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カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

「架空犯」東野圭吾

2025年05月06日 21時44分59秒 | 本 / BOOKS

2024年11月刊行の東野圭吾の小説。最新刊である。
発売されてすぐに買わずに、図書館に予約を入れた。
物凄い人気だから、半年後に順番が回って来た。

タイトルから想像できるのだが。
架空の犯罪なのか、架空の犯人なのか。

ある政治家とその妻である元女優が殺された場面から始まる。
五代努と言う刑事が捜査にあたる。

五代は優秀な刑事である。
現場に残された物、残されなかった物、
死体は何を語るのか・・・・。

犯罪は間違いなく起きている。
しかし、捜査はあらぬ方向へ向かってしまう。
そう仕向けた犯人がいる。
しかしその犯人は真犯人なのか、そうではないのか。

東野氏お得意の過去に深いしがらみがある。
血は争えないのか、血縁によるものなのか、
想像なのか、真実なのか。

なるほどと思わせる事も多いのだけど、
私にはそうかなぁ・・・・と思うところが一つあり、
(ここでは言えないけど)その点がどうもひっかかる。
それがこの作品の鍵であり、それがそうでなければ、
成り立たなくなっちゃうので、そうしておくけれど。

テイストとしたら「容疑者Xの献身」みたいな作品。
2021年の「白鳥とコウモリ」で登場した
刑事:五代努シリーズの第2弾に位置づけられるようだ。

 

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「屋久島トワイライト」樋口明雄

2025年04月21日 21時32分59秒 | 本 / BOOKS

屋久島を舞台にした樋口彰雄の小説。

いちおう「還らざる聖域」の続編みたいだけど、
前編は屋久島にテロリストが上陸してきて、
島民が生まれ故郷を守るために戦うと言うストーリーだった。

今回は主人公となる数人の登場人物は前編から引き続いているが、
屋久島に巣くう「メン」と呼ばれる妖怪と戦うストーリー。

屋久島山岳ガイド狩野哲也シリーズの第2弾と言うらしい。

屋久島には河童伝説もあって、
神の島だけに屋久杉が生息するジャングルには、
妖怪ではないにしろ、精霊とかいそうな感じはした。

伝説の妖怪の中でも山姫と呼ばれる女性の幽霊にまつわる伝説は有名。
この小説の中では妖怪界の大祭に捧げる生贄を見つけるために、
山姫が人間を魔界に誘い込む。

妖怪がいる所には祈祷師にような者もいて、
妖怪と戦うのであった。

やはり舞台となる屋久島の安房地区をはじめ、
屋久杉のトレッキングコースなども、
実際に行った場所は思い浮かぶのであった。

「還らざる聖域」のほうが身近な感じがして、
恐怖に縮み上がるのだが、
オカルト好きな人にはこちらもいいかもしれない。

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「還らざる聖域」樋口明雄

2025年04月07日 21時32分59秒 | 本 / BOOKS

屋久島を題材にした小説を捜していて見つけた作品。
2023年発行の樋口明雄の小説。

林芙美子の「浮雲」は屋久島滞在時に書かれたものであるが、
屋久島を題材にしたわけだはなく。
物語が終結したのが屋久島だっただけである。
屋久島の良さと言うか特徴に重きを置かれていなかったので、
読み終わった時に物足りなさが残った。

この小説は良かった。

この小説は屋久島を題材にしており、
ほとんどが屋久島で起こった事であり、
私が訪れた屋久島の特徴がそのまま描かれており、
読みながら記憶がよみがえってきた。

舞台が屋久島でなければならなかった、
屋久島でなければ成り立たなかった、
(他にあるのかもしれないけど)
屋久島を書いた小説の中で一番だろう。

前置きが長くなったが、
すごくいい! と思える小説だった。

何の罪もない屋久島が突然、事件に巻き込まれる。
それも大掛かりで組織的で、時代を変えるような、
世界の一部を巻き込んだ大事件。

日本の近くにある危険なK国に、
国を根底から変えるような政治的な事件が起こる。
その一端を担がされるかのように、
屋久島にテロリスト集団が送り込まれる。

屋久島の一部が破壊され、罪のない島民が犠牲になる。
島を占拠せしめんとするテロリストは、
島民を人質にして日本政府に無理難題を要求する。
それはアメリカをも巻き込む大事件に発展していく。

