■ Remenber SHAKTI Live at Tokyo Opera City ■
そもそもは、1975年に結成。3枚のアルバムを出して解散したバンド。
当時は「SHAKTI」と言う、アコースティックバンドだったそうです。
1998年に、インド・パキスタン独立50周年を期に「Remenber SHAKTI」として復活。
メンバーは、ジョン・マクラフリン(ギター)を中心に、ギザール・フセイン(タブラ)、
セルヴァガネッシュ(パーカッション)、シュリニヴァス(マンドリン)、
シャンカール・マハデヴァン(ヴォーカル)の5人。
実は私・・・ジョン・マクラフリンを知らなかったのです。
彼が超絶技巧派ギタリストであるなんて事も、全く知る由もありませんでした。
音楽に詳しい友人に聞いたところ、ジャズ・ギタリストとしてもかなり有名な人だそうです。
(ジャズ、フュージョンファンの皆様ごめんなさい。)
で、行ってきました。初台の東京オペラシティ。
みんな凄いテクニックで、圧倒されました、はい。
最初に言っておきますが、演奏は本当にすばらしかったんです。
ただ、私のテイストには合わなかったのが残念でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/abanzai.gif)
簡単に言うと、こんな感じです。
凄く美味しいインド料理が食べられると思って、銀座の超一流のレストランへ行きました。
そう・・・「マキシム・ド・パリ」とか「レカン」をイメージしてくださいね。
(そもそも、こんなレストランで、インド料理を食べようと思うのが間違いです。)
シェフはみな凄くいい腕で、食材も有名な土地の高級な物ばかりです。
料理のところどころに、インドのスパイスが使われてはいますが、
インド料理店のものとは異なります。
確かに、カレーが登場してきたのですが、そのカレーはフォン・ド・ボウの味わいでした。
味は洋食カレーとしては、そりゃぁもう・・・恐ろしく美味しいのです。
しかし、私のテイストには合いませんでした。
タブラ(インドの太鼓)には、エレクトリカルなギターやマンドリンの音色は、
高すぎると言うか、軽すぎる気がしました。
もっと地面の底から湧き上がるような、そんな響きを感じたかったです。
それが伝わらなかったのは、2階席だったからでしょうか。
アコースティックで、一度聞いてみたい気がしました。
そもそもは、1975年に結成。3枚のアルバムを出して解散したバンド。
当時は「SHAKTI」と言う、アコースティックバンドだったそうです。
1998年に、インド・パキスタン独立50周年を期に「Remenber SHAKTI」として復活。
メンバーは、ジョン・マクラフリン(ギター)を中心に、ギザール・フセイン(タブラ)、
セルヴァガネッシュ(パーカッション)、シュリニヴァス(マンドリン)、
シャンカール・マハデヴァン(ヴォーカル)の5人。
実は私・・・ジョン・マクラフリンを知らなかったのです。
彼が超絶技巧派ギタリストであるなんて事も、全く知る由もありませんでした。
音楽に詳しい友人に聞いたところ、ジャズ・ギタリストとしてもかなり有名な人だそうです。
(ジャズ、フュージョンファンの皆様ごめんなさい。)
で、行ってきました。初台の東京オペラシティ。
みんな凄いテクニックで、圧倒されました、はい。
最初に言っておきますが、演奏は本当にすばらしかったんです。
ただ、私のテイストには合わなかったのが残念でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/abanzai.gif)
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簡単に言うと、こんな感じです。
凄く美味しいインド料理が食べられると思って、銀座の超一流のレストランへ行きました。
そう・・・「マキシム・ド・パリ」とか「レカン」をイメージしてくださいね。
(そもそも、こんなレストランで、インド料理を食べようと思うのが間違いです。)
シェフはみな凄くいい腕で、食材も有名な土地の高級な物ばかりです。
料理のところどころに、インドのスパイスが使われてはいますが、
インド料理店のものとは異なります。
確かに、カレーが登場してきたのですが、そのカレーはフォン・ド・ボウの味わいでした。
味は洋食カレーとしては、そりゃぁもう・・・恐ろしく美味しいのです。
しかし、私のテイストには合いませんでした。
タブラ(インドの太鼓)には、エレクトリカルなギターやマンドリンの音色は、
高すぎると言うか、軽すぎる気がしました。
もっと地面の底から湧き上がるような、そんな響きを感じたかったです。
それが伝わらなかったのは、2階席だったからでしょうか。
アコースティックで、一度聞いてみたい気がしました。
![]() | リメンバー・シャクティジョン・マクラフリン, T.H.ビナーヤクラム, ハリプラサッド・ショーラジア, ザキール・フセイン, ウマ・メーサユニバーサルクラシック 明日からは、【初・インドの道】後半戦です。お楽しみに。
私の旅は、デリーから始まり、アグラー、カジュラホー、バラナシ、コルカタと
インドをちょうど西から東へ横切った事になる。 南インドと比べて、北インドには大きな観光地が多い。 また、初めてインドを訪れる人は、圧倒的に北インドが多いだろう。 私がカモられ続けた5都市、私でなくても初めての人ならば誰でもカモられるだろうと思う。 私はカモられ続けたが、それはインド人が悪いわけではない。 今、写真を見ても、1997年の私は明らかにカモだった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() それも・・・ただのカモではない。ネギもしょっている。おまけに・・・極上のスープまでブラ下げてる。 あとは鍋さえあれば、いっちょあがり!である。 (自分で言うんだから、間違いない!) ■ カモられた原因は、四重苦 ■ ①日本人である。 ②女性である。 ③一人旅である。 ④言葉が不自由である。 ・・・インド人でなくてもカモるかもしれない。 確かに私から見ても、出会った日本人がインドが初めてか、そうでないかはわかるものだ。 一番顕著に現れるのは、目である。