カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

インドでゴルフ、2回目。

2011年03月31日 21時18分59秒 | スポーツ / SPORTS
石川遼くんは凄いね。やっぱり本物は、やることのケタが違う。
獲得賞金を全て義援金にするなんて通常の人にはとてもできないね。

その上、国内ツアーで取ったバーディ1個(イーグル含む)につき、
10万円を義援金とするとか。

CMとかやってるから問題はないんだろうけど、いやはや頭が下がる。
石川遼くんに、心から・・・「ありがとう。」の言葉を贈りたい。

頑固論 石川遼 自分を信じる力
クリエーター情報なし
講談社


実はゴルフの記事をアップする機会を失っていたんだけど、
ゴルフネタのついでにアップする事にしよう。



前回、インドで初ゴルフだったのだが、
奇しくも同じメンバーで2回目のラウンドとなった。

上部写真、ゴルフリゾートの名前に恥じない堂々とした豪華な造り、
ちゃんとシャワールームも完備されていた。
さすがに・・・日本の様なサウナや浴場はなかったが、
驚くことにプールまであった。


            
さてこのような2名用の電動カートがあり、
2名に1人キャディさんが付く。私たちが運転している時は、
キャディさんはゴルフバッグの間に立ち乗り。
乗り物の後部に立ち乗りするのはインドの文化。


            
これもインドならでは、コースには野生のクジャクがお出ましになり、
バンカーにはコヤツらの足跡が無数にあった。

 さて今回のスコアであるが、
得意のドライバーが不調だったにも関わらず、
フェアウェイウッドとリカバリーが好調で、
終わってみればパー3とパー4でパーを2回取っていた。

最終ホールで10を叩いた以外は全てのホールで一桁、
(ここをまとめればハーフ50を切れた・・・かも?)
前回よりは10打ほど少なく上がれたので良しとしたい。

ダンロップ(DUNLOP)
SNOOPY GOLF BALLS
半ダース(6球入り)
クリエーター情報なし
ダンロップ(DUNLOP)


 ≪ 関連記事 ≫ 

インドでゴルフ。

 にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へ
にほんブログ村
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月30日、今日のいい話。

2011年03月30日 21時14分59秒 | 日記 / DAIRY
被災地では未だに大勢の方が行方不明になっており、
原発の状況も回復しているとも言えない。

今まで「がんばろう!日本」と言ってきたが、
そんな事を言ったって・・・・もう体力も精神力も限界だ・・・
と言う声が聞こえてきそうだ。
ここのところネットのニュースを見ていて思う。

そんな萎えそうな心に「絶対に諦めない!」
そんな気持ちを呼び起こして欲しい。

世界から暖かい励ましの言葉は尽きない。



オバマ大統領も「日本はひとりじゃない。」と言ってくれているし、
いろいろな国から非常時における日本人のマナーに対して、
称賛の声は尽きない。
 (一部で、同じ日本人として・・・いや人間として・・・・
  耳を疑うような醜いニュースもあるが・・・。)

日本国内で救助活動に尽力いただいている人々だけでなく、
世界各国から支援活動に来てくれているみなさんにも、
心から・・・「ありがとう。」の言葉を贈りたい。

 【ロサンゼルス時事】

東日本大震災で、米国救援隊の一員として東北地方に派遣された
日系4世の消防士アツシ・ウエハラさん(42)が29日、
ロサンゼルス市内で救援活動についての報告会に出席、
災難のさなかでも礼儀正しい被災者の姿に感銘を受けたと語った。

 ウエハラさんは地震翌日の3月12日、
ロサンゼルス郡消防局の同僚73人と共に青森県の米軍三沢基地に到着後、
1週間にわたって岩手県大船渡、釜石両市で活動。
被害の甚大さを目の当たりにし、両親ゆかりの広島に行った経験から
「原爆投下後の広島を連想した」というほど驚いた。

 そんな中で「倒壊したカラオケ店のそばにいた女性オーナーが、
『何もありませんが』と言って煎餅を差し出してくれた」ことに
最も強い印象を受けたという。

 ウエハラさんは「ベストを尽くし6遺体を見つけたが、
生存者は一人も発見できなかった」と肩を落とす。
「将来また東北を訪れ、復興した姿を見たい」
というのが願いだ。
 


 ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【インドの人々】 ~ デリー⑩ ~

2011年03月29日 23時00分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR
インドには日本で見かけない職業の人がたくさんいる。

例えば・・・耳かき屋パーン屋チャイ屋オムレツ屋ババ(笑)・・。

そしてこのおっちゃんは・・・ヒンディー語でカルネワーラーと言う。

いったい何をしているのだろうか

ヒントその・・・大きな郵便局にいる。

ヒントその・・・商売道具は、布、糸、針である。

日本にはこう言う文化がないので解からなくても当然だろう。
このおっちゃんは、持ち込まれた小包みを布で梱包しているのである。

インドでは(場所によるらしいが・・。)小包は、
ダンボール箱などに入れられた、その外面を布で覆う必要がある。

            


こうしておくと、たとえ箱が破損したとしても、
中身が外に飛び出す事はないのだ。

これは無事に1週間の旅を終えて日本に到着した小包。
すっかり角が丸くなっている。(笑)
            


しかもリーズナブルの料金の船便ではなく、
航空便の中でも最も送料が高いEMSを使用した物だ。

ちなみにこの郵便局はコンノートプレース近くにある、
GPO(ゼネラル・ポスト・オフィス)と言う大きな郵便局。

梱包の料金は100Rs(約200円)だった。
宛名を書くマジックは貸してくれる。
なお、適当なダンボール箱も用意してくれるが、
おそらく別料金だと思われる。

   にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2日遅れの・・・・。

2011年03月28日 20時14分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR
私の会社・・・誕生日の人の席の上にこのような飾り付けがされる。

その上、全社員に向けて「今日は●●さんの誕生日です!」
と言うメッセージが送信されるので、バレバレである。

そしてインドの習慣として、
誕生日の人がスィーツなどを用意して、みんなに振舞うのだ。

震災の事があり派手なパーティは自粛・・・であるが、
日頃お世話になっている人達のために
今年は、有名店ハルディラムのインド菓子4種類セットを購入。
          


 インドではスィーツも量り売りで、
種類や店にもよるがだいたい1Kgが250Rs~である。
このような銀箔のついた物も多い。

1Kg入りの箱を2箱用意した。
お世話になっている人、顔見知りの人は数十人だが、
こう言うイベントには何処からともなく・・・
話した事も見た事もないインド人がワンサカ押し寄せるので、
多めに用意する必要がある。

 朝一番に送信される誕生日メールに対して、
 「スィーツがあるので食べにきてください!」とメールを全員に配信する。

今日は便乗して下記の内容を書いて送信した。

「3月11日に日本で起きた大地震を知っていますか?
 今、日本には、みなさんの助けが必要です。
 どうか・・・みなさんの愛を送ってください。お願いします。」

 これで寄付金が増えればいいのだが・・・・。
   関係ないだろうな・・・ インド人には。

最高級洋菓子 フランスの銘菓
シュス木いちごレアチーズケーキ 15cm
 &誕生日プレートセット(本州送料340円)
SINCE1979 洋菓子店カサミンゴー
カサミンゴー(CasaMingo)


    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へにほんブログ村
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月27日、今日のいい話。

2011年03月27日 19時20分59秒 | 日記 / DAIRY
今日のいい話は、心温まる愛犬と飼い主の物語だ。

動物には、人間には解からない不思議な予知能力がある。
鯰が地震を知らせたり、
カマキリの産卵する位置で降雪量が予想できたり、
理屈では語れない何かがある。

シーズー犬「バブ」に心から・・・「ありがとう。」の言葉を贈りたい。

『がんばろう!日本。』 

シー・ズー
(新犬種別ガイド・シリーズ)
クリエーター情報なし
誠文堂新光社


東日本巨大地震による大津波で壊滅的な被害を受けた岩手県宮古市で、
愛犬に命を助けられた女性がいる。

 津波襲来までの30分間、
愛犬は興奮した様子で女性を高台にぐんぐん引っ張り、
安全な避難所に導いた。

 女性は、海岸から約200メートルの同市田老川向(たろうかわむかい)に
住んでいた赤沼タミさん(83)。
メスのシーズー犬「バブ」と自宅の居間でくつろいでいるときに地震に襲われた。
蛍光灯が消えると、バブはせわしなく走り回り、
尾を強く振って鼻をクンクン鳴らしたという。

