1月8日は初薬師の日です。
午前中は5年に一回の隣保の当番で、自治会内にあるお堂のお掃除に行ってきました。
こちらに住んで5年になりますが、一度もこちらのお堂を覗いたことさえなかった事に申し訳ない思いがしました…。
お堂の中には、
右側 … 毘沙門天
中央 … 南無薬師如来
左側 … 阿弥陀如来
がいらして、随分古いものになりますが、中央の薬師如来さんはきれいな金箔が今も残っていて、眼は水晶で出来ています。
両サイドの毘沙門天と阿弥陀如来はうっすらとブルーやピンク、黄、橙などの色が施されていて、流れるようなフォルムでとても美しく立派でした。
作られた当時はそれは煌びやかで雅であったと推測されます。
埃を落とし、キレイさっぱりと拭き掃除をさせてもらいました。
今日はまだ気温が6~7度で暖かい方で助かりましたが、3年前の神社のお日待ちの掃除の時には氷点下で、雑巾で拭いた後すぐに凍ってしまうという大変な作業でした。
それでも屋根のあるだけの吹きっさらしのお堂ですので、水場もありませんので、家からバケツにお湯を汲んで持って行き、手を温めながらの作業です。
男性陣は山からしきびを取ってきてもらったり、お供えに使う藁で作った馬(お盆にお供えするナスやキュウリで作った馬の様な形の大型版)に、ユリダと呼ばれる柔らかい木を細工して百合の花を作り、太めの竹ひごで茎の部分を作り、それを先ほどの藁の馬に刺してお供えしました。(合計10本)
この寒い時期に花がない為、昔はこのようにして自然のものを使って、今で言う造花を作ったのだと思います。
その風習を今も継いで守っておられることに感服です…
お鏡餅やお供え物を準備して10時から御住職に来ていただいてお経を上げて頂きました。
その昔、中央の薬師如来が古くて汚くなった時に京都で金箔の貼替えをお願いされたそうです。
その際、中を割って作業されるのだそうですが、中から金の塊が出てきたそうな…
この地域での昔からのわらべ歌の中に薬師如来の中に金があると歌われていたそうで、その時村の人たちはなるほどと思ったとか…
そして、その中にあった金を使って、金箔の貼替えをしたそうです。
なんと、昔からの言い伝えって本当なんですね
こんな事を聞いたことがあります。
文章に残っているものは案外嘘が多い(途中で都合の良いように書き換えてしまう)と、でも言い伝えは本当の事が多いと…
ここにも本当の事が残っていたんですね…
寒い中でしたが、色々と感じるものがあった半日でした