ストーリーには屋久島の安房の町や縄文杉のあるエリア、
私の記憶に残っているところが出て来る。
島の出身者である山岳ガイドや警察官の行動、
住民たちの島を守ろうとする気持ちなど、
地の利を使ってテロリストと対峙するところ、
手に汗握る攻防が見どころである。

テロリストって言うとそれほどピンとこないけど、
実際に武器を手にして戦争や紛争に参加した人間って、
その手で命を奪った事がある人ってやっぱり普通の人間とは違う。
気持ちの根底に座った物がある。
殺らなきゃ殺られる、そんな状況になって、
そんな状況を乗り越えて生きているわけだから。

屋久島の自然が破壊されるところは心が痛んだけど、
フィクションだからね。

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「浮雲」林芙美子

2025年03月30日 21時49分59秒 | 本 / BOOKS

屋久島に行った際に出会った林芙美子。
林芙美子本人に会ったのではなく、
たまたま通りがかった屋久島山荘と言うホテルに、
林芙美子が滞在しこの「浮雲」を執筆したという。事に出会ったのだ。

 

約3か月経って読んでみようと思い立った。

1903年(明治36年)生まれの林芙美子が、
幼児期から不遇であった自らの生い立ち「放浪記」を書いたのが、
1928年(昭和3年)である。この大ヒットで人気作家となった。

「浮雲」は1951年(昭和26年)に屋久島で書かれた。

物語は1943年(昭和18)にベトナムにタイピストとして渡った
「ゆき子」が主人公であり、ベトナムでの仕事で知り合った
農林省の役人で植物の専門家である富岡との愛憎劇である。

富岡は日本に残した妻がありながら、
現地人のメイドとも関係し、ゆき子とも不倫関係になる。

戦争が終わって二人は別々に帰国するが、
富岡にとってベトナムでの出来事は火遊びであった。
ゆき子は富岡を訪ねるが農林省を辞めた富岡は落ちぶれ果てており、
ゆき子の事を邪魔者と考えていた。

ゆき子はすっかりシタタカになっており、
富岡にまとわりついて行く。
仕方なく富岡は現実から逃げるためにゆき子を心中しようと、
伊香保温泉に行くが、そこでも富岡は現地の若い女と関係を結び、
またそれが死ねずに帰った東京で事件を巻き起こす。

富岡と言う男は女にだらしなく、
現実から逃げるために浮雲のように女から女へと渡り歩く。
そして、ゆき子や多くの女たちを苦しめてしまう。

舞台はベトナムから東京、伊香保温泉、東京、静岡と変わって行き、
屋久島の字が出たのは300ページ以降・・・・
今か今かと読み進んで行って、ようやく・・・・と思った。

屋久島の部分は起承転結の結の部分で、
410ページのうち終わりの100ページもなかった。
現代の屋久島が観光地化しているといっても、
大自然が売りである。終戦まもなくの屋久島では、
夢のような楽しい毎日を送れれるわけもなく・・・・
浮雲のように生きて、浮雲のように消えて行った。

それでも私が見たホテルや何ヶ所かの訪問地は登場したので、
思いを巡らせる事はできた。

戦争に負けた日本は物もなく金もなく、
現実から逃げるために犯罪を犯したり、
他人を欺いたりする事は生きるために仕方なかった、のかもしれない。

旅行好きの私は、ベトナム(行ったことないけど)の下りや、
旅行のシーンは心躍る気持ちだったけれど。
やはり貧しさからくる暗さや、気持ちの移り変わり、葛藤・・・
この辺りがスイスイと読めなかったところかなぁ。

1955年に高峰三枝子主演で映画化されている。
富岡役は作家:有島武郎の長男である森雅之。
1973年に亡くなっているので知る由もないのだが、
富岡役がハマるほどのニヒルな演技が板についた俳優で
私生活も富岡同様であったようだ。

 

 

 