 赤沼さんが「散歩の時間にはまだ早いのに」と思いながら、
玄関先で首にリードをつけていると、防災無線が大津波警報の発令を知らせていた。

田老地区で900人以上の死者・行方不明者が出た1933年の
昭和三陸地震を体験した赤沼さんが「避難しなきゃ」と玄関を開けると、
バブも勢いよく飛び出し、いつもの散歩コースと逆の高台へ向かった。

 赤沼さんの歩みが緩むと、バブは振り返って歩みを促すようなしぐさを見せ、
追いつくと勢いよく前へ出た。それを繰り返すうちに、
自宅から約1キロ離れた避難所への急坂を一気に上りきっていた。

 振り返ると、歩いてきた道は津波にのみこまれ、自宅も濁流の中に。
普段は散歩も嫌がるバブの行動に、
赤沼さんは「津波を予知してたのかも」と不思議がる。

 バブは今、近隣地区の集会場で赤沼さんら住民約60人と避難生活を送る。
12歳の誕生日にあたる23日には、お気に入りのピンクの服を洗ってもらい、
うれしそうなしぐさを見せたという。
(浅見徹)


 ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

がんばろう、日本!!

2011年03月26日 21時32分40秒 | 日記 / DAIRY


日本のみなさんへ。

震災から10日あまり経ちましたが、
毎日まだまだ不安だと思います。

避難所生活を余儀なくされている方、
精神的にも肉体的にも本当につらいと思います。

私には何も出来ませんが、インドより祈っています。
離れていますが一緒に、がんばりましょう!

被災地の皆様、心からお見舞いを申し上げます。
各県庁を中心にわずかばかりですが、
義援金を送らせていただきました。

命をかけて救助にあたっている方々「ありがとうございます。」
皆様の安全をお祈りします。

原発の影響が最小限ですむよう、
災いが去ってくれることを祈るばかりです。



3月14日。

新潟県に住む高校時代の友人H子に、
「万が一の時には、インドに来てくれれば、なんとかするよ。」
と言ったところ、次のような答えが返ってきた。

『何かあっても私は時の流れと自分のこの世における役目が有るか無いかを
 ここで見極めたいと思います。』

日本を離れた時、私もいつ何時インドで何が起こっても、
受け入れる心の準備は出来ていると覚悟していた。

H子も同じ思いでいる事を知り、嬉しかった。



3月16日。

救援物資を送ります。

食品、日用品の入用な方、
コメントやメールなどで遠慮なくご連絡ください!

 


3月17日。

福島出身のMっちゃん、
そぞかし心配だろうと思ったのだが・・・・。

> 日本と運命をともにするわ。

との返信あり・・・・。
ううぅぅっ・・・胸が痛い・・・・。

神様はきっと助けてくれると信じ祈り続けます。



地震が落ち着くまで、この記事をトップに掲載します。
通常の記事は下部にアップしています。


 ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月26日、今日のいい話?

2011年03月26日 21時28分59秒 | 日記 / DAIRY
春の選抜高校野球、
21世紀枠で佐渡高校が智弁和歌山高校と対戦した。

 21世紀枠と言うのは・・・各都道府県の秋季大会でベスト8以上
(北海道、埼玉、千葉、神奈川、東京、愛知、
大阪、兵庫、福岡はベスト16以上)で地域の過疎、練習困難、模範校、
文武両道など多面での評価で各都道府県の高野連で選ばれ最終選考にて
2校が選抜大会に出場できる枠。
(選出が難しい場合は過去30年以上甲子園出場のない高校を選出する)。

北海道を除く各都府県で1校を選出し、
北海道を含めた9地区から1校推薦校を決定し、
最終的に3校が甲子園に出場できる。
(内訳は東日本(北海道、東北、関東(東京を含む)、北信越、東海)から1校、
西日本(近畿、中国、四国、九州)から1校、残った7地区から1校。)

激戦を勝ち抜いた高校と比べると確かに若干見劣りはする。

 今回も既に大館鳳鳴高校(秋田)が古豪・天理高校に
8-0で完封負けを喫している。

そして我が佐渡高校もこれまた甲子園で名前の知れている
智弁和歌山高校との対戦であるからして良くて善戦・・・
と予想していたのだが・・・8-1で敗退した。

続報:もう1校の21世紀枠、徳島の城南高校が、
   こちらも甲子園では良く知られている兵庫の報徳学園高校に、
   8-5で勝利する大殊勲。(3月27日)おめでとう!

