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色彩神秘学──古代ギリシャ哲学からクオリアまで*1

2011-06-28 | 色に関するヒトリゴト
今月から、知人のサビアン占星術師・るしえるさん主筆の超マニアックな(笑)メールマガジン「みえない大学新聞!」にて、色彩に関するコラムを不定期連載させていただくことになりました。もともとは「占星術」や「暦」のお話がメインのメルマガだったのですが、みえない「大学」の名にふさわしい、多角的な内容の「総合誌」にしていきたい……ということでオファーをいただいたのです

で、最初は「一般向けのフェミニンな内容で」ということだったのですが、途中で「やっぱマニア全開で行きましょう」と軌道修正が入り、タイトルから全部やり直し。こうなったら好きなものを書こう!と開き直り仕上がったのが今回のエントリーです。ちょっと長めですが、転載しますね


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色彩神秘学──古代ギリシャ哲学からクオリアまで

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セルフヴィジョン・ナビゲーターのhirokamo[ひろかも]です。
琵琶湖のほとりから「色彩」に携わること20年余り、知れば知るほど深みにハマる……そんな色彩の不可思議な魅力を、不定期連載にてお楽しみいただければ幸いです。

■ 色はなぜ「見える」のか? 紀元前から続く問い

この命題については、遠く古代ギリシャ哲学まで遡ります。紀元前6世紀、ミレトスのタレスが「万物の根源[アルケー]は水である」と説いたのをきっかけに、様々な哲学者たちがアルケーの探求に心血を注ぎ、いわゆる「四大元素=火・風・水・土」の概念へと発展していったことは、当新聞!の読者ならご存知のかたも多いことでしょう。この四大元素[リゾーマタ:根]説を唱えたエンペドクレスこそ、色をはじめ我々が何かを「知覚するしくみ」について最初に語った哲学者と言われているのです。

彼の知覚論は、現代の我々から見ると非常に「画期的」でして(笑)万物は「流出」を放ち、あらゆる流出(←個人的には「エネルギー」とか「波動」的なモノと解釈していますが)に対して、人間側にもそれぞれに正確に適合する感覚器官の「細孔」があり、またそれぞれの細孔からも知覚対象となるものに向けて「流出」が発せられ、その双方向のやりとりによって認識する、と考えていたようです(ああ、ややこしい!)
エンペドクレスは「ランタンの炎が、麻布越しに光となって見えている様子」を例に挙げ、この時、人間の眼の中にも「火の元素」が存在し、それが眼の表面を覆う膜に空いた穴(←瞳孔のことかしら?)からランタンに向かって放たれ(!)ランタンから放たれた光もまた眼膜上の穴に吸い込まれていく、と言うのですね。ちょっと想像するとマンガちっくな絵が浮かびますが(笑)思うにおそらく、エンペドクレスはランタンの光を見ている「自分自身」と、光を放つ「もの」の間に、目に見えない「共鳴作用」を感じていたのではないでしょうか。色は光、光は波動=電磁波の一種。そのような「知識」はなくとも、直感的に理解していたのではないかと思うのです。

ともあれ、世界のあらゆるものが「火・風・水・土」の四元素の組み合わせによって成り立っている、というのが彼の「四大元素説」の趣旨なわけですが、ここでいう「火」は単なる「炎」を表しているのではなく、何らかの「化学反応による変化」を示唆すると言われています。錬金術ですね。それが「色を見る」という行為に関わる、と主張されていたというのが、オーラソーマ・コンサルタントでもある身としてはかなりそそられます。オーラソーマで「変容の炎」といえば「ライラック(ペールバイオレット)」であり、上下この色のボトルは56番の「サンジェルマン」……そう、18世紀ヨーロッパに実在したと言われる伝説の錬金術師・サンジェルマン伯爵にちなんで名付けられたものです。

という話はひとまず置いといて。ボトルの話は長くなるのでまた別の機会に(笑)