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「魔女の後悔」大沢在昌

2025年03月22日 21時14分59秒 | 本 / BOOKS

2024年発行の大沢在昌の「魔女シリーズ」第4弾。

14歳で実の祖母に地獄島と言う売春島に売られ、
24歳で島抜けし、顔を変え、過去を捨てて、壮絶な経験を経て、
闇のコンサルタントとして、生きる水原。

水原は経験を通して出会った男の人相や物腰などで、
どんな人間かが見抜いてしまう特殊な能力がある所から、
魔女と呼ばれている。

闇のコンサルタントとは何か?
裏社会の事件を追い悪を懲らしめる、
解りやすく言えば必殺仕置き人のような仕事である。

基本的には自分の他は誰も信じないのだが、
元刑事で性転換手術を受けて女性として生きる星川とはいいコンビ。
公安あがりの湯浅には情報を提供しつつ身を守ってもらえる程度の
利益は与えている。

元極道の女親分で今は京都の尼寺の浄景尼からの依頼を受け、
お世話になった恩返しをすべく無償で仕事を請け負う水原。
とある13歳の少女を京都の尼寺へ護衛して欲しいという依頼だが、
少女が相続する多額の遺産を狙った犯人が襲ってくる。

少女の父親が残した遺産はまっとうな金でなかったようで、
詐欺に遭ったという韓国からの追手もいるようだ。

犯人の中に水原に個人的な恨みを持つ人物がいる事に気づいた水原は、
水原の命を奪いたい主犯が遺産目的の共犯者を制御できないように仕向ける。

その主犯の正体は・・・地獄島にあった。
どこでどう巡り巡ってきたのか?
少女と水原には所縁があるのか?

終わり方が続編あるよ的だったので、次作も期待しちゃうなぁ。

 

 

 

 

 

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「拳に聞け」塩田武士

2025年02月28日 21時41分59秒 | 本 / BOOKS

2015年発行の塩田武士のボクシング小説。

元芸人で便利屋の省吾が立ち退きを迫った、
大阪の弱小ボクシングジムを舞台に描かれた、
感動的なストーリーなのだが、大阪やからね。
ボケとツッコミ満載なのだった。

ハードボイルド作家の大沢在昌の小説で、
大阪を舞台に営業マンが探偵のように犯人を追いつめていく作品がある。
ハードボイルドなのに大阪が舞台であるという事と、
大阪弁の台詞だとハードボイルドに落ちとツッコミが存在し、
思わずプッと吹き出してしまうところもある。

本作品も主人公が元お笑い芸人と言う事もあるが、
普通の登場人物でも、まじめな設定のシーンでも、
思わずプッと吹き出してしまうところもある。

そこが大阪弁の持つ魔力なのだと思う。

大阪の弱小ボクシングジムには会長と選手が1人、
選手は会長の息子である。
センスのある息子の勇気をチャンピオンにするため、
夜はタクシー運転手をしている会長が英才教育をしている。

そのボクシングジムを廃業させ、
その場所に定食屋を開こうとする女性が、
省吾に立ち退かせる仕事を依頼するところから始まる。

立ち退きを迫るためにジムを訪ねた省吾だが、
親子の状況を見て逆に協力する事になってしまう。
依頼者の女性もジムに状況を見て、
住み込みで一家の様子を見る事になってしまう。

なんだかよく解らないうちに、
そのジムに協力してしまうところが、
なんだが大阪チックなのである。

勇気は期待に応えるべく練習を重ね、
紆余曲折を重ねつつ次第にランキングを上げていく。
一気にスターダムに駆け上がるわけはなく、
一進一退の末に一歩づつ上り詰めて行く所が現実っぽい。

そして一度負けた相手がチャンピオンになった時、
リベンジを果たすべく挑戦者となる勇気。
ここでも単なるサクセスストーリーにならないところが、
これまた現実っぽいのであった。

一度は捨てお笑い芸人への夢を、
勇気や一家の苦労を助けているうちに取り戻す省吾。
もういちど立ち上がり、一度は去った舞台へチャレンジして行く。

ボクシングをテーマにしているが、
周りの人間の喜怒哀楽や背負った物、
本来は暗く重くなるところも、
大阪独特のボケとツッコミで笑い飛ばしてしまう。
軽やかでしんみりしないボクシング小説だった。

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「1R1分34秒」町屋良平

2025年02月27日 21時40分59秒 | 本 / BOOKS

ここのところボクシング小説を読み続けている。
タイトルからしてボクシングらしい。
2019年発行の町屋良平の作品。

主人公はボクで名前はない。
4回戦の若いボクサーで、初戦はKOで勝ったものの、
その後3敗1分であり、1勝3敗1分、
早い話が弱いのである。ただパンチ力はあるようだ。