第83回 センバツ高校野球
2011年 3/19号
クリエーター情報なし
毎日新聞社


糸井重里氏が「給料の3日分を募金するように。」と呼びかけている。
某社の社長のように10億円もの寄付はできないけれど、
身の丈に合わせた額を募金しよう。

デリーにある在インド日本大使館で義援金の募集が開始されたのは、
23日の事だった。追悼記帳が始まったのが16日であるが、
平日の日中のみの受付で、仕事のある人は行けるわけないよね。

時を同じくして・・・私の会社でも募金が開始された。
糸井氏の呼びかけを知ってか知らずか(たぶん知らないだろう。)
その内容だが4択であった。

  給料の2日分を寄付。
  給料の1日分を寄付。
  給料の半日分を寄付。
  お祈りのみ。(寄付はなし。)

募集のメールに対して回答するのだが、回答がない場合は自動的に
 給料の1日分を寄付。」が適用される。
 お祈りのみ。(寄付はなし。)」と言うのが、
いかにもインドらしい。

どちらにしても募金している人は、とっくの昔にしている。
ちょっと遅い感は否めないが・・・
「やらない善より、やる偽善。」かな。

これらに比べたら、GACKTさんは断然早かったなぁ。
私が最初に募金したもこれだった。

特別にGACKTさんのファンと言う事はないが、
大河ドラマで上杉謙信役を演じたGACKTさんは、
我が故郷・新潟県上越市で行われる謙信公祭と言うイベントに、
3回も来てくれている。会った事も見た事さえもないけれど、
以前より親近感を持っていたのは事実である。

Gackt 龍の化身
撮影 野村誠一
日本放送出版協会


ごめんなさい。今日はいい話・・・じゃなかったかも。でも・・

『がんばろう!日本。』 

 ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月25日、今日のいい話。

2011年03月25日 20時47分59秒 | 日記 / DAIRY
F1がオーストラリアで開幕した。

日本の被災者への応援の気持ちを表すステッカーが、
全てのマシンに貼られるそうだ。

メルセデスGPのミハエル・シューマッハーや
マクラーレンのジェンソン・バトン、
ヴァージンのジェローム・ダンブロジオなどは、
ヘルメットにもステッカーを貼っているらしい。

全世界から日本に向けて応援と祈りは続いている。

『がんばろう!日本。』 

今日のいい話は、命をかけて原発を守っている人の話である。

石井さんとその部隊に心から・・・「ありがとう。」の言葉を贈りたい。
そして、みなさんのご無事をお祈りします。

救う男たち
~東京消防庁の精鋭ハイパーレスキュー~
亀山 早苗
WAVE出版


「被ばく線量最大、自分でいい」=難航、緊迫…
―福島原発派遣の東京消防庁隊長
時事通信 3月24日(木)18時9分配信

「被ばく線量の最大値が自分でよかった」。
福島第1原発3号機への放水に参加した
東京消防庁第3方面本部消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)の
石井泰弘部隊長(47)が24日、時事通信の取材に応じ、緊迫した作業を語った。

 石井隊長は18日午後5時すぎ、
周囲の放射線量を測定できる「特殊災害対策車」に乗り込み、
先陣を切って敷地へ入った。放射線量の高い区域を調べ、
放水車などの配置を決めるためだ。しかし、作業は難航した。

水を吸い上げる予定の岸壁は崩壊し、別の地点からホースを伸ばす経路では、
津波で横滑りした巨大タンクが行く手を遮る。
隊員が屋外に出て、人力でホースを運ぶ方法も強いられた。

