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カレーなる日々 / शानदार दिन

インドの日常を中心に日々を綴っています。

佐藤中将宅(キグウェマ村) その②。

2019年11月22日 21時56分59秒 | 東北インド / NORTH EAST INDIA

首狩り族の象徴なのか?家に斧を象った飾りがあった。
そして入口には・・・・人間の頭があったらどうしようかと思っていたのだが、
牛の頭だった。この飾りのある家はお金持ちらしい。

 

知らない人は来ないだろうから、当然鍵もかかっていない。
ガイドさんに続いて家の中に入ってみたら、けっこう広い土間があった。
周りに部屋があるのだろうか?伺い知れなかったが、中から子供が出て来た。
日中、大人は仕事に行ってる(ゲームをしている?)ので、
子供が兄弟の子守をしているとの事。

 

これはゴミ箱である。H.NO-4は住所で家番号4番であろう。
日本でも昔よくあった土壁の家が普通である。
ナガランド州はインドでは珍しく90%以上がキリスト教徒である。
街中にもゴミは落ちておらず、教育が行き届いていた。

 

さて、村の真ん中ほどの佐藤中将が3ヶ月住んでいたと言う家があった。

 

周囲の家とはちょっと違う趣がある木造の家である。
花がたくさん飾られている。洗濯物も干してあり生活感がある。
そして玄関には布が下がっているだけだ。
知らない人は来ないから扉も必要ないのである。

 

家は高台にあり見晴らしがよく、裏側は絶壁である。
75年前佐藤中将は何を思っていたのか・・・・。

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戦争博物館(キサマ) その②。

2019年11月20日 22時55分59秒 | 東北インド / NORTH EAST INDIA

この博物館で一番気になったのは、この模型である。
テニスコートの戦いである。これが全体を見渡せる模型。

テニスコートを横から見たところ。左手の下方向から日本軍が登っている

 

テニスコートの上のあるイギリス軍の施設から見たところ。

さて、博物館の反対側の山を見れば・・・・

ハリウッドかと思ったらナガ・ヘリテイジ・ヴィレッジの文字が。
伝統的なナガランドの民族の様子を伝える施設があるらしい。
普段はやっていないようだ。まぁ観光客は毎日は来ないだろう。
毎年12月に行われるホーン・フェスティバルと言う祭典が行われる。
ナガランド州に16ある部族がそれぞれの伝統的な衣装を着て集う。
 
丘に無造作に置かれいたのは機銃の運搬車との事。

 

 

貫通した銃弾の跡も残されていた。

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戦争博物館(キサマ) その①。

2019年11月19日 21時28分59秒 | 東北インド / NORTH EAST INDIA

ナガランド州の州都コヒマの南10Kmにあるキサマ村にある博物館である。

入場料は10Rs(約16円)、
携帯電話やカメラの撮影は別途50Rs(約80円)。

コヒマとインファールでの戦いについて資料や写真、
模型や当時の兵器や遺品などが展示されている。

 

 

 

まずインファール作戦での概要を博物館に展示してあった写真を使って説明する。
第二次世界大戦のビルマ戦線において1944年3月から7月まで行われた作戦で、
インドに駐留するイギリス軍の主要拠点であったインファールを攻め、
中国への物資の補給ルートを遮断する事が目的であった。

マニプル州のインファールにあるカングラ・フォートに居住し指揮をとった、
イギリス軍の司令官スリム中将。

 

結果は失敗に終わり参加した兵士の大部分が死亡してしまったため、
史上最悪の作戦と呼ばれている。
その作戦を強行に押し進めた牟田口中将は愚将と呼ばれているが、
確かに当初から無謀な作戦を推し進め結果失敗してしまったので、
そう呼ばれてても仕方ないのかもしれない。
しかし逆に成功していた可能性もあったと思う。

その牟田口中将を支援するためにコヒマへ進軍したのが佐藤中将である。

しかし佐藤中将はコヒマまで進軍したにも関わらず、
物資の補給がないと言う理由で命令に従わず勝手に撤退してしまったのである。
これも結果論であるが撤退せずその先のディマプルへ進軍していれば、
そこにあったイギリス軍の豊富な物資を手に入れ、
インファールで戦う味方に合流していれば作戦が成功していた公算が高い。
現に敵方のスリム中将もそう言っている。

 