■ 色=白+黒?? 偉大なる哲学者の真意とは

さて、エンペドクレスから約1世紀後に、あのアリストテレスが登場します。プラトンの一番弟子、アレクサンダー大王の家庭教師でもあったという偉大なる「万学の祖」は、果たして「色」をどのように捉えていたのでしょうか。
アリストテレスによれば「空気と水の本性は白、火と太陽は黄、土は黒」であり「色は白と黒の間に生じる」と主張していました。彼の理論はヨーロッパからイスラムへと伝わり、またイスラムからヨーロッパへと逆輸入されて、中世~ルネサンスを経て実に18世紀(!)の文豪ゲーテにまで支持されていたのです。超ロングセラー。もっとも彼の色彩理論はその優れた観察眼によって育まれた「哲学的思想」であり、17世紀のニュートンから本格的に始まる「色彩光学」の流れとは本質的に異なります。

ちなみにエンペドクレスの「眼の中の火」についても、11世紀の始めにアラビアの天才科学者イブン・アル=ハイサムによってサクっと否定されていますし、アリストテレスの「色の観察」が光学的に正しいわけではないことは、早い段階で(といってもイブンさんの時点で既に1400年くらい経ってますけど)知られていたのではないかと思うんですね。それはそれ、これはこれ。たとえ「非科学的」であっても、彼の「色の本質とは何か」という問いは、時代を超えて多くの論客を魅了し続けたということでしょう。

アリストテレスの師であったプラトンは、理性によってのみとらえることのできる永遠不変の本質=イデアこそが真の実在で、人間の感覚は不完全であると説いた人です。その最も優秀な教え子とされるアリストテレスが、つぶさに光と色を「観察」して独自の理論を構築していったというのが面白いですね。彼は白(=光)と黒(=闇)の混合によって、あらゆる有彩色が生まれると論じたわけですが、実際、ごく自然な体験として、わたしたちはそのことを「知って」います。絵の具の白と黒をいくら混ぜても赤や緑になることはありませんが、暗闇に一筋の光が射し込めば、たちまち世界が色づくことには誰もがYESと言うでしょう。そしてまた、その豊かな彩りを放つものたちが「空気と水=白」と「土=黒」の間に生まれ、育まれることも。

それはとても素朴な現象で、当り前のようで、だけれども2500年経った今、一体どれほど「白と黒の間に生じる」ことをわたしたちは理解していると言えるでしょうか?

ハッキリ言って、21世紀の最先端科学をもってしてもなお、わたしたち人間に「なぜ色は『見える』のか?」という問いに対する明確な答えは見つかっていないのです。一応、肉眼で目の前にある物体の色を認識するルートは、ある程度解明されています。けれど例えば「ポスト」と聞いて赤色を「思い浮かべる」ことが出来るしくみは、未だナゾに包まれているんですね。なぜ人間は色を「イメージ」出来るのか? それが「かつて見た色記憶の再生」だったとして、なぜ光(電磁波)による物理的刺激がないのに、特定の波長の色を脳内再生出来るのか??……このへんのことを突き詰めていくと、最終的には「意識とは何ぞや」というハード・プロブレムに行き当たるようです。もっと言えば

Who am I :わたしは「誰」か?

という、究極の禅問答が待ち受けているのですね(笑)
オーラソーマでこの《Who am I?》というテーマは、ブルーとグリーンの中間色相である「ターコイズ」に象徴されるとされていますが、光の三原色であるRGBの掛け合わせでは、鮮やかなターコイズは作れないってご存知でしたか? 純粋なターコイズの単色光ほどの鮮やかさは、混ぜモノでは出せないのです。なんだか意味シンですね。ふふふ。

・・・

最初からこんなにマニアックで大丈夫なんだろうか?という一抹の不安も抱えつつ、しかし専門学校やカルチャーではまずやらないようなネタに自分自身がワクワクしています。当初はもう少し「暮らしに役立つ色のチカラ」みたいな企画をイメージしていたのですが、そういうのは自分のブログでもさんざん書いてきましたし、そちらを見ていただければいいかなーと、開き直ることにしました(爆)

今回は「西洋」寄りのお話でしたが、次回は「古代東洋の色」について書きましょうか。時代も場所も異なりますが、ナニゲに今回の古代ギリシャ思想と繋がっている部分もあり、面白いですよー。それでは、また。

hirokamo*かもがわひろえ


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