自信なさそうであったり、オドオドしてたり、 伏し目がちであったり、目を合わせようとしなかったり、キョロキョロしてたり・・・。 私にもわかるのだから、インド人にわかって当たり前であろう。 私は最近、このような一人旅の日本人の女性を見たら、声をかけるようにしている。 もしも、その人が初めてでなければ、余計なお世話はしない。 初めてであれば、アドバイスできる事はアドバイスする。 おせっかいかもしれないが、インドを嫌いになって欲しくないから・・・ ・・・と、前世インド人の私は思う。 ところが南インドへ行くと、状況は一変するのであった。 南インドの人は、ホントにいい人が多い。それは、スレてないと言う事かもしれない。 カモろうとするより、友達になろうとするのだ。 友達と言って近づき、お金を要求する観光地の人たちとは全く異なる。 日本でも、都会の人は冷たいと思われている。それは実際そうかもしれない。 他人は他人、われ関せず、さわらぬ神にたたりなし、だ。 (まぁ確かに、ヘタに関わって、刺されでもしたら大変である。) 田舎の人は、よく言えば親切であり、悪く言えば干渉してくるのである。 今思えば、旅がコルカタで終わっていたら、インドのイヤなところだけを経験して、 二度とインドへ行こうと思わなかったかもしれない。 最初の予定では、旅は2週間の予定でコルカタで終わりだった。 旅立ちの前のある日曜の夜、TVでエローラとアジャンターの石窟寺院を見た。 SONY提供の「世界遺産」である。影響されやすい私は、石窟寺院を見たくなった。 そして、どうせ行くならと、日程を約1ヶ月に延長したのだった。 ![]() ![]() ![]() ![]() いくつもの偶然(必然)が重なった。 それもこれも、インドに導かれた結果である。 後半へ続く・・。
■ 宇宙で最も邪悪な場所 ■
「世界で一番醜悪な場所 」 何かの本に書いてあった・・・・。でも、それが誰の本なのか思い出せないでいる。 そこで、家の本棚(インド系の本がほとんど。)を捜してみた。 蔵前仁一氏の「ゴーゴー・インド」に、こう書いてあった。 「宇宙で最も邪悪な場所」と呼んだのは、イギリスのロバート・クライブ将軍であると。 ・・・・どうやら、私の記憶違いだったようである。 「世界で一番醜悪な場所」ではなく、「宇宙で最も邪悪な場所」だったのだ。 (つつしんで、訂正しお詫びいたします。) 【初・インドの道】は1997年10月、もう8年も前のことだから、 記憶が定かでないところもある。 このブログは、当時インドで書いた日記と写真を見直し、記憶を蘇らせながら書いている。 コルカタで私の旅は、日程の2/3が終わっていた。 旅の最終目的地のムンバイ(ボンベイ)へ行けば、C嬢が紹介してくれた、 もう一人のインド人の友人に会える。一人より心強いし、行動しやすい。 そう思った私は、サダル・ストリートが邪悪な場所であることを忘れていた。 ムンバイへ向かう日の朝、ホテルから空港までのタクシーをフロントに頼んでいた。 料金が140ルピーである事も、ぬかりなく確認してあった。 早朝4:30、ホテルを出発。その時、私は運転手と料金交渉をしていなかった。 (だって、ホテルで呼んでもらったんだし、140ルピーだって言われてたし。) 1時間後、空港に着いたときに運転手はこう言った。 運転手:「240ルピーだ。」 私 :「140ルピーと聞いている。」 運転手:「いいや、240ルピーだ。」 私 :「そんな事はない。140ルピーだ。」 車内でもめていた。 すると、どこから現れたのか? 男がいきなりタクシーのドアを開け 私のバックパックを奪って行くではないか! 私:「何やっとんじゃ、ワレ!!」 男を追って、車外へ出ようとする私に、 運転手:「待てっ。240ルピー払わんかい!」 私 :「待たんかい!このスットコドッコイ!」 運転手:「240ルピー払え。」 バックパックを持って逃げる男を追う私、その私を追う運転手・・・。 誰が誰なんだか、何が何なんだかわからなくなっていた。 仕方なく運転手に240ルピー払い、逃げる男に追いついて (バックパックは10Kg以上ある。)取り押さえた。 すると今度はその男が、こう言った。 男 :「荷物運んでやったんだから、100ルピー払え。」 私 :「ふざけんな!! 運んでやっただと?」 男 :「100ルピーだ。」 私 :「なめとんかコラッ!! しばくど!」(絶対に関西弁でね。) 男はバックパックを離さない。 私 :「離せって、言ってんだろ!」 ![]() わかるはずはない・・・・。だって日本語だったから・・・・。 私 :「50ルピーにまけて・・・。」 なすすべもなく、50ルピーも払ってしまった自分が情けない・・・。とほほっ。 しかし、見事な連係プレイである。敵ながらあっぱれだ。(感心してどうする?) たぶんあれは、運転手とかばん持ちはグル(偉い人のことじゃないよ。)だったに違いない。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() こうして、↑このカエルのようにヨダレをたらしながら、私の北インドの旅は終わった。
■ コルカタの薬売り ■
子供の頃、家に富山の薬売りが来ていた。 (えっ? 若い人は知らないって? 私も充分若いんだけど・・。 だって、インドネシアじゃ22歳。←後日また別のテーマの時に話します。) その富山の薬売りとは、名の通り富山から来た薬売りだ。(そのまんまやなぁ。) 家庭に常備薬の箱を置いて行き、次回の訪問時に使った分だけ集金するシステムだ。 最近、私の実家にはまた、富山(から来たかどうか知らないが)の薬売りが来ているらしく、 常備薬の箱があった。(やっぱり、田舎だ・・・。) 私は、サダル・ストリートのアストリア・ホテルに宿泊していた。 私がホテルを決める条件は、①エアコンが付いている事、②お湯のシャワーが出る事である。 シーズンや地域的に、エアコンのいらない場合もあるけど、お湯シャワーはゆずれない。 そして予算は、1泊400ルピー(1ルピー=約3円)位である。 コルカタは、インド第2の都市なので、上記の条件であまり安いホテルはない。 アストリアも800ルピーであった。古いけど立地条件が良かった。 ホテルを出たら、薬売りがいた。 ・・・・・「ガンジャ(マリファナ)。」 ビックリした。こんな街中で、しかも、白昼堂々と薬売りがいるなんて。 