この史上最悪の作戦を行ってしまった原因は、
ガンディーと並びインド独立の父と呼ばれている、
ネタジ・スバス・チャンドラ・ボーズにあると私は思う。

ボースが日本に渡り東條英機首相にインドの独立の為の協力を直訴した事で、
ビルマ方面軍司令官の河辺中将の心をも動かした。
それにより無謀と解っていたインファール作戦を行ってしまったと。

マニプル州とナガランド州の地図と進軍したルート。

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コヒマ・ウォー・セメタリー(英国軍兵士墓地) その③。

2019年11月18日 21時55分59秒 | 東北インド / NORTH EAST INDIA

このコヒマ・ウォー・セメタリーのあるギャリソン・ヒルの戦いは、
日本側の呼称ではコヒマ三叉路高地の戦いと言われている。
丘の下側は今でもこのような三叉路になっている。

ここを登って来たのか・・・・と。

丘の墓地の下側にはこの碑がある。

 

これはこの地で命を落とした兵士だけの言葉ではない。
私たちは戦争を忘れてはならないのだ。
今、私たちがこうやって生きているのは、過去があったからである。
戦争を知らない私たちだけど決して忘れてはならないと思う。

三叉路の右手には「I LOVE KOHIMA」の文字が・・・。

三叉路のボリス・ボックスには婦人警官が立ち武装した軍隊が通りかかる。
そんな日常がある。

 

余談であるが・・・
わが父は昭和2年(1927年)3月の生まれである。
第二次世界大戦の終戦間際1945年3月に18歳となり徴兵され、
終戦までの5ヶ月弱、戦争に行った。
既に敗戦濃厚であったろう時期に18歳の少年兵は戦う術も知らず、
通信兵となったと聞いている。詳しくは聞いていないが、
戦闘には参加していなかったので悲惨さは感じなかった。
父はその軍隊で煙草を覚え、吸わない人の頭髪をバリカンで刈っては、
引き換えに煙草をもらっていたと言っていた。
そして父は死ぬまで煙草を離さなかった。

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コヒマ・ウォー・セメタリー(英国軍兵士墓地) その②。

2019年11月17日 21時40分59秒 | 東北インド / NORTH EAST INDIA

マニプル州もそうだったのだが、至る所に兵士の姿があった。
ナガランド州でも独立派の過激派がいるため、
いつ何時、武力抗争が起こっても不思議はない。
ちなみにこの囲いの中は井戸である。間違って落ちないために囲ってある。

 

そして周囲には花も咲いていた。なんだか安らぐわぁと思っていたら、
このこんもりと盛り上がった土の中から日本兵の遺体が7体発見されたとの事。

 

マニプル州もナガランド州も戦没者の供養は進んでいない・・・。
こうして普通に歩いている土の下にも・・・・
人々が生活している地面の下にも眠っているのだ・・・。

戦後、マニプル州やナガランド州は分離独立運動による政情不安のため、
インド政府は外国人の立ち入りを規制していた。
それが理由で遺骨収集はあまり進んでいない。
日本軍が撤退して75年が経った今年(2019年)6月、
マニプル州のロトパチン村に日本財団の協力で平和博物館が開館した。
それによって今後、何かの動きがあるかもしれない。期待したい。

 
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コヒマ・ウォー・セメタリー(英国軍兵士墓地) その①。

2019年11月16日 21時54分59秒 | 東北インド / NORTH EAST INDIA

ナガランド州の州都コヒマ。第二次世界大戦のインファール作戦において、
1944年ナガランド州で最大の激戦地となった、
ギャリソン・ヒル(日本側の呼称はイヌ高地)に英国軍兵士墓地がある。


駐車場から見上げたところ。中央に十字架が見える。

全体の見取り図と十字架。

 

登っていくと丘の傾斜にそって整然と墓石がある。

 

インファールの墓地と同様に戦没者の宗教のシンボル、
名前、部隊、亡くなられた日、年齢が記載されている。

十字架が建てられている場所には白いラインが引かれていた。
これはテニスコートのラインである。
丘の上にイギリス軍の司令部が建っており、
戦闘のない時にはテニスをしていたのだ。
そのテニスコートを挟んで下から登って来た日本軍をイギリス軍が迎え撃った。

  

