あなたも社楽人!

社楽の会の運営者によるブログです。社会科に関する情報などを発信します。

美濃 見てある記 -4-

2019-10-17 05:58:21 | 取材・旅行
10月13日、社会科仲間と美濃、なかでも濃尾平野の縁をまわってきました。
その様子をしばらく報告します。

名づけて美濃 見てある記

今回は、美濃国分寺跡・美濃国分寺資料館

まずは衛星写真から


黄色の矢印が中山道

国分寺跡の北に現在の国分寺があります。

右端には、青墓
平治の乱に敗れて東国をめざす父義朝らとともに、吹山麓の道を歩くうちにはぐれ、青墓に到着した頼朝は、義朝の妾、の長者屋敷に隠れ住んでいました。青墓宿は、当時の美濃の中心地だったのです。

江戸時代には赤坂宿、垂井宿が宿場になっています。

国分寺跡です。

模型と比べてみてください。


聖武天皇の詔で創建された古代の美濃国分寺は、仁和3年(887年)に焼失、その後の再建を経て12世紀末頃には衰退したとされています。

築地跡です。埋め立てたり盛り土をしたりしたところです。

周囲は堀になっています。堀の土を盛って築地とし、回廊を建てたのでしょう。


本堂の跡です。礎石が残っています。


七重の塔の礎石です。


中門(手前)、南大門の跡です。


鐘楼や経蔵がありました。



南宮山が見えます。

関ヶ原の戦いの時には、毛利軍が陣を構えました。


大垣市歴史民俗資料館



民俗資料も豊富です。


このあたりは古くからの交通の要所で、美濃の中心地でした。
いろいろな史跡があります。


続きます。次回は昼飯大塚古墳です。

今回のシリーズは・・・

美濃 見てある記 -1-
美濃 見てある記 -2-
美濃 見てある記 -3-
美濃 見てある記 -4-
美濃 見てある記 -5-
美濃 見てある記 -6-
美濃 見てある記 -7-
美濃 見てある記 -8-
美濃 見てある記 -9-
美濃 見てある記 -10-

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。