9月5日「国営 平城宮跡(へいじょうきゅうせき)歴史公園」に行ってきました。奈良市
二条大路南 近鉄奈良線「大和西大寺駅」から奈良交通バスに乗り「朱雀門ひろば前」
バス停下車すぐです。
鶴橋駅から奈良にいく時は車窓からいつも眺めてたんですが、はじめての来訪でございます。 (^^♪
和銅(わどう)3年(710年)藤原京より遷都され74年間、日本の都であった「平城京」
の中枢部分です。今で云うと「平城京」が東京都で、皇居と永田町と霞が関をあわせた
のが「平城宮」ですかね。 あってるかしら。 (^^♪
バス停前、大きな建物が並んでいます。
広すぎて全体の写真がとれましぇん。 (^^)/
「復元 遣唐使船」 渡海するには小さい船ね。
「国営 平城宮跡歴史公園」 平成20年事業化開始「特別史跡平城宮跡」計画地とした
歴史公園です。国営公園区域内122㌶ その他区域10㌶ 計132㌶の広大な公園です。
現在も事業続行中であります。
きれいね。 シンメトリー (^^)/ 通常は船の中も見学可能なんですがこの船に
限らず公園内の施設は殆ど、コロナで休館とか立入禁止になってました。 残念 (^^♪
「天平(てんぴょう)うまし館」
レストランは閉鎖、喫茶スペースはやってはるのね。
「遣唐使船解説コーナー」
「遣唐使」舒明(じょめい)天皇2年(630年)より寛平(かんぴょう)6年(894年)まで
約260年間 20回(諸説あり)に渡り、日本が唐に送った使節です。
コース二つあったのね。 朝鮮半島に渡ってから南下するのと直接大陸に渡って
揚子江をさかのぼるのと。 どっちも大変 (^^♪
遣唐使の有名処みたいです。おっちゃんが知ってるのは「山上憶良(やまのうえの
おくら)と「阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)」ぐらいですな。
あそこはと。
「平城宮いざない館」
「棚田嘉十郎(たなだ かじゅうろう)氏」銅像。万延元年(1860年)生誕。奈良公園
の植栽を手掛ける植木職人だった彼が、1897年に発見された平城宮跡のその後の荒れ
果てていく様をみて保存と顕彰に生涯をかけました。
実に見る影をなき有様。之を皇居の跡を云われ様か
(棚田嘉十郎 大極殿址保存に関する略歴より) 国士ですな。
ここも休館。
なんか石ならんでる。
「鍛冶工房跡」
やっぱり建物内ほとんど入れないようなので今日は、芝生と土と雲の写真ということで。
おっちゃんの撮影テクニックの見せ処であります。ほんまかいな。 (^^)/
「朱雀(すざく)門」へ。
「朱雀大路」道幅74m。 平城京を南北に貫くメインストリートです。
「朱雀門」平城京の正門です。平成10年(1998年)復元 。間口25m、高さ20m
入母屋式二重構造。
見あげて (^^)/
「大極殿(だいごくでん)」に行きます。ここから1500mか。なんでそんな遠いねん (^^♪
「第一次大極殿(だいごくでん) 南門」が見えます。2017年11月より復元工事中
です。鉄の囲いのなかね。
振り返ると「朱雀門 裏」
あそこの踏切わたるのね。雲と近鉄電車奈良線架線 (^^♪
奈良行き特急 2200系スタンダードタイプ 踏切通過! 指差し確認よし (^^♪
踏切を渡ってと。南門復元工事公開中であります。 (^^)/
広い (^^)/
2017年11月工事開始 2022年3月終了予定。横から。
「素屋根スライド」 覆屋(おおいや)とも云われ、雨風の天候に左右されず、安全
に作業をするために設営された鉄骨工事用仮設建築物です。南門の東側にある「東楼
復元整備計画」で使用するため、スライド移動中だそうです。
「素屋根」高さ30m 幅50m 重量665㌧。1工程5.6m 全7工程東へ42m。10月4日まで
の移動作業。水平油圧ジャッキ6基使用 初日移動距離1.8m。大変 !
今日は日曜だから作業はお休み。(^^♪
ここから入れるです。
「復元 第一次大極殿」正面44m、側面22m、地面高27m。朱色柱直径70㎝44本。
屋根瓦約97000枚 すごい !(^^)!
左右「双頭双尾鴟鳥(しび)」中央「大棟(おおむね)中央飾り」。「鴟鳥」とは
トンビです。お城で云う「金の鯱(しゃちほこ)」みたいなもんだそうです。(^^♪
「第二次大極殿」のほうへ。
天平12年(740年)に一時的に平城京から「恭京(くにきょう)」さらに「難波京
(なにわきょう)」に遷都されますが5年後に再び平城京に遷都されました。
忙しいね。 (^^♪ 再遷都後に使われていたのが「第二次大極殿」です。
ここね。
「若草山」が見えます。 お山の中腹が芝生になっている処です。 (^^♪
上から。
いい雲 いい空 (^^♪
現在地がわからん (^^♪
雲の峰 幾とせ流る みやこ跡 (^^)/~~~