当時はテニスコート左側の下に大木があり、
日本軍の腕のいい狙撃手がその木に登って狙撃していたそうだ。
その大木のあった場所には新しい木が植樹されていた。

なお日本軍はこのテニスコートの戦い(日本側の呼称はコヒマ三叉路高地の戦い)には、
勝利できず撤退する事になってしまった。

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マオのカフェ ~ ライス・ティー・ホテル ~

2019年11月14日 22時11分59秒 | 東北インド / NORTH EAST INDIA

マニプル州でもレストランなどの飲食店の事は「ホテル」とうようだったのだが、
面白いと思ったのは「ライス・ホテル」「ミート・ホテル」
「ティ・ホテル」があった事だ。
ライス・ホテルは飯屋と言う事か。ミート・ホテルは肉屋じゃなかったけど、
ノンベジ料理が食べられるレストランかな?
でもマニプル州は基本ノンベジであるが・・・。
ライス・ティ・ホテルとは言うのは、
飯屋でもありお茶も飲める軽食屋のようだった。
で、マオ・チェックポイントで外国人入境の処理を待っている間、
チャイでも飲もうと言う事になり気になっていたティ・ホテルに入ってみた。

            

住 所:Mao, Manipur, India
電 話:不明
予 算:10~

<食したメニュー>

チャイ 10Rs(約16円)

パコーラ(揚げ物)も食べられる。
ちょっとつまめるお茶請けのお菓子を所望したら、
隣の店からビスケットなどを調達してきてくれた。もちろん定価だった。

<店内の雰囲気>

近所の人しか来ていない様子で、みんな知り合い。

<感想と評価>

マニプル州ではチャイにはミルクと砂糖しか入っていない、
ミルクティーである。マサラ味に慣れていると物足らない感じ。
だがチャイと言うのはお茶の事なので地域が変われば味も変わって当然である。

紅茶は近隣のアッサム州から来ているだろう。
これは恐らくデリー辺りや北インドではそうであろう。
ダストと言われるほとんど茶葉の形をなしていない、
小さな粒上の紅茶の葉を使用している。
まずそのままストレートで味わう高級茶葉を選び、
次にティーバッグなどに使用する茶葉を選び、
最終的に残ったダストがチャイ用の茶葉となる。
なのでミルクと砂糖、スパイスを入れて煮込まないと飲めないのである。


 評価は〇
      (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。

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マオ・チェック・ポイント。

2019年11月12日 21時48分59秒 | 東北インド / NORTH EAST INDIA

現在インドの東北8州(アッサム州、アルナーチャル・プラデシュ州、
シッキム州、トリプラ州、ナガランド州、マニプル州、ミゾラム州、メガラヤ州)で、
入境時にパーミットが必要なのはアルナーチャル・プラデシュ州とシッキム州だけであるが、
外国人は空港等でパスポートを提示しビザや入出日や手段を届け出る必要がある。
インファール空港にあるカウンターをうっかり見逃してしまった場合、
どこかでチェックされた場合、恐らく困った事になると思われる。
気付かなかったで済まされるかどうかは運命である。


さて、前回2019年2月にインファール空港からマニプル州に入った時には、
パスポートにスタンプを押されたのであるが・・・・


今回はスタンプが省略または廃止になったようで・・・・
パスポートに手書きの付箋が貼られただけだった。

これいとも簡単に剥がれるじゃん。いいのかな・・・。
でもなくしたら大変だなぁ、などと思っていたのだった。
で、今回はインファールからナガランド州のコヒマに向かったのだが、
行きはチェックポイントで止まらなかった(ガイドさんの指示もなし)。
州境を超えたと気づいたのは標高2000mのマニプル州のマオでランチをとって、
その後の山を越え何だか家屋の感じが少し変わった気がして、
運転手にナガランド州か?と尋ねたからだ。
なので州境でチェックが必要だった事には全く気づいていなかった。
 
ところが帰り道、ナガランド州から州境を超えたマオでランチをとり、
ぶらぶらしている所にジャージの上下姿の一人の村人が話しかけてきた。
村人「どこから来たのか?」 
私達「日本です。」
村人「何人だ?」
私達「7人です。」
村人「全員パスポートを持って来てください。」
 
そこでガイドさんを呼ぶと、
インファール空港からマニプル州に入っているから問題がない。
と説明してくれたのだが・・・とにかく来るようにとの事。
そこで全員のパスポートを集めて提出したのだった。
振り返って見れば・・・州境があるではないかっ!! 

