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週刊 日本の100人 第99号 高橋是清

2019-10-18 05:25:53 | 歴史関連情報
週刊日本の100人 高橋是清

シリーズ第99号は高橋是清です。



 「歴史上でドラマチックな人生を歩んだ人を選ぶとすると?」として尋ねられると、思い出される一人です。

 横浜で英語を学び留学生として渡米、奴隷に売られるなど苦労します。
 帰国し、森有礼の学僕となり、今の東京大学)に入学,次いで教官3等手伝いとなったが放蕩のため辞職。
 翻訳、通訳、教師・・・勤めてはやめの繰り返しです。
 極めつけは、ペルー銀山開発失敗で、莫大な損害を被りました。
 ここまでは最悪とも言える人生です。

 その後、日本銀行建設事務所事務主任から始まり、翌年日本銀行西部支店長、その2年後に横浜正金銀行本店支配人、その4年後には日本銀行副総裁へとトントン拍子に出世します。

 日露戦争では、外債募集のため2度にわたって英米両国に出張し、戦費および内国債償還のため、5回にわたり1億500万ポンド(約9億円)の募債に成功します。

 原敬と積極的な財政政策について意見が一致し、大正2(1913)年山本権兵衛内閣に蔵相として入閣,政友会入党。
 同7年原内閣の蔵相として、鉄道、電話、教育などの支出を拡張して「積極放漫」政策をとり、大戦後不況を乗り越えます。
 10年原暗殺ののち首相総裁を引き継ぎますが、半年で失脚します。
 13年の第2次護憲運動の際には隠居して衆議院に当選し、加藤高明内閣に農商務相として入閣します。
 14年総裁を辞して政界を引退しつつも、その後も蔵相として田中内閣、犬養、斎藤、岡田の各内閣に入閣し、昭和恐慌後の景気回復を実現させ、「高橋財政」時代を築きました。
 軍拡には断固反対して、陸軍の反発を招き、昭和11年、2・26事件の際暗殺されました。

 大きな人物です。

■特集
高橋是清
 出処行蔵一つに義を以て決す

■ライフ&タイム
近代日本経済を牽引した「ダルマ蔵相」の82年
 留学への情熱に燃えて/失敗に次ぐ失敗の日々
 認められた財政手腕/政界へのデビュー
 信念が呼び込んだ悲劇

■ヒューマンエピソード
誰からも愛された無邪気な楽観主義者

■クローズアップ
「日本のケインズ」最後の戦い 高橋財政と軍との対立

■人物スクランブル
高橋是清 人物相関図
 原 敬/井上準之助/宮澤喜一/正岡子規

■後世への遺産
 人材育成、特許庁……今に生きる鉄腕蔵相の功績

■評伝アラカルト
高橋是清考
 高橋義夫/南條範夫/石橋湛山
 吉野俊彦/城山三郎/今村武雄

■ビジュアル人物事典
 吉田東洋/吉野作造/淀殿/米内光政
 頼 山陽/雷電為右衛門/柳亭種彦/良寛

■日本の100人ミュージアム

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