 石井隊長らはホース運搬部隊の被ばく線量を測定。
隊員は胸に線量計を着用しているが、作業中は確認する余裕がない。
「自分の被ばく線量が彼らとイコールになるよう常に付き添った」。
息苦しいマスク越しに大声を出し、必死で数値を伝えた。

 「水が出たぞ」。無線機から一報が聞こえた。
「その瞬間、『やった』という達成感があった。みんな同じ気持ちだったと思う」。
全隊員の脱出を確認し、最後に敷地を出た。

 胸の線量計は、全隊員のうち最も高い「27ミリシーベルト」を示した。
しかし、石井隊長は「自分でよかった」とほっとした。
「自分の被ばく線量が最大ならば、隊員は自分より安全。それが我々のやり方だ」と話す。

 敷地への進入前、石井隊長は部下に問い掛けた。
「かなり困難な活動になるが、いいのか」―。「やります」。
弱音を吐いた隊員はいなかった。

 「素晴らしい隊員を持ち、誇りに思う。
一人一人が日本のために頑張らなくては。命令があれば、また行く」。
部隊は東京・渋谷の本部に戻った今も、次の派遣に備えて機材の整備を続ける


世界では「Fukushima50」が話題となっている。
福島第1原発に残って対応に当たった作業員達の事であるが、
実際には交代で作業に当たっているため50人以上の人々がいる。

また半年後に定年控えているのに、
志願して応援に向かった島根県の東電の社員。

この人たちにも、心から・・・「ありがとう。」の言葉を贈りたい。
そして、みなさんのご無事をお祈りします。

 ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月24日、今日のいい話。

2011年03月24日 19時12分59秒 | 日記 / DAIRY
毎日、ネットで震災関係のニュースを見ている。

どんな悲惨なニュースであれ、知りたい・・・・と思うのは、
やはり私が日本人だからだろう。

中には同じ日本人として憤る火事場泥棒的なニュースもあれば、
拍手を贈りたいグッとくる話も毎日のようにある。

日本にいる皆さんのほうが良くご存知だとは思うが、
そんな感動的な話を見つけたら拙ブログでも紹介したいと思う。

遠く離れていも日本を思う気持ちは一緒だから。
今、自分に出来ることをやりたい。

歳の数だけヒマワリの花束
クリエーター情報なし
リトル&ハピネス


今日は、宮城県の話である。
菅原さんに心から・・・「ありがとう。」の言葉を贈りたい。

 
宮城県気仙沼市の対岸に浮かぶ大島は、
津波で900人乗りのフェリーが壊れるなどして孤立する恐れに直面していた。
危機を救ったのは島で唯一船体の損傷を免れた
42人乗りの古い客船「ひまわり」だ。
船長の菅原進さん(69)は自身も避難所生活を送る被災者だが、
地震2日後から毎日、島と気仙沼港を愛船で往復し、
人と物資を運び続けている。

<中略>

自宅で地震に遭った菅原さんは、
津波から守ろうとひまわりに乗り込み、あえて沖に向かった。
すぐに高さ数メートルの津波がやってきた。
「逃げたら転覆する。前に進むしかない」。
壁のような大波を4回ほど乗り越え海が落ち着いたのを見計らって島に引き返した。

 島は沿岸部が津波で壊滅状態で、火災も起きていた。22人が死亡し、
22人が今も行方不明になっている。菅原さんの妻と同居の三女、
2人の孫は無事だったが、自宅は1階部分が海水につかり住めなくなった。

日中の地震だったため、働き手の多くが島を出ていた。
菅原さんは「島民の救出にはもっと多くの人手が必要」と考え、
13日、気仙沼港へとひまわりを出した。家族の元に駆けつけたい島出身者や、
島からの避難が必要な高齢者らを運ぶため、島と気仙沼港を往復する日々が始まった。

 有志の島民の支援も受けて1日2往復の予定で始めたが、
それでは間に合わず4往復することもある。
避難所では周りの人が休むよう勧めてくれるが
「港を出るとき『頑張れ』と送り出してくれる人たちがいるから」
と当面は続けるつもりだ。