 

商店の上にマオ警察の看板がっ! 全く気づいていなかった私達。

 

で、小一時間待たされたのでちょっと買い物をしたり、お茶をのんだりしていた。
パスポートにはスタンプが押され返却されたのだった。

というわけでマニプル州とナガランド州の州を超える場合には、
警察署で登録が必要であった。

それにしてもジャージの上下の村人が警察官だとは思わんがな。

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アッサム・ライフル部隊。

2019年11月11日 22時25分59秒 | 東北インド / NORTH EAST INDIA

インドの軍隊は正規軍として陸軍、海軍、空軍がある。
その他に沿岸警備隊とこのアッサム・ライフル部隊が準軍事組織とされている。

1835年に結成されたアッサム・ライフル部隊はヨーロッパと中近東での戦闘で、
(当時インドはイギリスの統治下であったため)イギリス軍として戦った。
その時の功績から1917年にアッサム・ライフル部隊と名付けられたそうだ。
第二次世界大戦時には、日本軍の侵略から逃亡するビルマ難民の移動を助け、
通信を妨害したりと日本軍を随分と苦しめたらしい。
現在は戦闘にも参加するが平和維持活動や災害支援なども行っているそうだ。

ここはマニプル州の州都インファールからナガランド州の州都コヒマへと向かう道中である。
ちょっとした集落の商店が続く道路端で小休憩をとる事になり、
その間にトイレも・・・と思ったところガイドさんが、
その辺の公衆トイレよりも上等なトイレがあるので借りようと・・・・。
ついて行けば何とそこにはアッサム・ライフル部隊の施設があった。
当然内部の撮影は禁止である。外部もダメだったかもしれないが撮ってしまっていた。
挨拶をしながら入って行くと兵士がわざわざ鍵を開けてトイレを提供してくれた。
なお、トイレの場所は軍事機密のため、あえて記載しない。

トイレから見た風景。

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インファール平和博物館。【再訪】

2019年11月08日 22時14分59秒 | 東北インド / NORTH EAST INDIA

インファール(今回より呼称を現地人の発音に従ってインファールと改める)
IMPHALと記載されるが発音は「H音」が入る事により、
インパールよりインファールの方が近い発音となる。
なおインドではインファールなら通じるがインパールと発音しても通じない。

さて、前回2019年2月に訪問した時には博物館の建物は完成していたが、
展示物は入っておらずカラッポの状態を見学した。

その後6月に開館したので改めて訪問した。

入場料は100Rs(約160円)で内部撮影は禁止である。
上の写真でカラッポだった中央部分にはマニプル州の各部族の写真と織物が飾られていた。
(この場所のみ撮影許可を得て撮影。)

安部首相が書かれた「平和」の額があった。

順路に沿って進むといろいろ指向を凝らした展示物があり、
期待していたより良かった。
この周辺から掘り起こされた遺品などもあったが、
そればかりではなくマニプル州の事もちゃんと説明されていた。

第二次世界大戦においてインファールで行われた戦闘は1944年3月~7月の事である。
75年前であるがこの事を記憶に留め、
この地で戦い尊い命を落とされた人々に祈りを捧げる。

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インド21州目(ナガランド州)の訪問。

2019年10月28日 22時03分59秒 | 東北インド / NORTH EAST INDIA

インドには全部で29州ある。
21州目の訪問になるのは東北地方にあるナガランド州である。
東北地方はネパール、ブータン、ミャンマー、中国、バングラデシュと国境を接する場所で、
アッサム州、アルナーチャル・プラデシュ州、シッキム州、トリプラ州、
ナガランド州、マニプル州、ミゾラム州、メガラヤ州の8州がある。

元々は個々の独立した王国だったため他のインドの州と比べると、
人種も言葉も宗教も文化も食事も違う。
インドと言う大国の一部になってはいるが、
独立を求める過激派もいるため外国人の入境は制限されていた。
インドビザとは別に入境のパーミットが必要だった事もあり、
行きやすい場所ではなかったのだ。
(現在はシッキム州とアルナーチャル・プラデシュ州のみ。)