しかし、気持ちの強さがない。
何が何でもとか、チャンピオンになってとか、ない。

なんでボクシングをやってるのか。

でもこういう若者がいるのかもしれない。
みんながチャンピオンになれるわけではないし、
センスがあるわけではない。

ボクは飲食店でバイトをしている。
店のみんながチケットを買ってくれたり、
シフトを優遇してもらったりしていたけど、
勝てないのでまわりから気を使われる存在になる。
ボクはジムに体験入門でやって来た、
女の子をナンパしたりする。

その辺にいるただの若者である。
ボクシングに賭けているものがない。
果たしてボクシングをやる意味があるのか。

そんなボクはトレーナーに見放されてしまう。
しかしそんなボクだが、パンチ力があるので、
同じジムの6回戦ボクサーである通称ウメキチが、
トレーナーとしてつく事にある。

ウメキチはボクの欠点をよく解っており、
解りやすく指導していく。ボクはウメキチの指示を
うっとうしく思いつつも従って行く。

そして迎える次の試合・・・・
「1R1分34秒」でKO勝ちする・・・・
のかと思ったら・・・
「1R1分34秒」でKO勝ちするのを空想するのであった。

 私はボクシングをした事がない。
 (正確には体験入門だけだ)
 だから技術的な事はよく解らないのだが、
 ウメキチの分析と指導はとても分かりやすかった。

 減量中の精神的な浮き沈みとか、
 トレーニングのつらさやモチベーションとか、
 周りの環境との付き合い方とか。
 この辺りも実際そうなんだろうと思った。

 作者は物凄くボクシングに詳しいんだなぁ。
 もしかしたら真剣に打ち込んでいた事があったのかなぁ、
 などと思っていたら・・・・
 最後のあとがきを見て驚いた!

 なんと技術的な事は小熊ジムの田之岡条選手の説明を受けていた。
 田之岡選手は私の友人がスポンサーについている選手だ。
 スポンサーにこの本を推薦したら、やっぱりビックリしてたわ。

世の中狭いなぁ。

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「あゝ、荒野」寺山修司

2025年02月07日 21時30分59秒 | 本 / BOOKS

原作は1966年に刊行された寺山修司の長編小説。
2107年に原作映画がノベライズされた。

寺山修司と言えば・・・
私は三上博史のデビュー作「草迷宮」を上げる。
それと八千草薫の「田園に死す」、独特な世界である。

原作では1960年代が舞台であるが、
2017年に映画化されるにあたって
舞台は2021年の東京オリンピック後に設定された。

主人公は、傷害事件を起こし少年院から出所した新次と
言語障害を持つ床屋の健二。
父親が自殺した事で母親に捨てられ孤児院で育ち、
悪い事に手を染め少年院に3年いた21歳の新次。

韓国人の母親と韓国で暮らしていたが、
母親が死んでしまい日本人の父親に日本に連れて来られ、
虐待されながらも床屋で働く31歳の健二が、
潰れかけたボクシングジムに住み込んでプロになる。

全く異なったバックグラウンドで性格も正反対の2人が、
お互いにひかれあいながら兄弟のように生活して行く。

新次の母親、彼女、彼女の母親、健二の父親、
ボクシングジムのオーナー、トレーナー、オーナーの愛人、
登場人物がどこかで繋がっており、
複雑に絡み合う人間関係。
かみあう気持ち、すれ違う気持ち。

寺山修司作品独特のドロドロしたものが、
ボクシングに絡みついてきて、
この作品の前に読んだ沢木耕太郎作品の爽やかさとは両極の物語。

ボクシングをする動機がチャンピオンになりたいという事ではなく、
新次は殺したいほど憎んでいる男がボクサーになっていたので、
その男と戦い殺すためであり、ずっと孤独であった健二は、
誰かとつながるためにボクシングを続ける。
最後は二人がその目的を達成するために戦うのだ。

「感動のラストシーン」とあったけど・・・
なんか感動と言うより・・・なんだかなぁ。

寺山ワールド、ボクシングでなくても良かったかもしれないなぁ。

 

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「春に散る」沢木耕太郎

2025年02月06日 21時30分59秒 | 本 / BOOKS

2016年に刊行された沢木耕太郎のボクシング小説。

沢木耕太郎と言えば「深夜特急」である。
バックパッカーのバイブルと言われている。
旅行好きの人で読んだ人は多いだろう。

そして「一瞬の夏」である。
これもボクシング好きの人は読んでいるだろう。
元東洋チャンピオンであったカシアス内藤を描いた小説である。

そしで「春に散る」である。
冒頭の1節目から・・・沢木耕太郎であると思った。
読みやすい。ボクシング小説ではなく旅小説ではないか、
と思わせるような書き出しで私の心を揺さぶった。

主人公の広岡仁一がキーウエストへ向かう道をタクシーで走っている。
旅小説でしょ?

