は・ひ・ふ・へ・ほー日記  ~ ho diary ~

最愛何潤東、趣味はピーター・ホーというミーハーファンが、ひたすらピーターのことを語るPeterHo溺愛日記

デビュー12年目

2010-08-22 15:04:14 | 何潤東
蘋果日報  何潤東 唱片慘賣年收僅11萬 當老二忍辱竄一哥

何潤東 レコードは売れず年収わずかに11万 二番手の位置に耐えて第一人者に(でいいのかな?)

何潤東は、デビューして12年目、10年のうちに、30作のテレビドラマ、15作の映画を撮っていて、驚異的な作品数となっている。
しかし、以前は人気がなくて、一年で11万元の収入だけ、手元に3600元残るだけくらいに困窮していた。
だが、彼には「二番目の哲学」があった。
「二番目になることは気にならない、たとえ三番目であっても、それは前進する余地があるということだ。」
これが、バカと罵倒されるような、内地での苦しい撮影の日々も耐えさせてくれたのだ。

何潤東はマクドナルドでハンバーバーにかぶりついていた17歳のころ、張洪量が設立した会社に発掘された。
当時バンダナを巻き外見はすばらしかったが、歌ってみるとヘタクソだった。
張洪量は、歌唱力は練習すれば伸びると思い、契約をした。
相前後して、彼はカナダで2人の先生について歌唱を学んだが、ちっとも進歩がなかった。
そのころ、ニコラス・ウー、チャーリー・ヤン版映画《梁山伯與祝英台》に出演した。
「重要な脇役だったと思う、亭望春という名前で、一週間撮影して、ギャラは、4000台湾元を超えるくだいだった。」
その後、彼は張洪量と契約満了、カナダで学生生活に戻った。

KTVで思いっきり歌って歌唱力を磨いた

カナダでは、学習し、スキーをしていたが、未成熟なままだった。
音痴な彼は、カナダでKTV(映像つきのカラオケかな~?)を一心に歌って、歌唱がようやく進歩した。
懸命に鍛えた原因は無駄遣いしたくないからだ。
「カナダではKTVがすごく流行っていた。
ぼくがいつも友だちと約束する。
おなかいっぱい食べるが、行っても歌わない。
やはり費用を折半しなくてならず、損をする。
あるとき勇気を奮い起こして歌ったんだ。
穴に隠れたいくらいメチャクチャ笑われてこれでやっと歌を練習しようという刺激になった。」
23歳の年、仲良しの友人である畢國勇とKTVに行き、寶麗金唱片に気に入られ、演技の世界に再チャレンジすることになった。
そのとき、彼は、松沙士のCMを撮った。
ビデオカメラの機材を担いでいる様子は印象深く、CMに合わせて出したシングル曲《夢想的開始》は大いに受けた。
「この年、ようやく正式デビューしたと言えるね。」
しかし、二枚目のレコードを出すとき、台湾の921大地震に遭遇。
レコードの売れは芳しくなく、基本の印税11万元を受け取っただけだった。
また、サイン会には2人だけ、というみじめな目にもあった。
家族に苦しさを訴えることはせず、3600元しかないくらい困窮していた。
25歳のころ、彼は、現在マネジメントをしてくれている人物に出会い、改めて、内地でドラマを撮ることになった。
その《臥虎藏龍》撮影中、このドラマのアクション監督にずっと罵られていた。
(アクションを監督に罵られていた…かも?)
「ぼくの身体の傷は全部、彼によってできたものだ。」と彼は回顧している。
彼はもう二度とこの監督と仕事を一緒にしないという誓いを立てている。
なんとか辛抱してきて、彼の評価は、CM撮影のギャラが、以前の4000元ちょっとから1000万元に上昇するくらいとなった。


 才能とは努力を継続できる力 by 羽生善治 

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