 年季の入ったひまわりは、乗り込むと床の板材がきしみ、
操舵輪(そうだりん)にもさびが浮いている。菅原さんは言う。
「太陽に顔を向けるヒマワリが好きで名付けた。
少々古くてもあの大波を越えることができた。
島民がみんなで力を合わせれば、島はよみがえる」

【喜屋武真之介】


『がんばろう!日本。』 

 ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月23日、選抜高校野球。

2011年03月23日 07時40分59秒 | スポーツ / SPORTS
『がんばろう!日本。』 

のスローガンの下、選抜高校野球大会が始まった。

第83回選抜高校野球展望号
2011年 3/15号 [雑誌]
クリエーター情報なし
ベースボールマガジン


被災地の高校が参加できた事は良かったと思うし、
高校球児達の熱い戦いを見て、
日本全体が元気になったくれたら嬉しいね。

                   

まずは開会式直後の第1試合、
香川第一  日本文理(北信越)は、
8-1で日本文理が勝利した。

前回の記事でも触れたが、
新潟県からは空前絶後の2チームが出場


選抜勝利最下位県からの脱出がかかっている。
しかし新潟県が最下位から脱出すると言う事は、
どこかの県が最下位に転落すると言う事で、
自分さえ良ければそれでいいのか?
と言う疑問が湧いてくる。複雑な心境である。

勝っても負けてもいいじゃないか。
思いっきり悔いのないような精一杯のプレイを見せて欲しい。

                   

毎日、ネットで地震関係のニュースを見ているのだが、
グッとくる記事がいくつかある。今日の記事はこれだった。
横沢さんに心から・・・「ありがとう。」の言葉を贈りたい。

東日本巨大地震の大津波で全壊した岩手県陸前高田市の県立高田病院のスタッフが、
1台の衛星電話を手に、市内の別の場所に設けた仮設診療所で被災者の診療を続ける。

 「横沢伝声器」とスタッフが呼ぶこの衛星電話は、
今月末で定年退職する予定だった病院事務局長の横沢茂さん(60)が、
命をかけて津波から守った。有線電話や携帯電話の不通が続く中、
薬品調達や救急患者の情報収集の〈命綱〉となっている。
11日の地震発生直後、鉄骨4階建ての病院は入院患者や医師のほか、
避難してきた住民ら100人以上であふれていた。
「大きな津波が来るぞ」。数分後、あちこちで声が上がった。

 3階にいた事務員の冨岡要さん(49)は窓の外を見た。
10メートルを超える大きな津波が迫っていた。
1階事務室まで階段を駆け下りると、
横沢さんが窓際に設置されていた衛星電話を取り外そうとしていた。
通信衛星を介して通話する衛星電話は、
地上の施設が壊滅すると使えなくなる携帯電話や固定電話と比べ、災害時に強い。

 「津波が来ます。早く逃げて下さい」。冨岡さんは大声で伝えた。
横沢さんは「これを持って行かなければダメだ」と叫んだ。
冨岡さんは駆け寄り、横沢さんから衛星電話を受け取って、
屋上まで駆け上がった。病院が4階まで津波にのみ込まれたのは、その直後。
横沢さんは行方不明になった。

 衛星電話は11日こそ起動しなかったが、
屋上からヘリコプターで救助されたスタッフらが13日に再び試すと、
回線がつながった。

<中略>

 横沢さんの遺体は21日、
遺体安置所を捜し歩いていた妻の澄子さん(60)
と長男の淳司さん(32)らが確認。22日、同県紫波町の自宅に帰った。
横沢さんは県の病院事務職員として単身赴任で県内を巡り、
2年前から高田病院事務局長になった。
同僚たちは「患者の目線に立った柔らかい語り口で好かれていた」と口をそろえる。

 遺体と対面した澄子さんは、
「お父さん、ご苦労さま」と心の中で語りかけながら、
右耳についた砂を手でそっと払った。
「患者のために忙しく、自宅への連絡まで気が回らないのでは」
という祈りはかなわなかった。だが、今はこう思う。
「皆さんのために役だったのは本当に良かった。
本人も家に戻ってこられて、安心したでしょう」

 衛星電話には「事務局長さんが天国で手伝いしています」
と書かれた紙が張られている。(天野雄介)

(2011年3月23日03時07分 読売新聞)
 


 ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんだ・・・こりゃ?