さすがは、世界一醜悪な場所と言われたサダル・ストリートである。 私は、ドラッグは一切やらない。 日常でも「元気なだけが取り柄。」と言っても過言でないほど、たいへん健康なので、 睡眠薬、鎮痛剤なども必要ないくらいである。(我が家で一番減るのは絆創膏。) ドラッグに抵抗力のない、こんな私が間違ってもドラッグを決めたら、 ショック死するかもしれないので、試したことはない。 インドへ行く前に、インド関係のいろんな本を読んだ事は前に書いたが、 ドラッグと男女関係を売りとしている書物は、読まなかった。 その理由は・・・・舞台がインドでなくてもいいからだ。 もし、その舞台がインドでなければならない、と言う理由があるのならば、 読んでもいいと思う。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 間違った情報を持っている人へ。 インドでもドラッグは、非合法的なものである。 (じゃぁいったい、政府のガンジャ・ショップはナンなんだ?) ドラッグで逮捕されると、懲役2年~20年、罰金10万ルピー。 もちろん刑務所はエアコンもお湯のシャワーもついてはいない。 (たぶん。見たことないけど。) ちなみに、成田空港で麻薬犬が登場するのは、タイ航空の到着の時のようだ。 エアインディア、シンガポール航空の時には見たことがない。 黒いラブラドール・レトリバーが5頭くらいいた。 (私は何回もクンクンされた。美味しそうなカレーの匂いがしたせいかもしれない。) タイではマリファナ所持で、懲役1~5年。ヘロイン10g所持で最高刑は死刑である。 to be continue.
1時間遅れで、列車はバラナシに到着した。
ウェイティングのチケットを持った私は、列車が着くと車掌さんを探して、 なんとか席をもらうことが出来た。 (こうした場合は、車掌さんに言えば何とかしてくれる。) (中にはワイロを要求する人もいるらしいが、私は出会ったことがない。) AC(エアコン付)二等寝台の座席は、上下2段の寝台が向かい合わせで、 4人分で1つのBOXになっている。(写真:AC二等寝台の座席) 一人旅だと、どんな人と乗りあわすのか・・心配なものである。 インドではレディース・コンパートメントと言う女性専用車があるのだが、 乗ったことがないので、どんなものかはわからない。 この女性専用車でない場合、女性のグループや一人旅と言うのはまずない。 良くて家族連れである。男3人組と一緒になったら・・・ 考えただけでもかなり怖い。(私は幸いにも、いつも家族連れと一緒だ。) 小さな子供を二人連れた家族と一緒になった。少しうるさいが家族連れなら安心である。 コルカタ(カルカッタ)までは、約12時間の長旅だ。 18:30、コルカタに向け夜行列車は出発した。 インドの列車では、どんなに混んでいても物売りはやってくる。 日中ならば、チャイ、ナッツ、スナック売りが来た。 夜行寝台車なので、乗るとすぐに夕食の注文を取りに来た。 日本で言うところに駅弁のような、カレー弁当が出る。 メニューはベジタリアンとノンベジタリアンの2種類から選べて、 だいたいが20~30ルピーくらいであった。 夕食後、20:00過ぎに消灯になったので、早めに寝た。 翌朝6:00に目が覚めた。列車はどの辺を走っているのか、全く判らなかったが、 コルカタのハウラー駅は、終点なので乗り過ごす心配はなかった。 予定では7:00到着だったけど、出発の時点ですでに1時間遅れていた。 とりあえず、トイレに行った。一人旅だとトイレに行くときに荷物が心配だ。 自転車用のチェーンロックを持って行くべし。それで座席に荷物を固定しておく。 (写真で確認できるかな?) バックパックなので、切られてしまえばそれでおしまいだが・・・。 インド人も同じように、座席に荷物を固定していた。 7:20、後どれくらいでハウラー駅なのかは、わからなかったが、本格的に起床。 持っていたバナナで朝食。 (乗り物に乗るときには、バナナや菓子など何か買っておくといい。) 10:00、3時間遅れでハウラー駅に到着。 ・・と、同時に何人もの子供が乗ってきて、座席の下の残飯をあさっていたので驚いた! は~~るばる 来たぜ コルカタ~に~! (って感じ。) さぁ、(世界一醜悪な場所と呼ばれていた)サダル・ストリートへ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 駅を出て地下道でフェリー乗り場へ。 駅から市内へは、フーグリー河を渡らなければならない。 河に架かるハウラー橋は、渋滞がヒドイと聞いていたので、フェリーで向かう事にした。 (私は乗り物フェチなので、いろんな乗り物に乗りたいのだ。) (往復する場合には、面倒でも行き帰り違う乗り物に乗りたいタチだ。) 対岸のチャンドパル・ガート(BBGバーグ近く)までは、1ルピー75パイサ。 そこからタクシーでサダルストリートへ向かった。
■親切な人? 下心ある人?■
ラヴィは、ガンガーの日の出、サールナート、ラームナガルの観光が終わった時に言った。 ラヴィ:「僕は、あなたにいろいろしてあげた。」 私 :「ありがとう。」 ラヴィ:「ボートにも乗せてあげた、写真も撮ってあげた。」 私 :「どうもありがとう。」 ラヴィ:「あなたは、僕に何をしてくれますか?」 私 :「はぁ? 何か欲しいの?」 ラヴィ:「何も・・・。」 私 :「何も? どうもありがとう・・・。」 ラヴィ:「だから・・・あなたは、僕に何をしてくれますか?」 ・・・・・・・ラヴィは暗に、お金を要求していたのだった。 私 :「・・・お金?」 ラヴィ: 無言でうなずくき、にっこりと微笑む。 この男・・・・ウメサが鉄道チケットの手数料をふっかけてきた時には、 法外だと怒っていたというのに、自分はナンなんだ!やっぱり、お金が欲しいんじゃないか・・・。 ・・・「タダほど高い物はない。」・・・私は100ルピー払った。 ラヴィは「ありがとう。」と礼を言い、帰って行った。 コルカタへ向かう日、バラナシのシティ駅までの車を頼んであったので、旅行会社まで行った。 しかし車は来ていなかった。私が日本の旅行会社の社長にクレームを言うと言ったら、 ようやくラヴィはやる気になり、電話をかけ車を呼んだ。 そして駅まで私を送ると、帰ってもいいかと聞いてきてので、 一緒にいるのも腹だたしかったので、お引取り頂いた。 ・・・・・ほんの少しだけだけど、インドの事がイヤになっていた。 旅の後半にいい事がなかったら、私は二度とインドへ行かなかったかもしれない。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 私が聞いた、バラナシでのトラブル。 この話をしてくれた人は、やはり初めてのインドだった。 初めてのインドでは、「地球の歩き方」に書いてある事が真面目に起こるのものだ。 その1:マニカルニカ・ガートと言う火葬場を見ていたら、まき代を請求された。 数人に囲まれたため怖くなって、その人は100ルピー払ったそうだ。 遠藤周作の「深い河」では、火葬場の写真を撮って、袋叩きになった話が載っている。 私は舟の上から見るだけにした、そのほうが安全かもしれない。 その2:サイババの弟(胡散臭い)と言う占い師の所に連れて行かれて、占ってもらい、 言葉が理解できなかったのにもかかわらず、300ルピー払ってしまった。 最初に100ルピーと言われ、だんだん追加で値上げされたらしい。 サイババに弟がいるのかは知らないが、面白半分に行かないほうがいいでしょう。
■ 「神サマ、買ウカ?」 ■
ガンガー(ガンジス河)で一番大きいダシャーシュワメード・ガート(沐浴場)の 近くの小道から少年の声がする・・・。 振り向けばそこには、どこかで見たような少年が、木彫りの神様を持って立っていた。 この写真の少年の名前はモケと言った。「深夜特急」に出演していた少年だった。 思わず「本当にいるんだね。」と言った。モケは「うん。」と言い、 神様を指差し「カーリー・ドゥルガー・ラーマ・・・。」と神様の名前を説明し、 「150ルピー。500円でもいいよ。」と言った。日本語だった。 (でもTVじゃ、100ルピーだったぞ。最初は500ルピーだったけど。) TVドラマの少年が、仕込みでなく実在する事に感動した。 インドでは、学校に行かず(行けず?)働いている子供がたくさんいる。 街角の土産物屋や食堂にも、結構いる。 お金持ちの子供が、同じくらいの年齢の働く子供にチップ(バクシーシ:施し)を 渡していたりすると胸が痛む。生まれながらにしての階級の違いを 見せ付けられているような気がするからだ。 (でも、何も出来ないけど・・・。) モケもまだ7~8歳くらいだろうが、すでにいっぱしのプロの物売りである。 値切ったが、彼は1ルピーもまけなかった。話のタネに買ってやろうかとも思ったが、 日本人がなめられるといけないので買わなかった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 沢木耕太郎原作の「深夜特急」が大沢たかお主演でTVドラマ化されたのは、1996年12月だ。 偶然にもバラナシで私が泊まったのは、彼が最初にリクシャーで連れて行かれたホテルだった。 (日本の旅行会社が勝手に手配したのだった。) 彼が泊まったホテル・ガンジスの2階のレストランで食事をした。 ゴードウリヤー交差点からガンガーの間のホテルで1泊した。 このあたりで沈没(バックパッカーがその地を気に入って、長期滞在してしまう事。)するのも 悪くないかな・・・。と思った。 to be continue.
■親切な人? 下心ある人?■・・・インドを旅するに当たって、これを見極めるのが重要だ。
バラナシ駅に列車が着いたが、旅行会社の人がいなかった。 仕方なく旅行会社へ電話をかけ、バラナシに着いた事を連絡した。 しばらくして、ラヴィと言う青年が迎えに来た。ビックリしたのは、迎えはタクシーでなく、 バイクだった事だ。私は10キロもあるバックパックを背負っている。 このままバイクに乗ったら、ひっくり返りそうで危ない・・・。 心配をよそに、ノーヘルのままバイクに乗せられ、連れて行かれた所は旅行会社だった。 ①迎えに来ていない。②バイクで迎えに来た。③ホテルではなく、旅行会社に連れて行かれた。 この段階ですでに、バラナシの旅行会社に対する私の印象は、かなり悪るかった。 デリー、アグラー、カジュラホー、バラナシと旅して、旅行会社の人であっても、 日本人の感覚で考えてはいけないと、わかってきていた。 バラナシの旅行会社の社長は、グプタと言った。 私は観光のための車だけを手配し、ガイドは要らないと言った。 するとグプタは、ラヴィと言う青年を指差し、このボーイは無料でつけてやる、と言った。 私は(めんどうくさいので)要らないと言ったのだが、車とセットだからと押し付けられた。 (・・・「タダほど高い物はない。」って事を、後で思い知らされるのだった。) ラヴィはバラナシ・ヒンドゥー大学の学生だった。まぁ見習いってところらしい。 もう一つ手配を頼んだのは、バラナシからガヤー、ガヤーからコルカタまでの 鉄道のチケットだった。自分で手配するとなると1日がつぶれてしまう。 多少の手数料を払ったとしても、時間と手間を考えたら、その方がトクだった。 しかし、希望通りのチケットは取れなかった。 ホテルにグプタとウメサと言う人が、チケットを持ってやって来た。 満席で取れなかったので、バラナシからコルカタまで直通で行ってくれという事だった。 しかも、チケットはウェイティング・ナンバーが印刷されていた。 (キャンセル待ちのチケットって事です。) おいおい・・・、これじゃ席がないかもしれないじゃないか? そう言うと、さすがはインド人だ。 「ノー・プロブレム。」と言う答えが返って来た。 その上、ウェイティングのチケットにもかかわらず、手数料を316ルピーも上乗せして請求してきた。 ずいぶん足元を見られたものだ。さずがに高いとは思ったが、 文句を言ってもめたとしても、気分が悪くなるだけなので払った。 後からラヴィに聞いたのだが、通常の手数料の相場は50ルピーらしい。 ラヴィは、ウメサは別の旅行会社の人だからそんな事をしたのだと、かなり怒っていた。 おまけに、ホテルは3泊予約してあったのだが、2泊しか予約されていなかった。仕方なく払ったが、 念のため、先日のカジュラホーの車代とこのホテル代を日本に帰ったら請求する、 と言う内容の葉書を日本の旅行会社へ送っておいた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() to be continue.