入門ナガランド―インド北東部と先住民を知るために
多良 俊照
社会評論社

ナガランドはナガ族の国と言う意味であるが、1816年にミャンマーの支配下になり、
その後イギリスからインドが独立する時にインドの一部になった。
90%がキリスト教徒で世界で唯一パブテスト教会が主流の州らしい。

ナガランドと聞くとどうしても首狩り族をイメージしてしまうが、
実際に数十年前まで(!)他の部族の首を刈る事で一人前の男と認められていた。
首を刈ると勇者の印として胸に刺青が施され、結婚も許された。
と言うわけで・・・・首を刈られたくないので一人では行く勇気がなかった。
今回は2月にマニプル州へ行った時のメンバーも含めて7名である。

またナガランド州のコヒマは第2次世界大戦の終盤に行われたインパール作戦の時に、
日本軍がミャンマーから国境を越えて進軍した場所であり、
我が故郷である新潟県の歩兵第58連隊も参加していた。

ルートはデリーからマニプル州の州都インパールへ飛び、
そこからは陸路でコヒマを目指す。
もちろん安全確保と旅程がスムーズに進むよう、
現地ガイドが同行する3泊4日の旅行である。
新しい発見と感動がある旅になる事と思う。では、行ってきます。

なおナガランド州では、肉類では犬肉が最も好まれているらしく、
州内には野良犬はいないそうだ。
その他、鰻やカエル、芋虫なども食料であると言う。
躊躇するし食すにはかなり勇気がいるが・・・・どうしよう。
この機会を逃すともう食べるチャンスはないだろうし・・・迷う。

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ロクタク湖(マニプル州)。

2019年03月03日 21時44分59秒 | 東北インド / NORTH EAST INDIA
マニプル州の州都インパールから南西にある、
ビシュヌプルと言う町にあり、標高は768m。
バラク川とマニプル川によってできた、
35km×13kmほどのノースイースト最大の淡水湖である。

昼食をとるために湖が一望できる頂上まで行った。



障害物はあるが360度見渡せる。

 



湖の至る所にいけすのような物が設けられており、
漁師がボートで行き来している。そのため水の流れが滞り、
生態系に悪影響が及ぼされているらしい。



 

ウナギでも捕るのだろうか?



魚のいる所には猫がいる。



レッドヒルの慰霊碑にもあったけど、桜の木が植えられている。
花が咲くのは6月らしい。

 

この桜並木が満開になったら綺麗だろうな。



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イマ・マーケット(インパール)。

2019年03月02日 21時21分59秒 | 東北インド / NORTH EAST INDIA
マニプル州の州都インパールのカングラ・フォートの近所に、
とっても魅力的なマーケットがある。その名はイマ・マーケットである。

イマ=今だとすると無茶苦茶ナウい(死語)マーケットなのかもしれない。
居間だとすると家にいるような居心地の良いマーケットなのかもしれない。

しかし・・・そんなわけはない。
イマと言うのは日本語であるわけはなく、マニプル語である。
それは・・・お母さんと言う意味である。
なのでマーケットには女性の売り手しかいない。
それもお母さんなので若い女性はいないのであった。
そう・・・子供に手がかからなくなった40代以上かな。
世界最大の女性だけで運営されているマーケットとの事。



パッと見て思ったのは雰囲気的には、
シッキムの州都ガントクにあるニュー・マーケット、
シンガポールのリトル・インディアにある
ティッカ・センターに似ていると言う事だ。
足を踏み入れてまずは飲食物の臭いが立ち込めている。
野菜や魚や肉の臭い・・・これ暑い時期はキツイと思う。

 

左側の赤くて長いのは天然のウナギらしい。
おばちゃん達はみな陽気で
大きな魚を抱えて写真撮影を要求してくる。



どこまで行ってもおばちゃんしかいない。



これは納豆の包み。



たけのこ(左)と何に使うのか解らない木。

 

マニプルの燕三条(洋食器や金物で有名な新潟県の街)か?
金物屋もある。



建物の外の路上にまでお母さんがあふれている。
魚の佃煮や干物。家で焼くと酒の肴にいいらしい。



隅々まで見る事ができ楽しかったと思うが、
まぁ活気あふれる入口だけでも楽しい。
戦争関係以外の見所が少ないインパールでは、
数少ない観光の場所であろう。
力強い女性のエネルギーを感じたのであった。

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ワールド・ウォー・セメタリー(インパール)