2011年03月22日 20時02分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR
ちょっと買い物があってオールド・デリーのマーケットへ行った。
その街角の商店にぶら下がっていたのが、これっ

さて、いったい何だろうか

まずは、ノーヒントで・・・といきたい所だが、
全く解からないであろう。

 見たところ、何かのスイッチのようだ。

 呼び鈴のマークが見える。

 電気で何かをする物らしい・・・。


しばらく見ていたら、商店で買い物をした兄ちゃんが、
これを手に取ったではないか・・・・

そしてスイッチの部分を押すと、
手にしたこれをおもむろに顔に近づけている・・。

 おおっ

この物体の下部にコイル状の電熱線があり、
それを使ってタバコに火をつけていた。

なんとこれはライターだった。
しかし・・電熱コイルがイマイチのようで、
なかなか火がつかなかった。(笑)

おもしろライター光るトランプ
クリエーター情報なし
フジキン(FJK)


なお、以前に南インドのトリチーで見かけたライターは、
昔ながらの火縄式だった。
      


  
 にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デリーのレストラン ~たむら~(グリーンパーク)

2011年03月21日 20時16分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR
ニュー・フレンズ・コロニーにある日本食レストランの本店である。
こちらは支店と違って日本人の社長が来るらしく味はいいとの噂。

インドにある日本食レストランと言う事で値段は高いし、
あえて行くつもりはなかったのだが、
散歩に行った時に通りがかってしまったので( 笑)、
清水の舞台から飛び降りたつもりで入ってみた。

 また、ラーメンは美味しいとの評判だったし。
たぶん長期で滞在した人なら解かると思うのだが、
インドにいるとスープ麺が無性に恋しくなる。

            

住 所:S-16, Uphar Cinema Complex,
     Green Park Extn., New Delhi
電 話:91-11-26535868,26535769,9873659961
予 算:450Rs~

<食したメニュー>
 
 とんこつラーメン 380Rs(約760円)
    *この他、インドのレストランは飲食税が12.5%ほどかかるので、
     900円近い・・いやはや高価なラーメンになった。

ラーメンは、味噌、醤油、塩、とんこつの4種類。


     
<店内の雰囲気>

テーブル席とお座敷があるが、支店の方が広いかな。
でも2F席もあるみたいだ。

土曜日の午後、ランチタイムをはずして行ったため、
混んではなかった。日本人の男性2人組みと、
駐在員マダムかと思われるグループのみ。

一人で行ったのと身分不相応に見えたのか、
マダム連中からはジロジロと値踏みされるような視線で見られた。
いつも思うのだが、勘違いしているマダム達・・・感じ悪いな・・・。
インドじゃいつも「マダ~ム」と呼ばれてるだろうけど、
日本じゃタダのオバサンだからね。

<感想と評価>



おおっ・・・いいじゃん。ちゃんととんこつスープだよ。

紅しょうがが無いのが、ちょっとポイントダウンだが、
ここはインドだから仕方ないか。多くは望むまい。

きくらげ、メンマ、チャーシュー、ねぎ、揚げにんにく、味玉子、
青梗菜がトッピングされている。きくらげって久しぶりだなぁ・・・。

ラーメンの命であるスープの温度が低かったのが残念だが、味は良い。
麺はコシはない・・・のだが、まぁ・・多くは望むまい。

本当にラーメンが食べたくなったら、また行くかもしれない。
 
 評価は◎ (味がいい・・それ以上は望むまい。)
      (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。

 ≪ 関連記事 ≫ 

デリーのレストラン ~たむら~(ニュー・フレンズ・コロニー)

デリーのレストラン ~たむら~(ニュー・フレンズ・コロニー)【再訪】


2007年度九州ラーメン総選挙第一位!
とんこつ九州男味☆
福岡らーめん四郎8食セット
(2食X4箱・スープ付)
【超人気店ご当地ラーメン】
久保田麺業
久保田麺業


    にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【インドの人々】 ~ デリー⑨ ~

2011年03月20日 18時22分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR
先日、アメリカ在住の、のりさんが出張でデリーにいらっしゃった。
滞在はシェラトンホテルとの事・・・。

