オレンジ色の紫陽花

携帯から軽快に綴るおいらの日々。
…だったのだが、ツイッターのまとめブログに変更。極稀にこっち単独の記事もある、かも。

「白夜行」

2006年03月18日 02時00分29秒 | ほぼ、文庫本
白夜行/東野圭吾/集英社文庫

昨日の今日、ていうか、今朝の今晩ですが(細かいな!/苦笑)白夜行、読破しましたよ、べいべー!ただし、今別のところに現物があって、夜中なもんで取りに行けません。安眠中の「だー」の顔を踏んづけてまでGETしようとは思いませんから、画像と詳細(出版社名)はまた後日。

ていうかその前に!
すごいな、もうトラックバックがあるよ。さすがにテレビっ子な話題でオンタイムな記事には、皆さん敏感なんですねー!いやはやびっくり。

下の、ドラマの感想にも書きましたが、おいらはドラマを先に見ておいて正解だったな、と思ってます。
てなことを書くと、原作フリークからは「そんなの邪道の極みだ」とかなんとか、激しいクレームがつきそうですが、別に原作は原作で、ドラマはドラマで、別個に捉えておりますからご心配なく。ちゅーか、そんなの、楽しみ方なんていいだろう、個人の勝手だろう、ごちゃごちゃ言うなや、ていうのが本音です。

確かに、原作を読んでいくと、雪穂はあくまでもクールビューティー(なんだそれ)で、そこがまたカリスマ性が滲み出てて、この世のものとは思えない美しさを感じます。
亮司はもっと狡猾で、もっと雪穂の影法師で、これまたこの世のものとは思えない朧な存在感です。まさに幽霊です。
原作を読んで思ったのは、ドラマほど人が死ななくて良かった、てことかな。いや死んでるんですけど、田中幸太朗がやった若手刑事はがんがん出世してましたし(これが一番嬉しかったりしてな!)、亮司の母親は生きてるし。うん、これがミソかな。雪穂は早くに実の両親が死んでますし、しかもその一人は自分の手で、いや原作ではそこまで明確にはなっていませんでしたね、多分、そう匂わせる記述はあったけれども、おそらくその罪を問うのはもう無理だろうな、と思われました。さらには、養母も死んでしまいます。これもまた、人為的な死でしたな。はっきり亮司の仕業て書いてたかな、ドラマの印象があるからはっきり覚えてないな。ま、そこはともかく、雪穂には血縁というものが途絶えます。
その雪穂を、一蓮托生で、ああそうか、笹垣の言葉を借りれば「相利共生」でしたっけ、テッポウエビとハゼの、そんな繋がりを持ち続けた亮司も、最後に死んでしまう。
そこで原作は終わっています。
再婚もして、旦那と二人の子どもがいる雪穂ですが、もちろんその人達が彼女の「家族」になり得る事はないだろうと思いますよ。形として「家族」を形成してはいるだろうけれども、人の愛し方を知らないと言った雪穂に、「家族」が出来るはずがないと思う。何故なら彼女にとって「家族」は、愛すべき存在ではなかったから。おそらく、これからの人生を生きていく上で、「家族」を持つ方が生きやすいと思ったから、より条件の良い「家族」というアイテムを手に入れた、てなもんでしょうか。
あ、なんか、気を遣って書いてるから、文章がいらいらします。さっきから何回書き直してるか!!

ぶっちゃけ、雪穂と亮司とどっちがええか、と言われたら(そんなん、誰も聞かないってばよ)迷わず亮司ですな。そんなもん、なんぼ条件良くても、やね、アイテムとしてだけの「家族」なんてあんた、面倒臭いだけやて!身内やからこそ、もう、なんていうか、自分ではどないしようもない事やからこそ、どんな面倒臭い思うても、しゃあないなもー!で済ませられる事も多いと思うんですわ、家族て。
それにおいら、恋愛至上主義者(笑)ですから、亮司がいじらしい思えてしゃあないんですわ。

読み物としては、まだまだいろんな読み方が出来そうだし、そらもう、読めば読むだけ、違ったものが見えてくると思う。この本に限らず、本来書物(あるいは小説)ていうのはそういうもんでしょう。
(えい、もう、途中やけど終わってやる!…けっ)
(いや、本そのものは面白かったです。超長編で、しかもおいらが不得意とする分野なのに、ごいごい読み進んだのは、ひとえに作者の「読ませる力」です。)