広岡が何者であるかは読み進んで行くにしたがって解ってくる。
彼は初老であり、持病を抱えており、
キューバを一目見るためにキーウエストに向かっている。

元ボクサーであった彼が世界チャンピオンになると言う夢を持ち、
アメリカに渡ってきたのは40年前だった。
チャンピオンになれぬまま日本にも帰れず、
アメリカで40年間暮らしている間に一度も日本に帰っていない。

インドで12年間暮らした私は、なんとなく共感を覚えた。

彼はアメリカで苦労した甲斐があって、
ホテルを所有し成功者になっていた。
キーウエストではキューバは見えなかったが、
ある日本人選手の試合を観た事がきっかけとなり、
彼は日本に帰る決心をする。

40年ぶりに帰国した彼は、
なんとなくボクシングの試合を観に後楽園ホールへ行き、
そこでかつて所属していたジムの娘・令子と再会する。

彼のジムには世界チャンピオンを目指す4人の有望選手がいた。
世界チャンピオンを育てるという目的を持った会長が、
計画的に4人の選手を育てていたのだった。
結局、4人とも世界チャンピオンにはなれなかった。

彼は他の3人の消息を訪ね、
みな幸せではない人生を送ってきた事を知る。
生活に困っている3人と昔のように一緒に暮す事にした彼は、
1軒の大きな家を借り思い出をなぞり始める。

ある日4人は、酔っ払いと喧嘩沙汰になり、
そこで彼がノックアウトした一人の若者の面倒を見る事になる。
若者は挫折した有望なボクシング選手だった。

4人に教えを請うた若者は4人のコーチが教える事を
素早く体得して行き世界チャンピオンへの道を駆け上がる。

70歳近い4人と20代の若者が、
共に夢を叶えるために努力していく様子、
ボクシング理論や技術的な事、生活面と精神面、
作者が詳しいので納得しながら読んで行く事が出来た。

最後がちょっと悲しいけど、
読んでいてすがすがしい気分になる一冊。

2023年に佐藤浩市主演で映画化されている。

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「ボクシング日和」角田光代

2025年01月30日 21時24分59秒 | 本 / BOOKS

2020年発行の角田光代のボクシング観戦記。
エッセイかなぁ。

これまで角田氏の「空の拳」と「拳の先」と言う、
ボクシング小説を読んだのだが、
作者は自分でもボクシングをするのだが、
女性だし、選手を目指しているわけでもないし、
凄く詳しいわけでもないし、
ボクシングが好きなのだとは思うが、
やっぱり私ほどではないと思った。
(そう感じていたけど。)

その理由だが、
私はボクシング観戦に自ら進んで行く。
応援している選手の試合でなくても、
知らない選手の試合でも前座の試合も残さず観る。

作者の場合、そうではない。
応戦している選手や気になる選手の試合は観るが、
他の試合は観ない事が多い。
私ほどのボクシング好きなら全試合見逃さない。

まぁそんなことはどうでもいい。

作者が通っているのは西荻窪にある輪島さんのジムだ。
私は近所に住んでいた事があり、このジムは通り道にあった。
地下にあるので見学しにくかったので訪ねた事はないが、
行ってみたら作者がいたかもしれない。

それから何試合は同じ試合を観戦している。
一番驚いたのは、マカオで行われた村田諒太選手の試合だ。
私はインド在住の時だったので、はるばる出かけて行った。

あの時、同じ会場にいたのか。同じ試合を観たのか。

後楽園ホールはボクシングの聖地と呼ばれているし、
一番試合が多いので、作者と同じ試合を観た事もある。
大田区立体育館と言うマイナーな会場でも、
代々木体育館でも、同じ試合を観ていたようだ。