過密スケジュールにて時間的余裕がなかったので、
私がホテルを訪ねることになったのだが、
 マハラジャの家系でもなく、当然資産家でもなく、
駐在員マダムでもない私には身分不相応な場所である。

 通常冬季はユニク■のフリースジャケットで過ごしているのであるが、
5つ星ホテルのドレスコードに抵触する可能性がある。

 ジャケットを着て、よそ行きのバッグを持って出かけた。
到着してみれば、宿泊客と思われる欧米人は、
Tシャツに短パン、サンダル履きの軽装が多かった。
気合を入れなくても良かったか

                         

インドでは高級なホテルやレストランやブティックでなくても、
マクドナルド(インドでは十分高級なレストランであるが)レベルの店でも、
大抵ドアマンはいる。



シェラトンホテルのドアマンは、
立派な体格に見合った見事な髭だった。衣装も豪華である。
もう二度と来る事はないだろうと思ったので、
撮影を申し込んだところ、一緒に撮ってくれとのリクエスト。

馬子にも衣装の私も並んでナマステポーズ。
(被災地の皆様に祈りが届きますように。)

   にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へにほんブログ村
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホーリー。

2011年03月19日 20時05分59秒 | デリーNCR / DELHI NCR
3月19日は、インドの春祭りホーリーである。
秋祭りディワリーが光の祭典ならば、ホーリーは色彩の祭典である。

私の会社でも今週1週間は毎日いろんなイベントが行われた。
(日本人の私にとっては、ちっともそんな気分じゃないのだが、
 インドの国を挙げてのイベントに文句を言っても仕方がないので、
 盛り上がるみんなに背中を向けて耳をふさぐか、
 いたたまれなくなって喫茶店に逃げ込むかだった。)

ありがたかったのは、毎日のように食べ物が提供された事。
イベントは無理だけど、これだけは参加させてもらった。

会社の休憩スペースに現れたチャート(スナック)屋。
これはボンベイ・ベルプリ。文字通りボンベイ(ムンバイ)発祥。
お米を膨らませた菓子やピーナッツにマサラや玉ねぎをまぜる。
            


私は米菓子の代わりにせんべいの様な物を選択した。セブプリと言う。
            


翌日はゴールガッパ(パニプリ)とアールーティッキの屋台が登場。
最近やっとビニールの手袋をするようになってきた。
            


もちろん大好物のアールーティッキを所望。
            


そして3日目はランチカレー
なんといつもはベジタリアン料理のみなのだが、
バターチキンカレーがお目見え。

パニールカレー、サブジ(ジャガイモとカリフラワー)と共にいただいた。
            


そして・・・これはクルフィ。下はチョコレート味。
ええっもちろんお代わりして2本食べましたが・・・何か
            
 

 ≪ 関連記事 ≫ 

HAPPY HOLI !!
HOLI本番!

   にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へにほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【インドの寺院】 ~ ランガージー寺院~ (ブリンダーヴァン)

2011年03月18日 10時10分59秒 | 北インド / NOUTH INDIA
ブリンダーヴァンには、いくつか印象的な寺院がある。

この1851年に建設されたランガージ寺院は、
いろんな建築様式が混ざっている。

まず入口の門(上部写真)だが寺院らしくない。
どこかのお屋敷か城のようである。

この門をくぐって中に入ると、
このような南インド風ゴープラム(塔門)がお出迎え。
      


ここから先は撮影が禁止されているので紹介できないのだが、
イタリア風の柱があったり、ちょっと変わっている。
寺院自体は入場料無料。

 なお、マトゥラーからオートリクシャーをチャーターしていくと、
寺院の前辺りで運転手の馴染みのガイドに引き継がれる。

この周りの5軒ほどの寺院のガイドをしてくれて、
100Rs(約200円)ほど請求されるのだが、
私は1軒当り10Rsで50Rsに値切り倒した。

この寺院の次に寡婦のための寺院に連れて行かれ、
寄付金をせびられるのだが、お金がないといって払わなかった。

それが悪かったのか、値切ったせいなのかは解からないが、
(両方かな)その後のガイドはテキトーだった。

   にほんブログ村 海外生活ブログ インド情報へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする