道端鈴成

エッセイと書評など

総合的学際研究の時代の復活:「倫理学ノート」清水幾太

2010年10月05日 | 書評・作品評
サンデルの「これからの「正義」の話をしよう」が評判になっている。NHKのハーバード白熱講義あたりでとりあげられたのがブームのきっかけのようだ。日本語訳が出る前にAudio Bookの初めの部分を聴いたままだったので、最後まで聴いてみた。倫理学の歴史を、ベンサムの利主義からカントの義務論、ロールズの義務論の流れでの社会政策的な正義論、そしてアリストテレスの本質主義にもとづく共同体的道徳論と紹介し、そしてそれをアメリカの社会問題(税金での兵隊と徴兵制、避妊、等々)と結びつけて分かりやすく上手に説明している。(クリントンがホワイトハウスの執務室でモニカにフェラチオをさせて、セックスをしたわけでなかいとかクリントン的な言い逃れをしたのを、カントの道徳律と関連づけて、誤解を誘導しているかもしれないが、事実に反する言明をするなという格率は守っているとして、殺人犯に誤解を誘導して被害者をかくまいながら事実に反する言明を避ける場合や、カントの著作における権力者への対応などの場合を引き合いに出して、弁護しているのには、動機が違うだろうと、のけぞってしまったが。)アメリカの社会問題と関連づけながら、カントからロールズの義務論とアリストテレス流の共同体的道徳論をそれぞれの問題点を指摘しながら置いたあたりは、なかなかうまいと思ったが、共同体的道徳論を言うなら哲学でもVirtue Ethicsの展開があるし、心理学では道徳感情の研究が展開しているしポジティブ心理学における徳の研究もある。リベラルと保守の橋渡しみたいなところに位置するオバマ支持という点ではJonathan Haidtなども同じだが、より学際的に新しいアプローチを試みている。サンデルは、いかにもハーバードの先生という感じで、東海岸を中心にしたアメリカの表舞台を意識したリベラルで、説明は上手だが、オリジナリティーはあまりない(PinkerやE.O.Wilsonなど、科学的にとんがったハーバードの先生もいるが)。

倫理学への学際的アプローチということで、何十年かぶりに清水幾太の「倫理学ノート」を読んでみた。前半の功利主義と経済学の関連の部分は面白かった。また1930年当時、ドイツの形式社会学の影響下にある日本の社会学者の多くが、コントなどの総合社会学を知識もなしに見下しているのに憤慨しているくだりなどのエピソードも面白かった。ただ、後半のウィトゲンシュタインの話は今読むとまたかという感じで(というか、むしろ、この本の後で二番煎じ、三番煎じが出回ったということだろうが)、コントやヴィーコなどは持ちネタでまとめたという感じで、前半で導入された功利主義と経済学の関連の流れの展開とは対応していない。しかしノートとしては、20世紀に生じた形式社会学や経済学における専門化に対し、曖昧な人間の感情もふくめた総合的なアプローチを、コントやデカルトの敵ヴィーコなどの紹介を通じ、対峙させようとする生きの良い、40年後に読んでも十分面白い内容になっている。

「倫理学ノート」では功利主義と経済学の関連は途中で切れた感じだったが、「倫理学ノート」出版から40年近くたって、変化が生じているようだ。

新古典派の経済学は、労働価値説を越えて需要供給の観点から価値をとらえることを可能にする限界革命を経て成立した。メンガーやジェヴォンズが導入した限界効用(Marginal Utility)の考えは、当時の心理学における精神物理学を参照したものだった。限界効用逓減の法則などは、感覚量に関するウェーバー・フェヒナーの法則と同型の内容となっている。エッジワースのように効用の測定に向けて心理学を援用しようとした経済学者もいる。しかし、その後の経済学は、パレートなどの定式化にしたがい、心理量ではなく選択結果を参照してなりたつようにモデル化を行うようになる。サミュエルソンなどが、この流れで新古典派の経済学を数学的にモデル化していく。合理的な選択を前提とした数学的モデルによる専門化した経済学の誕生である。この方向が20世紀の経済学の主流となる。こうした流れに変化のきざしが生じたのは、20世紀の終わりになってからである。行動経済学では、実際の人間の選択を心理学的な理論を参照に実験的に研究を試み、神経経済学など神経科学と経済行動との関連も研究のテーマとなった。19世紀末に試みられた心理学との関連づけが、20世紀の専門化の時代をはさんで、20世紀末から21世紀になって再びより本格的に探求されるようになったのである。(この間の事情については、例えば次の論文が分かりやすい。THE ROAD NOT TAKEN: HOW PSYCHOLOGY WAS REMOVED FROM ECONOMICS, AND HOW IT MIGHT BE BROUGHT BACK, Luigino Bruni and Robert Sugden, The Economic Journal,2007, 117, 146-173.)また、経済学者が効用という扱いやすい概念だけを数学的定式化にのりやすいようにして拝借した功利主義者が問題とした幸福などという問題も経済学の本流に復帰しつつある(例えば、"Economics and Happiness: Framing the Analysis"などを参照。)。

心理学の成立は、ヴントがライプチヒ大学に心理学実験室を設立した1879年とされる。ヴントはヘルムホルツの弟子で、ヘルムホルツは生理学者ヨハネス・ミュラーの弟子だった。ヨハネス・ミュラーの孫弟子には、フロイトやパブロフがいる。ヘルムホルツなどは、物理学と感覚生理学の大家であるとともに、知覚の無意識的推論説を唱えた心理学者でもあった。要するに心理学は19世紀末におけるドイツの生理学における感覚研究などを基盤に学際的背景で成立したのである。ヴントは心理学を直接経験の科学とし、心理学を独立した科学として立ち上げようとした。行動主義や精神分析など、成立は生物学や医学と関係していながら、より専門的な学派を形成していった。心理学も、20世紀の初めから後半までは専門化の時代だったと言える。心理学も20世紀の終わりになって本格的な学際的研究の時期を迎えている。最初は、1960年代から70年代の認知革命、次は1980年代以降の脳科学の参入である(1985年に認知神経科学、1995年に感情神経科学、2005年に社会神経科学と心理学の主要領域ほんとんどすべてとリンクするようになった)。19世紀に生理学を背景として学際的な科学としてスタートした心理学は20世紀の専門化の時代を超えて、ふたたび本格的な学際的研究の時期を迎えつつある。

以上、心理学と経済学についてごく大づかみに述べた。清水幾太の「倫理学ノート」ではヴィーコによる歴史のらせん状発展の説は紹介されていないが、人間科学、社会科学は20世紀の終わりになって、20世紀初めから後半までの専門化の時代を超えて、再び19世紀末と同じような総合的学際化の時代を迎えつつあるようだ。