししてみましょう。


「堀川は慶長15年(1611)城下と熱田の浜を結ぶ輸送路として福島正則により開削されたと伝えられている。当時は名古屋城近くのこの地で堀留になっていたが天明4年(1784)に行われた大幸川の付け替え、明治7年(1877)の黒川冶愿による黒川の開削、更に昭和初期の改修を経て現在の姿になった。朝日橋は天明5年(1785)に初めて架橋され昭和初期まで橋の下には苔むした石積みの段差工があった。その水音から『ザーザー橋』と呼ばれたり、お堀の水の落し口近くにあったことから『辰の口橋』、あるいは橋の上を歩いたときの音から『ドンドン橋』と呼ばれ、人々に親しまれていた。かつて、巾下御門に通じるこの地には多くの船が行きかい、今の州崎橋付近に至る渡船が始まる萬延元年(一八六〇年)頃には、名古屋の交通の中心でもあった。また、満ちてくる潮にのって、鰹や鰯がこの付近までさかのぼってきたと伝えられている。
昭和五十九年九月  名古屋市」


文中に出てきた朝日橋です。

堀川の桟橋です。

ここまでが、初期の堀川だったのですね。

 


巾下門 跡

やはり石垣に目がいきます。

 


巾下門北から西の丸未申櫓台。その右奥に西の丸大手土橋があります。


I 辰口水道大樋

この樋は巾下御門枡形の北にあり、樋の両側は石組みで、底は南蛮タタキでできています。

東の口に立切(水止)があり、これは外堀の水位を一定に保つためです。又、西の端は切り石の銚子口があり、常に滝となり大幸川(現・堀川)に落ちていました。

南蛮タタキとは、石灰・赤土・種油を練り合わせ、たたき上げたものです。強度を保ち、何百年も残っています。

城の北側には、南蛮タタキ塀がありますので、明日紹介します。


J 鵜の首

名古屋城の堀の形は「鵜の首」といわれます。本丸に向けて外周から直角に狭い堀が入り込む形状。ここに敵をおびきよせて攻撃するために築いたものだという説があります。鵜の首の形をした堀は、築城当初は5ヶ所ありましたが、離宮時代に馬車の通行に不便とされ1カ所埋められました。

出典 https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/learn/construction/hori/


本物の鵜がいました。


K ホテルナゴヤキャッスル跡にできる「エスパシオ ナゴヤキャッスル」

完成予想図です。

地上11階、地下2階建て、高さ44mで、延べ床面積43,631.02㎡の規模となります。客室数は108室(うちスイートルーム30室)、 平均客室面積は65.36㎡で、近年の5つ星級ホテルの平均50㎡をはるかに超える客室面積が用意されます。また大宴会場は1,780㎡の広さで旧ホテルの「天守の間」の役割を引き継ぐ事になりそうです。新ホテルは2025年春の開業を予定しています。

出典 https://saitoshika-west.com/blog-entry-7961.html

建設会社はもちろん竹中工務店。創始者は、清洲出身のです。


清須越商人

 清須越の商人の多くが尾張藩の中で特権的な地位を得ています。清須出身であることは商人にとって一つのステータスでした。その代表的な人物が名古屋の百貨店・松坂屋の創始者・伊藤蘭丸祐道や竹中工務店の創始者・竹中藤兵衛正高です。
 彼ら清須越商人の多くはもともと武士でしたが、戦国から江戸時代へと時代が移りゆく中、自らの生き方を改めて大きな成功を収め、城下が名古屋へ移った後でも清須出身の人々が活躍し続けたことがわかります。 出典 https://www.city.kiyosu.aichi.jp/kiyosu_brand/jinbutsu_den.html


動画です。

明日に続きます。

名古屋城-1- -2- -3- -4- -5-


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