【 広石武彦 Birthday LIVE at Shibuya O-West 】
さずがは、嵐を呼ぶ男。渋谷に着いた頃には雪が降り始めていた。 彼のLIVEは、雨が降ったり、台風が来たり、雪が降ったりすることが多い。 最近は雨男を返上したかに見えたが、今日は雪になった。 さて、明日は彼の、うん十回目の誕生日である。 LIVE会場の入口には、ファン有志一同より贈られた「祝四十路」と書かれた花が・・。 そろそろ、肩の痛くなるお年頃・・・(失礼)だが、 彼は肩の痛さを感じさせないパワフルでエネルギッシュなステージを見せてくれた。 見ているファンの方が息切れしている(苦笑)のに、彼はとっても元気で若々しい。 体型も全く変わっていない。相変わらず低音の発声と響きがすばらしい。 今夜のLIVEは、途中「ナン・ちゃってス」と言う今夜のために結成された、 なんちゃってレゲエバンドも登場。 (これは、メンバーがボンゴやアコースティックギターで演奏するバンド。) 会場には、彼のお母さんも来ていてノリノリでした。 (彼は恥ずかしかったみたいだけど。) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 私は、彼のバンド「UP-BEAT」の初期の頃からのファンではない。 かなり後になってからファンになったので、 LIVE会場でのファンの女子(・・・と言ってもそれなりの年齢。)が 一斉にやるフリ(?)や応援には全くついて行けてない。 「UP-BEAT」と言うバンドは知っていたが、 どんなメンバーがいて、どんな音楽をやっているのか、全く知らなかった。 私が彼を知ったのは、メンバーが5人から3人になって、しばらくしてからであった。 それから遡ってデビュー前からのCDを聞き始め、LIVEに行き始めたのだが、 そのうちにバンドは解散してしまった。 バンドにとってメンバーチェンジや活動休止や解散は、つきものかもしれないが、 やはり応援しているバンドが、活動を止めてしまうのはショックである。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 解散してから、特定の事務所に所属せず、レコード会社とも契約せず、 LIVE・CD・VIDEO制作やイベントなど、全て自分でプロデュースしている。 それは不自由で大変かもしれないが、音楽も活動範囲も制約されず、 バンド時代よりもずっと自由で彼らしいと思う。 バンドで活動した20代、ソロになった30代、40代は何を見せてくれるのか? 楽しみである。ソロになって今年で10年目、本物が少ない今日この頃だけど、 がんばって欲しい。(もっとも、彼は自分をフェイクマスターと言っているけど。) この歌が聞こえるかい? 必ず出会えるさ 今は一人でも 僕等は目には見えない 絆で結ばれてる 離ればなれで居ても 独りじゃないさ Somebody loves you, babe. どんな時でもあなたを見てる Somebody loves you, babe. いつだって いつだって I look for you. いつだって いつだって I look for you. ( 広石武彦:SOMEBODY LOVES YOU より ) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
世界遺産にも登録されている寺院は、西群が最も規模が大きく、
たくさんの彫刻に彩られた様々な寺院がある。 まわりは公園のようになっていて、木陰を見つけてくつろぐにも最適。 東群はジャイナ教の寺院が中心。南群は小さな寺院が一つ。 写真は、乾季で水量が少ない幻の「レーネの滝」。(村から車で1時間くらい) ■親切な人? 下心ある人?■ マンシングさんは、なかなかのジェントルマンだった。 愛煙家の彼は、まず私に煙草を勧めて私が「吸わない。」と言うと、自分も吸わなかった。 そして、いろんな所へ連れてってくれた。 初めに、フォークダンス。みんなも経験があるだろう。 子供の頃、輪になって踊った、オクラホマミキサー・・・あれではないっ! フォーク=民族ってことだから・・・・ラジャスタン地方の踊りだった。 この会場は、土産物屋とホールがあり、ショーを見るためには100ルピーだが、 カップルで行くと無料だと、おっちゃんは言っていた。 それから、遺跡群の周りで赤シャツ+サングラスのナンパ師に、 しつこくつきまとわれてたのを救ってくれた。 南群、東群の寺院や、雨季にだけ現れると言う幻の滝を、 自分でジープを運転して案内してくれた。 この滝は、大沢たかお主演のTVドラマ「深夜特急」で紹介されていたので、 是非とも行きたいと思っていた場所だった。 また、水を買おうとしたら買ってくれたりした。 絵葉書を買いたいと言ったときにだけ、土産物屋に連れて行ってくれた。 お酒も飲ませてくれた。・・・すべて、お金をくれとは言わなかった。 ・・・・それもこれも、最終的にカモるためであったのだ・・・。 日本で手配した内容がインドでは、いくつか違っていた。 このカジュラホーから次の町バラナシへ向かうには、 最寄の鉄道駅のある、サトナーと言う町を経由する必要があった。 カジュラホーからサトナーまでは車移動だが、もちろん車は手配されているはずだった。 しかし・・・マンシングさんは、含まれていないと言った。 サトナーからバラナシまでの列車のチケットは持っていたので、 何が何でも列車の発車時間までに、サトナーへ行かなければならない。 仕方なしに車の手配を頼んだ。朝3時半に出発して、4時間の道のり、1800ルピーだった。 それまでとても親切にしてもらい、とてもいい人だと思っていたのに、がっかりした。 (まぁ、私が勝手にそう思ってただけなんだど。) まさに「エビでタイを釣る。」だ・・・。数100ルピーで1800ルピーふんだくったのだ。 それも、「お金をくれ。」と言ったのではなく、 あくまでも正当な事をしているように、車代として1800ルピー稼いだ。 でもこの分は、日本に帰ったらインド人の社長に言って返してもらえばいい、と思った。 救いは、この時に車で送ってくれたインド人が、列車が送れて来たにもかかわらず、 ひどく暑い中、ちゃんと列車に乗るまで一緒にいてくれた事。 まるで私をその列車に乗せることが、自分の使命だというように、 イヤな顔ひとつもせずに、その使命を立派に果した。 当たり前だが、いろんなインド人がいる。 ![]() ![]() ![]() ![]() いい人もいっぱいいるよ。後で登場するよ~。
アグラーで飲んだくれた翌日にもかかわらず・・・
・・・・・・・・・・また飲んだくれてしまいました・・・・・。めんぼくない。 (写真:ジャンスィー~カジュラホーへ向かう途中、ドルガープージャに出会う。) *ドルガープージャ=女神ドルガーを称える祭りの事。 プージャーに出会ったら、安全のためにも外に出ないほうがいい。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() アグラーからカジュラホへ行くには、まず8:15発のシャタブディ・エクスプレスで ジャンスィーへ行く。そこから車で約4時間の道のりだ。 シャタブディ・エクスプレスは、さすがにインドの新幹線だけあって(?) 定刻より10分早く、10:30にジャンスィー駅に着いた。 (インドの鉄道は遅れる事で有名だ。) 早く着いたので、駅前に旅行会社の人が・・・いなかった。 大きな町だったが、デリーやアグラーなどの観光都市とは違い、どこかのどかだった。 リクシャーワーラーも客引きはしているが、私が誰か迎えに来ているはずだと言うと、 一銭のトクにもならないのに、駅の中まで探しに行ってくれた。(いい人だ。) カジュラホーの旅行会社の人は、いい感じのおっちゃんで、名前はマンシングさんと言った。 マンシングさんは、なかなかのジェントルマンだった。 おっちゃんに誘われて、一番大きい西群の寺院の前にあるRAJAカフェへ。 そこで、インドウイスキー「ホワイト・ラベル」(どっかで聞いたような名前・・・)を飲んだ。 おっちゃんは氷入りの普通の水の水割りだったが、 私は氷を入れないミネラルウォーター割りで。(普通の水と氷は当たるといけないので。) アルコール度数は35度だった。かなりチープな味がした。 味だけなら昨夜のインドラムのほうが美味しかったが、 ジェントルなおちゃんは、昨夜のSS氏のような事は言ってこなかったので、 楽しいお酒になった。 帰り道、寺院の外側から少しガイドしてもらってから、 おっちゃんのバイクでホテルまで送ってもらった。もちろん飲酒運転で・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() だいたい一人旅と言うのは、早寝になってしまうものだ。 夕食後の楽しみは、言葉のわからないTVを見るか、絵葉書や日記を書くくらいだろう。 インドの夜は暗い。日本の街灯の明るさに比べたらかなり暗い。 暗い道が危険なのは、日本だけでなく万国共通ではなかろうか? 初めての町では、少しでも怖いなと思ったら出かけないほうがいいと思う。 犯罪に巻き込まれるわけでないとしても、 インドでは道がボコボコだったり、牛糞があったりして夜道は危ない。 比較的安全なのは、外国人の姿がある場所。 「地球の歩き方」に書いてある店なら、まぁ安全だろう。
インドで酔っ払おうと思うな。そう「地球の歩き方」(P88)には書いてある。
おおっぴらに、お酒を飲む事をよしとしていないからだ。 実際のところ、都市のレストランや外国人が行く店は別として、 小さな町の店でビールを注文すると、紙ナプキンでぐるぐる巻きにして持ってきたりする。 また、テーブルの下に隠してくれと言われた事もあるし、 ホテルのレストランでも、頼むから部屋で飲んでくれと言われた事もある。 そこまでして、お酒が飲みたいのか?と聞かれれば、 1日の終わりを楽しむために一杯飲りたい、と答えたい・・・。 (これは余談だが、ドバイに行く友達が日本からお酒を持ち込むと言った時、 「そこまでして飲みたいか!」と言ったのは、何を隠そう・・この私である。) さてそのインドで一杯だけでなく、酔っ払ってしまった事が数回(・・3回くらい・・・)ある。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() アグラーのホテルにSS氏が訪ねてきたのは21時過ぎだった。 ビールを飲みに行かないか?と言う誘いに、断りきれず飲みに行った。 ・・本当は飲みたかったからです。だってインドに来て5日間も飲んでなかったんだもん。 ・・それに、この先も飲めないかもしれないし・・・。 ・・お酒の誘惑に負けた私・・・・。(決して、彼の魅力に負けたわけではナイ。) SS氏と運転手と三人で飲みに行った。 インドでは普通、ガイドと客が同じ店に入ったとしても、運転手は一緒に入らないものだ。 しかし、この時は三人で店に入った。(何だかSS氏がいい人に思えた。) やはり、レストランでお酒を飲むと言ったら、店の奥の暗い部屋に通された。 最初に私は、キングフィッシャー(インドビール)を飲み、彼らはラムを水割りで飲んだ。 ラムを飲んでみたかった私は、氷を入れる代わりにコーラで割った。 何と言う銘柄のラムだったかは忘れてしまったが、インドラムは美味しかった。 その店でピーナッツをつまみながら、観光の話題なんかで2位間くらい飲んだ。 なるべく酔わないよう努めたが、結構気持ち良く飲んでしまった。 (決して、彼の魅力に酔ったわけではナイ。) SS氏がお金を払い(ビールとラムとつまみと・・・いくらかはわからない。) 帰りは運転手が(もちろん飲酒運転で)ホテルまで送ってくれた。 その車内でSS氏は、家族の話を始めた。 こういう話題の時には、終いには結婚してくれと言うに決まってる。 彼は「自分は28歳で、親から結婚しろと言われている。」と切り出し、 結婚したいと言ってきた。(やっぱり、そうきたねぇ・・。) (会話は、日本語だから運転手には、わからない。) ヒンドゥー教徒の両親が、異教徒との結婚を許さないのは知っていた。 友人のスミットも大学時代のGFと結婚する事はできなかった。 インド以外の国で生活した事のある家庭でも、そうである。 たとえ本人はそうしたくても、両親の望まない結婚をするとは考えられなかった。 (特にデリー周辺のインド人は、そういう傾向が強いみたい。) (カーストにも関係があると思うが、深いところまでは聞けない。) とまぁ、そのへんの理由を前面に出して、お断りした。 ハッキリ「NEVER」と言わないと伝わらないからね。 そうこうしているうちに、運よくホテルに着いたので助かった。 逃げ足が速い事では有名な私は、とっとと帰ってしまった。 もちろん、お酒と送ってくれたお礼は言ったけど。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ゴメンナサイねぇ。やらずボッタクリで・・・。 でも、他のところでカモられてるから、それでチャらって事にしてね。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
【 静かに安らぐ魂よ。主の身許へ帰りゆけ。
気に入り、気に入れられ、わがしもべらの仲間となるがよい。 わが楽園に入り来るがよい。 】 写真:タージマハルの入口に書かれたコーラン89章。 ■ タージマハルの町 ■ ニューデリー駅を定刻6:00に出発したシャタブディ・エクスプレスは、 さすがにインド自慢の新幹線だけあって、定刻8:00にアグラーに到着した。 (デリー~アグラーカントまでノンストップ) 途中車内では、水1ℓとティーセット、朝食が出る。 これは無料で提供されるが、実はちゃんとチケット代に含まれている。 1997年当時の料金は、305ルピー(約915円)だった。 駅前で、アグラーの旅行会社のガイドがネームプレートを持って立っていた。 日本の旅行代理店が手配してくれたので、空港や駅では必ず出迎えが来ていて、 1泊目のホテルまで連れて行ってくれたので、かなり楽チンだった。 このガイドはミルザ氏と言い、日本語が出来た。 アグラーはデリーに次いで危険の多い町だ。彼に観光ガイドを頼むことにした。 デリーでは節約したのだが、その反動でかなりの出費。 2日間の車代とガイド料(日本語)で1600ルピー。日本円では4800円だが、やはり高い。 (アグラ城、タージマハル、スィカンダラーバード、ファティープリースィークリーと回った。) カモられたとは思うが、危険回避料だと思うことにした。 ミルザ氏はお洒落で流行に敏感で、ブランドのジーンズをはき、 (日本人からマキアゲタお金で、買ったに違いない・・・。) ピザ屋に連れて行ってくれたりした。彼は独身だったが、色気より商売熱心だったので、 頼みもしないのに、ちゃっかり土産物屋に連れて行かれた。 まぁ、愛想程度にルンギー(インド式腰巻)を買ってみた。 (どっちにしても、面倒くさいんだけど・・・。) と言うわけで、アグラーの危険については、お伝えできないのが残念です。 ホテルから観光地までタクシーだったので、地理も良くわかりません。 すいません、お役に立てなくて・・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() インドの世界遺産の入場料はかなり高騰している。 当時のタージマハルは、たった15ルピー(約45円)だった。 一旦10US$になり、現在は5US$に落ち着いてる。 ただし、外国人は5US$でも、インド人料金は5~10ルピーくらいなはず・・。 他の遺跡では、外国人10US$、インド人10ルピーと書いてあったので、 馬鹿馬鹿しくて入場せず、外側から眺めて帰ったことがあった。
■ デリーで気をつけるところ ■
①空港・・・・なんでしょうけど、私はデリーから入国した3回とも出迎え付きだったので、 危険には遭遇してません。 危険を避けるためには、車での出迎え+ホテルを予約するのが一番です。 ②コンノートプレイス・・・歩いていると、客引きがまとわりついてくる。 こっちが無視しても、2ブロックくらいは平気でついて来る。 連れて行かれる所は、土産物屋か観光局と言う名のボッタクリ旅行代理店。 それらしい「Government]とか「ITDC」と言う看板が出てるが、 全然違うところなので、「地球の歩き方」と違う場所だったら入らないこと。 間違って入ったとしても、ガンとして契約しないように。 (最近はUS$建てでなく、ユーロ建てだったりする。) また、この界隈でリクシャーを拾おうとしても、 土産物屋かボッタクリ旅行代理店に連れて行かれそうになる確率が高い。 ここは、インドっぽくない高級なショッピング街(銀座風?)なので、 私は「もう行かなくていいかな。」って思う。行っても買うものもないし。 ③メインバザール・・・私的には大好きだし、居心地のよい所・・・・でも・・・ 初めての人にとっては、狭い通りの両側から声をかけられ落ち着けない所かも。 (上野のアメ横をイメージしてね。) ここのバザールの人は、通行人がインドに慣れてるかどうか、わかるらしい。 2003年に行った時に、あまりにも声をかけられなかったので、 インド人に「この通りも、ずいぶん静かになったね。」と言ったら、 「それは、あなたがインドに慣れてるように見えるからだよ。」って言われた。 でも、インドらしい所なので、行ってみてね。 ただし、このような狭いバザールでは、痴漢やスリに気をつけて。 ■ リクシャーの拾い方 ■ 私も、いろんな町で、いろいろな方法を試してみました。 ①いろんな人に相場の値段を聞く。 「地球の歩き方」には書いてあるが、時間がない場合は使えない。 ます、ホテルの人に「○○までリクシャーでいくらかな?」と聞き、 外へ出たら、その辺の何人かに同じように聞き、相場を調べてから交渉する。 ②いろんなリクシャーと交渉する。 ①で調べた相場(平均値)で交渉する。それ以上なら乗らないくらいの 気持ちで粘り強く交渉する。やはり、時間がない場合、疲れてる時は使えない。 ③ヒンディー語で交渉する。 ・・・あまり効果なかったなぁ・・・。 1~10ルピー、それ以上は15、20、30、40・・・(10きざみ)しか知らないから、 細かい交渉は出来なかったけれど、ヒンディー語だからって安くならなかった(ような・・)。 ④交渉せず乗ってしまう。<上級者向:究極の方法!> (最近の私は、もっぱらこの方法です。) 時間も使いたくないし、交渉するエネルギーも使いたくない場合、 流しのリクシャーを止めて、交渉せずに乗ってしまう。 いかにも 「いつも乗ってるから知ってんのよ。」 的な態度でね。 で、私の場合は1km=5分で計算しながら、5分×10ルピーで払った。 どうしたってインド人には見えないんだから、 (ネパール人とは言われるが、外国人には違いないし。) ツーリストプライスは仕方ないでしょう。 これでも文句言われた事ないから、払い過ぎなんでしょうけど。(笑) ⑤流しのリクシャーか休憩中のリクシャーを拾う。 向こうから声をかけて来たりするリクシャーはダメ。 必ず自分から乗る意思を示す事が重要。 デリーでもデジタルメーターのリクシャーが増えてる。 オリンピックに向けてメトロも急ピッチで造ってるし、 そのせいか言わなくてもメーターで乗れる事もあった。 見分け方は、リクシャーワーラーがカーキ色の制服を着ていることかな。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
■ ミッション ■
4日目の夜、スミットの両親がホテルまで車(スズキマルチ)で迎えに来てくれた。 いつもは専属のドライバーがいるのだが、父親が運転してきたと言う。 家はデリーの北の郊外にあり、車で1時間ほどかかる。 見ず知らずの日本人のために、わざわざ来てくれただけでもありがたいのに、 ホテルを引き払って、自宅に来いと言ってくれた。 次の日の朝6時のシャダブディ・エクスプレス(インドの新幹線:写真)で アグラーに行くからと、(かなり片言の)英語で言ったが、 駅まで送るから大丈夫、泊まれと言う。 それ以上、英語で言えなかったので、お言葉に甘えさせてもらった。 途中のレストランで食事をした。ターリーだった。 3種類のカレーの中に、私の嫌いなオクラが入っていた。 食わず嫌いかもしれないが、ねばねばヌルヌル系の食材が苦手だ。 ・・・・納豆、オクラ、ジュンサイ・・・。 しかし、せっかくご馳走してくれているのに手をつけないのは失礼だと思い、 我慢してチャパティですくって口に入れた。 ところが、コレが期待を裏切って、思いのほか美味しかった♪ それからオクラのカレー(ビンディマサラ)は、私の大好物になった。 (でも、カレー以外のオクラは食べないんだけど・・・。) もしかしたら、納豆のカレーも食べられるのかもしれない。 インド北東部のシッキム州には、納豆のカレーがあるのでチャレンジしてみたい。 ◆豆知識◆ 長野に納豆カレーの山小屋という店がある。(カレーミュージアムにも入っていた。) しかしこのカレーは、普通のカレーに納豆がトッピングしてあるだけだ。 食べられそうなら食べようと思ってたが、見ただけでダメだった。 友人の感想は、カレーはカレーで、納豆は納豆で食べたいとの事。 (私が食べた感想じゃなくてスイマセン。) シッキム州のカレーはトッピングではなく、具として入っている。 ヤムナー川を超えてしばらく行ったところに、林のように高層マンションが密集していた。 モハンナガルと言う一帯だ。その中に彼らの家はあった。 かなり広めの3LDKで、各部屋にバス・トイレがついていた。 エントランスから続くリビングだけで、私の家位ある・・・。(とほほっ。) それがインドでは当たり前のようだ。ビックリしたのは、リビングに滝が流れていた事! (お金持ちのようだ・・・。そりゃそうか、子供二人をアメリカへ留学させるほどだから。) その辺に日本人が来ることは、まずないのだろう。近所の友達が訪ねてきたりした。 ムチャクチャな英語と折り紙でツルを折ったりして、なんとかコミュニケーションをとった。 (どこでも、折り紙はかなりウケがよい。) 翌朝、4時半に起床しニューデリー駅に向かった。 インドのお父さん、お母さんありがとう。感謝! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() パンジャビー(インドの若い女性が着る服)を着て、器用に右手だけでカレーを食べる私を見て、 両親は感激したとスミットに話していた事を、後でスミットから聞いた。 それから6年後、彼らは娘さんの結婚式に招待してくれた。 (この様子は、また別の機会に。) to be continue. |