2019年03月01日 22時03分59秒 | 東北インド / NORTH EAST INDIA
ここは第二次世界大戦の時にこの地で亡くなった
イギリス軍と連合軍の兵士の墓地である。
1600人分の墓があり、イギリス兵が最も多く約1300人、
インド兵が約220人、残りはカナダ、オーストラリア、アフリカ、
ミャンマー、中国などである。

池に架かる橋を渡って行く。





 

 



 

イギリス兵、インド兵、グルカ兵やイギリスの植民地軍の兵、
中国兵などの名前が刻まれていた。
名前が判明している場合は名前と
その人の宗教をかたどるマークも刻まれている。



これはここに埋葬された1600人の中で、
唯一の女性の墓。20歳で亡くなった看護師の物である。



その近くにあった墓にはヒンディー語が刻まれていた。
25歳でなくなったヒンドゥー教徒のインド兵の物。



名も無き兵の墓。

きちんと並べられた墓石は草花が飾られていて、
墓地であるが公園の様でもある。ぽかぽかと天気の良い日は、
亡くなった人々の魂が安らかであるように感じた。

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インパールのレストラン ~ スプーン ~

2019年02月28日 20時21分59秒 | 東北インド / NORTH EAST INDIA
マニプル州はドライ州である。
ドライ州と言うのはお酒が飲めない州と言う事だ。
現在のところインドではグジャラート州、ビハール州、
マニプル州、ナガランド州ではお酒が飲めない(事になっている)。
グジャラート州ではリカー・パーミットがあれば購入が可能であるが、
ビハール州は持ち込みも禁止である。

マニプル州では軍の施設内では調達が可能との情報があるが、
一般人が行って調達できるかどうかは解らない。
ナガランド州については全く情報がないが、
デリーのナガランド料理のレストランでは提供している。

ケララ州は10年間の段階を経て禁酒州へ移行するらしい。
またモディ首相の政党(BJP)が強いマディヤプラデシュ州と
チャッティスガル州も(媚てるとしか思えないのだが)
禁酒州になるらしい。政権が変われば事情も変わると思うけど。

と言う訳で・・・裏事情は置いといて、
マニプル州は禁酒州なのでお酒の提供はなかった。
(事にしておく。)



この店は宿泊したホテルから徒歩5分程度の所にあり、
ガイドさんが手配してくれたのだが、
スポーツバー(お酒はないけど)みたいだった。

           

住 所:Deulahland stadium road, Imphal, Manipur, India
電 話:91-8971879511
予 算:100Rs~

<食したメニュー>



ポーク、チキン、魚、海老、蟹、チョーメン、フライドライス、
いろいろ食べつくして、な・な・なんとっ!!
一人1000Rs程度だった。インド20州を旅した私の感触だが、
マニプル州はインドで一番物価が安いのかもしれない。

<店内の雰囲気>

ベッカムなどサッカー選手の写真が飾られている。



世界の国旗とともに・・・どう見ても・・・
お酒のボトルにしか見えない物も飾られている。
都合よくピンボケしちゃったけど、飾りかな?



<感想と評価>


            
お酒のつまみにはピーナッツ! インドでは皮つきが普通。


            
スモークド・ポークはインド中華風の味付け。


            
鯉のような・・・魚の唐揚げ。
マニプル州では湖のいけすでいろいろ養殖しているみたい。


            
海老ざんす。海老チリみたいな物にカシューナッツのトッピング。


            
隣のテーブルに蟹があったので注文してみたけど、
残念ながら食べる所は少なかったわね。


            
チキンのグレービー・ソース。
これもインドでよくある味付け。


            
フライドライスはあっさりしていたので、
単独で食べずに他の料理のソースをかけるといい。


            
と言う訳で、フライドライス、プレーン・ライス、
チキンのグレービー・ソース、チョーメンを盛ってみた。

素面(?)で盛り上がる(わけないか?)現地の若者とも交流し、
グループ旅行は楽しかったのだった。
また、現地のガイドさんの案内する所はハズレがないと思った。
 
 評価は◎
      (3段階、◎:おすすめ ○:まぁまぁ ●:う~ん)

■お断り■
 味に関しては、間違いなく主観でしかありません。(100%!)
 同意見・反対意見など、あると思いますが、
 あくまでも、私の味覚に合うかどうかなので、
 気にしないでください。あしからず。

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