武豊、1969年(昭和44年)3月15日滋賀県生まれ。
父の邦彦は名人、ターフの魔術師と呼ばれた騎手で調教師であった事は、
うっすらとした知識として知っていた。
祖父の芳彦は北海道馬主協会の重鎮であった事は知らなかった。
と言う事で武豊はまさしくこれ以上ない血統で、
日本競馬会のサラブレッドなのだった。
1987年3月1日騎手デビュー、3月7日初勝利以来、
中央での騎乗回数25,108回、優勝4,579勝。
(2025年6月8日現在)
1988年菊花賞にてスーパークリークでG1初勝利、
19歳7か月23日でJRA史上最年少クラシック制覇。
この時の冷静な騎乗から天才と呼ばれるようになった。
1989年、3年目にしてJRA全国リーディングジョッキー獲得、
このあたりからスポーツ紙、競馬紙以外の雑誌やメディアに登場し、
武豊はその名を知られるようになった。
この年の夏からアメリカで騎乗し3戦目に初勝利を挙げ、
以降は年末年始や夏はほぼ毎年海外へ渡航し、アメリカ、フランス、
オーストラリア、ドイツ、イギリス、UAE、香港、韓国、
サウジアラビアの9か国で勝利を挙げている。
2012年から週刊誌で連載していた「勝負師の作法」から引用、
思い出をつづったエッセイ集。
騎乗した馬との思い出を中心に馬の特徴やレースの回顧、
どういう気持ちで馬と接し、どう騎乗したのか。
100頭100通りの個性的な馬たちに、どういう気持ちで接して、
馬の良い所を引き出すために、どう騎乗したのか。
この本で意外だったのは、馬との接し方を恋愛に例えていた事。
そんなキャラクターだと思っていなかったので驚いたなぁ。
別に硬派だと思っていたわけではなく、
ユーモアのセンスのある人だと知ってはいたけど。
レースの前は作戦を100~200通りくらい考えているんだって。
スタートから道中、一緒に走る馬がこう来たらこうする、
こうなったらこうだ、みたいな展開を考えてるそうだ。
騎手みんながみんなこうなのかは解らないけど。
勝つための作戦って大事。それはボクシングでも同じ。
勝負事だけでなく、仕事や恋愛(?)も同じか、笑。
今までで勝てないと思ったのは1度だけ、ナリタブライアンだって。
今から13年くらい前だから43歳くらいの時に書いているんだけど、
その時も、今より上手くなりたいと言う考え方があるから、
騎手を続けていると書いているし56歳の今でも変わっていない。
その気持ちがあるうちは現役を続けて行くと思う。
60歳はもとより、100回ダービーの時は64歳だけど、
まだまだいける。
たまたまダービーの騎乗を本人のジョッキーカメラで観たけれど、
驚くほど安定していた。全く上下動はなかったし、
それどころか左右に画面がぶれたのは3回くらいじゃないかな。
バックミラー着いてないのに・・・あんなに安定してるなんて。
恐ろしいほどの強靭な身体である。まだまだいける。
今年引退した大井の的場文雄さんは68歳だったし。
岡部幸雄さんに憧れててカッコいいと思っていたと書いてたけど、
岡部騎手がフランスで騎乗する事になった時に、
年下だけど先駆者の武くんに教えを乞うてきたところとか、
引退する時に「記録を塗り替えて申し訳ありません。」と言ったら、
「豊君に抜かれて嬉しかった。」と言ったところなんか、
本当にカッコいいと思った。
いずれ武くんの記録が抜かれる日がやって来た時、
武くんも言うんだろうな。
「〇〇君に抜かれて嬉しかった。」と。
どちらかと言うと私は武豊信者なのであるが、
(ずっと競馬をやっていたわけじゃないので・・・)
それほど感謝した記憶はないのである、笑。
覚えているのはナリタタイシンが目黒記念で復活勝利した事くらい。
最後の直線で最後方から一気に突き抜けた時は気持ち良かった。
まぁこれから感謝する日が来ることを心から祈っている。
武くん、頼んだよ。