まず最初に、今回の地震と津波で行方不明になっている方が、
少しでも早く確認される事をお祈りいたします。
さて、実は私の知り合いに、運悪くモルディヴへ行っていた人がいる。
今回は、その知人(奇跡的にも生還した不死身の男・・・仮名:R君。)
の話をもとに綴っていくことにしよう。
私がR君からモルディヴ行きの話を聞いたのは、
2004年12月22日夕方の事である。
R君 : 明日から休みなんだよね。だから良いお年を。
私 : うらやましい。どっか行くの?
R君 : モルディヴ。ダイビング始めたんだ。
私 : へぇー。いいなぁ。年始までズーッと行ってるの?
R君 : 明日行って、年内には帰ってくる。
だって、そーしないと高いんだもん。
私 : そーだよねー。それで、泊まるところはコテージとか?
R君 : 船に泊まるんだ。コテージやホテルは高いから。
私 : じゃぁ、ほとんど潜ってばっかりだ。
R君 : うん、そーなるねぇ。一人で行くから。
それが最後の会話だった。
そして、12月26日のスマトラ沖地震による津波のニュース。
翌日、私の周りでは、朝からその話題で持ちきりだった
しかし、みんなはノーテンキなもんだった。
「海の中だったら、酸素ボンベもあるし大丈夫だろう。」とか、
「船に乗ってるなら、海面が上がるだけだから問題ない。」とか。
おいおい。みんなもっと心配しろよ。ちゃんと、ニュース見たのかよ。
結局、R君の携帯に「生きてたら連絡くれ。」の伝言を残し様子を見ることになった。
(ちなみに彼の携帯は、外国では通話できない。)
12月27日の午後、R君のお父さんから無事確認の電話があり、ほっとした。
私は、R君に津波当時の【ナマナマしい】話を聞いた。
私 : 津波の時は、どこにいたの?
R君 : 潜ってた。
私 : ホント? 海中の様子は?
R君 : なんともなかった。
私 : え、マジ?(心配して損した。)どれくらい沖にいたの?
R君 : 周囲200mくらいの島から、500mくらい沖。
海流がいつもとチョット違うかなって思った。
私 : 魚や珊瑚が流れてきたとか?
R君 : それはなかった。水が上下に動いたって言うか・・。でも、大した事なかった。
私 : 津波の情報は、いつ聞いたの?
R君 : 1回目の津波の時には、潜ってた。船に上がって2回目が何時頃来るのか聞いて、
一応避難する準備をしてた。
私 : でも、島に上陸した方が危なかったのかな?
R君 : 津波の被害は場所によるみたい、僕の居たあたりは、
ちょうど群島の真ん中あたりだったが、ナンともなかった。
私 : いつ帰国したの?
R君 : 12月31日の予定が帰れなくて、元旦に帰ってきた。
マーレに1泊した。
私 : 町や空港とかは、どうだった?かなりヒドイ状態だったでしょう?
R君 : マーレも1/3は浸水したらしい、空港も水没したわりには、
ナンともなっかた。
私 :(コイツ、鈍感なのか? それとも、被災地を見てないのか?)
えっ・・・そうなの?
R君 : 被害があってから4・5日たってたから。
私 : ま・・・無事でなによりだったね。





・・・R君は強運の持ち主である。え~以上。
今回は、津波に対する知識と情報伝達方法がなかった事が、
被害が大きくなった原因だと言われている。
あの時(昨日の日記、見てね。)のハワイのように、
伝達と避難が早かったならば、
少しは被害を食い止められたかもしれない、と思う。
少しでも早く確認される事をお祈りいたします。
さて、実は私の知り合いに、運悪くモルディヴへ行っていた人がいる。
今回は、その知人(奇跡的にも生還した不死身の男・・・仮名:R君。)
の話をもとに綴っていくことにしよう。
私がR君からモルディヴ行きの話を聞いたのは、
2004年12月22日夕方の事である。
R君 : 明日から休みなんだよね。だから良いお年を。
私 : うらやましい。どっか行くの?
R君 : モルディヴ。ダイビング始めたんだ。
私 : へぇー。いいなぁ。年始までズーッと行ってるの?
R君 : 明日行って、年内には帰ってくる。
だって、そーしないと高いんだもん。
私 : そーだよねー。それで、泊まるところはコテージとか?
R君 : 船に泊まるんだ。コテージやホテルは高いから。
私 : じゃぁ、ほとんど潜ってばっかりだ。
R君 : うん、そーなるねぇ。一人で行くから。
それが最後の会話だった。
そして、12月26日のスマトラ沖地震による津波のニュース。
翌日、私の周りでは、朝からその話題で持ちきりだった
しかし、みんなはノーテンキなもんだった。
「海の中だったら、酸素ボンベもあるし大丈夫だろう。」とか、
「船に乗ってるなら、海面が上がるだけだから問題ない。」とか。
おいおい。みんなもっと心配しろよ。ちゃんと、ニュース見たのかよ。
結局、R君の携帯に「生きてたら連絡くれ。」の伝言を残し様子を見ることになった。
(ちなみに彼の携帯は、外国では通話できない。)
12月27日の午後、R君のお父さんから無事確認の電話があり、ほっとした。
私は、R君に津波当時の【ナマナマしい】話を聞いた。
私 : 津波の時は、どこにいたの?
R君 : 潜ってた。
私 : ホント? 海中の様子は?
R君 : なんともなかった。
私 : え、マジ?(心配して損した。)どれくらい沖にいたの?
R君 : 周囲200mくらいの島から、500mくらい沖。
海流がいつもとチョット違うかなって思った。
私 : 魚や珊瑚が流れてきたとか?
R君 : それはなかった。水が上下に動いたって言うか・・。でも、大した事なかった。
私 : 津波の情報は、いつ聞いたの?
R君 : 1回目の津波の時には、潜ってた。船に上がって2回目が何時頃来るのか聞いて、
一応避難する準備をしてた。
私 : でも、島に上陸した方が危なかったのかな?
R君 : 津波の被害は場所によるみたい、僕の居たあたりは、
ちょうど群島の真ん中あたりだったが、ナンともなかった。
私 : いつ帰国したの?
R君 : 12月31日の予定が帰れなくて、元旦に帰ってきた。
マーレに1泊した。
私 : 町や空港とかは、どうだった?かなりヒドイ状態だったでしょう?
R君 : マーレも1/3は浸水したらしい、空港も水没したわりには、
ナンともなっかた。
私 :(コイツ、鈍感なのか? それとも、被災地を見てないのか?)
えっ・・・そうなの?
R君 : 被害があってから4・5日たってたから。
私 : ま・・・無事でなによりだったね。






今回は、津波に対する知識と情報伝達方法がなかった事が、
被害が大きくなった原因だと言われている。
あの時(昨日の日記、見てね。)のハワイのように、
伝達と避難が早かったならば、
少しは被害を食い止められたかもしれない、と思う。