
ナーランダの見所はなんと言っても仏教大学遺跡だが、
その遺跡から2Km程の所に中国が建てた、
平和記念の寺院:玄奘記念館がある。
茶屋の兄ちゃんに聞いたら歩いて行けるとの事だったが、
思ったより遠かったなぁ。
でも、のどかな田園風景の村の中を牛や山羊子供たちと遭遇しながら、
てくてく散歩するのは楽しかった。


玄奘三蔵(602~664年)は、中国の河南省偃師市生まれで、
幼い頃から神童と呼ばれ、10歳で父を亡くした後、
出家した兄の影響で仏教を学ぶようになった。
(生年は598年、600年説がある。)
629年、仏典の研究には原典に拠るべきであると考え、
国禁を犯して西域の商人らに混じって天山北路を超えて、
中央アジアさらにガンジス川を越えてインドに至った。
そしてこのナーランダの仏教大学で学び、
645年に長安へ戻った。
見事な天井。
途中で何だか解からないチェックポイントがあって、
そこで訪問日やら時間やら名前やら記入させられる。
厳重な警備と言う感じではない。何だかなぁ
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【インドの宿泊施設】 ~大学レストハウス~(ナーランダ)
ナーランダ仏教大学遺跡
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その遺跡から2Km程の所に中国が建てた、
平和記念の寺院:玄奘記念館がある。
茶屋の兄ちゃんに聞いたら歩いて行けるとの事だったが、
思ったより遠かったなぁ。
でも、のどかな田園風景の村の中を牛や山羊子供たちと遭遇しながら、
てくてく散歩するのは楽しかった。


玄奘三蔵(602~664年)は、中国の河南省偃師市生まれで、
幼い頃から神童と呼ばれ、10歳で父を亡くした後、
出家した兄の影響で仏教を学ぶようになった。
(生年は598年、600年説がある。)
629年、仏典の研究には原典に拠るべきであると考え、
国禁を犯して西域の商人らに混じって天山北路を超えて、
中央アジアさらにガンジス川を越えてインドに至った。
そしてこのナーランダの仏教大学で学び、
645年に長安へ戻った。


途中で何だか解からないチェックポイントがあって、
そこで訪問日やら時間やら名前やら記入させられる。
厳重な警備と言う感じではない。何だかなぁ

![]() | 玄奘三蔵インドへの旅 (仏教コミックス―仏教を伝えた人と道 (60)) |
ひろ さちや,阿部 高明 | |
鈴木出版 |


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