観戦記を読んでいると、
小説は書いているがボクシング関係者ではないので、
たぶん選手からチケットを買って応援に来ている普通の人と
同じような感想を書いている事が多いが、
普通の女性なら、そう言うものだろうと思う。

ボクシングをあまり観ない方でも共感できる。
驚くような事は書いていないが、
これからボクシングを観てみたい人は、
このドア(本)を開けてみればよいと思う。

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「空の拳」角田光代

2025年01月20日 21時24分59秒 | 本 / BOOKS

2015年発行の角田光代のボクシングをテーマにした小説で
2016年発行の「拳の先」の前編にあたる。

先に「拳の先」を読んだ時には前編がある事を知らなかったので、
編集者である那波田空也が追うタイガー立花と言うボクサーは、
既にライト級ではトップレベルであった。

 

「空の拳」は那波田空也が出版社に入社し、
全く希望しなかったボクシング雑誌の編集部に配属され、
いやいやながらにボクシングの取材を始める所からスタートする。

ボクシングを知るためになんとなく通い始めた鉄槌ジムで、
タイガー立花と出会い、取材しながらファンになり、
同じジムに通う練習生や選手、トレーナーやマネージャー、
関係者などと交流を深めていく。

弱小ジムでタイガー立花は新人王となり、ランカーとなり、
挫折しながら日本チャンピオンになる。

 私の知り合いに日本ランカーやチャンピオンもおり、
 日頃は気さくな良い若者たちであるが、
 やはり上り詰めて行くためには、当然普通ではだめで、
 血の滲むような過酷なトレーニングを繰り返し、
 精神的にも追いつめられているはずだ。

日本チャンピオンの上には東洋太平洋チャンピオンがおり、
その上には世界チャンピオンがいる。
タイガー立花は普通の若者であり、ボクシングを始め、
何かにとりつかれたように上を目指していく。

戦う事にどんな理由があるのか・・・
何のために戦うのか・・・
どこまで行けば満足するのか・・・

プロのライセンスを取っても試合しないで終わる人もいる。
試合には勝敗がある。負けても勝っても続ける人もいれば、
辞めてしまう人もいる。辞めなければならない人もいる。
プロになってもボクシングだけでは食べていけない。

チャンピオンになってもアルバイトをしている人もいる。
世界チャンピオンになり、防衛を重ねて行かなければ、
ボクシングだけでは食べていけない。

タイガー立花だけでなく何人かの選手が登場し、
それぞれの物語が進行していく。

空也はボクシング雑誌が廃刊になったため、
文芸の担当となりボクシングから離れてしまう。
それでもタイガー立花の事は心の片隅にあり、
ある日、TVで試合を観た事でまた続編「拳の先」に繋がっていく。

「空の拳」は「拳の先」ほど重くない。
あくまでもボクシングとの出会い、序章である。
やはり2作続けて読むべきである。

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「拳の先」角田光代

2024年12月23日 21時29分59秒 | 本 / BOOKS

明日予定されていた井上尚哉選手の世界4団体統一タイトルマッチが、
挑戦者の怪我によって1か月延期となってしまったのは残念だ。

ここのところボクシング小説を読んでいる。
飯島和一の「汝ふたたび故郷へ帰れず」も良かったが、
この角田光代「拳の先」も良いらしい。と、
村田諒太が薦めていたので読んでみる事にした。

2015年に発行された「空の拳」の続編で2016年発行。
知らなかったので順番に読まずに「拳の先」から読んでしまったが、
まぁそれでも良いかと。

ボクサーの自伝や伝記的な小説ではなく、
出版社に勤務する平凡な男性編集者:那波田空也の目を通して、
弱小ボクシングジムのボクサーと小学生の男子を中心にした小説だ。

何のためにボクシングをするのか。
その拳の先には何があるのか、を描いているので、
単なるボクシング小説ではない。

読み始めて女性が書いているので、戦いの描写はあっても、
荒々しい感じは受けなかったのだが、
筆者自身も学生時代からボクシングをやっていたと後から知り、
意外な感じがした。それを知って、運動音痴で友人が少なく、
ボクシングは好きでない主人公の空也は作者自身だったのかなと思った。

空也が行きがかり上、ボクシングを始めるのだが、
好きでもなくやる気もないのだから、上達するわけもない。
結局投げ出してしまうのだが、ジムの主力選手であるタイガーを
応援していくうちにタイガーの性格や取り組み方に惹かれ、
ボクシングに深入りしてしまう。

またジムで練習している運動音痴の小学生ノンちゃんが
いじめに遭っている事に気づき助けようとする。
タイガーとノンちゃんとの関係でボクシングは辞めたけれど、
ボクシングとの関係は深く続いてしまうのだった。

 私も20年くらい前に角海老宝石ジムの小堀祐介選手を応援し、
 そこからボクシングにのめり込み後楽園ホールには随分通った。
 自身でボクシングをやることはなかったけど、
 未だにボクシング観戦は続いている。簡単に言えば好きなのだ。

 小説中には、それと判るジムなどが出て来るし、
 後楽園ホールや近辺の町なども知ったところでもあり、
 読みやすかったし、読むのは楽しかった。

 単なる選手を中心に描いたボクシング小説ではなく、
 ボクシングを通して何かを得る。人生に通じるものがある。
 強くなるだけの為にボクシングをやるのではない、
 (いろんな目的の人がいる。)
 ボクシングでなくても良いのかもしれないけど、
 なんかいい感じがする小説だった。

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「汝ふたたび故郷へ帰れず」飯島和一

2024年12月06日 21時45分59秒 | 本 / BOOKS

ボクシングを描いた小説が読みたくなって捜したところ、
この本がヒットした。
飯島和一は歴史小説と言うジャンルの作家みたいだけど、
1989年に発行されていた。

有望視されていたが腐ってしまい故郷へ帰った主人公、
元新人王で日本ミドル級2位までランキングされた新田駿一。

その故郷とは7歳まで住んでいた鹿児島県の宝島、
年末年始に行こうと思っていた屋久島のまだ南にある島である。
なんという結びつき・・・・縁があるなぁ。


 書き出しはかなりクサい。大沢在昌のハードボイルドを
 たくさん読んだ私だけど、ハードボイルド調が臭ってくるほどだ。
 うぇーっと思いながらも、ボクシング好きだから読み進んだ。

新田は千駄木にあるボクシングジムでトレーニングしていたが、
いつまでたっても頂点にはたどり着けず腐ってしまう。
知り合いにボクサーはいるけど、彼らもこんな気持ちなのか、
(みんながそうではないが)と初めて知った事がたくさんあった。

 誰でも負けたくはない。
 だから強い相手を選ばず、勝てる相手を選んでマッチメイクするのは、
 某三兄弟だけの専売特許ではない。

新田は強かった。
ミドル級と言う日本人では大きい階級で、
一番力を出し切れる恵まれた体格と実力をも持ち合わせていた。
だから相手に恵まれなかった。
(現在の日本ランキングも6位までしか選手がいない。)
なかなかタイトルマッチにこぎつけず、
繰り返されるトレーニングと集中できない試合とバイトの毎日に壊れ、
ジムを辞めてアルコール依存症になりボロボロだった。

そんな新田を更生させようと手を貸す人物が現れ、
新田はアルコール依存症から抜け出すが故郷に帰る。
帰りたいと言うより子供の頃に遊んでもらった兄貴分に会いたかった。
しかし数年前に死んでしまっていた。
そしてボクサーとして独り立ちさせてくれた恩師の訃報の記事を読み、
再びリングに戻る決意をする。

で、再起戦に辿り着くまでのトレーニングの様子や
試合が決まってから、試合・・・と、
作者がボクサーなんじゃないか? と思わせるほどの表現だった。

26歳になった新田は復帰戦が20戦目、
相手は20歳で連勝街道を突き進むランキング1位。
対戦相手が怪我をしたため新田に回って来た代役で、
楽勝ムードでいたわけだ。

新田と言うキャラクターは才能はあるが特別ではない、
ボクサーはどんな気持ちで闘志を燃え滾らせ、
モチベーションを維持し、時には息抜きをしているのか。

近しい選手に置き換えては、納得してしまうのだった。

なんと今日は某選手の再起2戦目の応援に後楽園ホールに行く。
大阪の友人がスポンサーをしている関係で5月に復帰戦を観に行った。
判定勝ちだった。今回の相手は23歳で3連勝中の有望選手である。
またまたダブって来るものがある。

最近なんだか、いろいろな物事がタイミングよく回ってくるのだが、
なにか縁を感じてしまう。

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「羆嵐」吉村昭

2024年12月03日 21時54分59秒 | 本 / BOOKS

1977年に発行された吉村昭の小説で、
1915年(大正4年)にに北海道苫前郡苫前村三毛別六線沢
(現在の苫前町三渓)でヒグマが開拓民を襲った
三毛別羆事件をモデルにした作品である。

「羆」はヒグマの事でヒグマを狩ったあとに嵐が吹き荒れると言う
言い伝えによる。

ちょっと前に熊谷達也のマタギ三部作を読み、
吉村氏の作品にも熊を扱ったものがあった事を思い出し、
読んでみたのだが、ちょうど読んでいる時に、
秋田県のスーパーに熊が出没した。

動物愛護の観点から駆除に対してクレームが出ているようだが、
「羆嵐」を読んだらそんな事は行っている場合ではないと思うだろう。

体長2.7m、体重383Kgの雄のエゾヒグマは、
2日間で7人を殺害し3人に重傷を負わせている。

警察の指揮の基に30人ほどの猟師を集めて山に入り、
熊狩りをしたが失敗に終わっている。

小説の中では一匹狼で酒癖が悪く前科のある札付きの乱暴者、
銀四郎として登場するベテランの猟師が仕留めている。
彼は熊の習性を熟知しており、熊の行動を読んで居場所を推理し、
川下から背後に回り確実に仕留める距離から心臓を撃ったが、
それでも巨大な羆は絶命せず振り返り向かってきた。
銀四郎は正面から眉間に二発目を撃ち、ようやく羆を倒した。

小説では、羆が襲った人間を餌として捕食する様子も
詳しく記しており、背筋が凍るほどの恐怖が伝わってくる。
恐らくその場にいたら腰が抜けて失禁する事はもちろん、
気絶してしまうだろう。

動物園で飼われている熊ではなく、
野生の熊がどれほど危険なのか、
身近に出没したらどうなのかを考えれば、
山に返してあげて・・・・などと言えない事が判る。

 

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「破船」吉村昭

2024年11月30日 21時08分59秒 | 本 / BOOKS

1972年刊行の吉村昭の小説。

吉村氏の小説は物悲しい物が多いのだが、
表現が淡々としていて冬の情景が目に浮かぶ。
どちらかと言うと貧しい者であったり、
物資や愛情に恵まれた者よりそうではない人々の話が多い。

しかし、それが悲惨であればあるほど、
淡々とした文章が悲惨さをイコール悲惨として、
それ以下にもそれ以上にも表していない。

たぶん伝わらないだろうけど。
なんというのかなぁ。
読んでみると解る、読まなければ解らない。
当たり前だけど。

ある北の方の海岸にある17戸の小さな集落が舞台で、
前は海、後ろは険しい山、隣の町まで徒歩で3日がかりと言う、
陸の孤島のような寒村である。

その貧しさは蛸や秋刀魚が取れる時には干物にして売りに行き、
塩を作っては売りに行く。農産物は限られた物しかできず、
米は当然なく雑穀だけで、木の皮をはいで衣を繕い、
家族を養うために、身を売る・・・。
売ると言っても年期を決めて奉公に行くのだが、
身体が大きく頑丈で働ける者は決められたお金に対して短期で済むが、
力が弱くそれほど働けないと見えれば10年などと長くなる。

主人公は9歳の伊作、伊作は両親と弟と2人の妹と暮らしている。
父親は末妹が生まれた事で3年と言う年期で身を売る。
父が留守の間、伊作は一家を支えるために漁に出たり、
一家を代表して村長に仕える。

ある冬の夜、塩炊きの番を仰せつかった伊作は、
浜辺で塩を炊く事が単なる塩造りではない事を知る。

荒れる海に向かって火を炊くと言う事で、
灯を町と見間違った船が村に向かって近づいてくる。
すると浅瀬で座礁してしまうのだ。
座礁した船と積み荷は村にとってはお宝であり、
思わぬ臨時収入となるのだった。

もっともそんな「お船様」は数年に1回やってくるだけだが、
米や砂糖、酒など積んでいた場合には、
村長によって17戸に平等に分配される。

お船様によってもたらせられるのはお宝だけではない。
病原菌もやって来る。天国から地獄・・・。

そして3年が経ち、父親が戻って来るところで物語は終わる。

令和の今からは考えられないような貧困の話。
昭和生まれだったら少しは想像できると思う。

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