9月19日「平野(ひらの)神社」に行ってきました。京都市北区平野宮本町(ひらの
みやもとちょう)京阪電車「三条駅」より京都市バスに乗換え「衣笠高(きぬがさ
こう)前」バス停より歩いてすぐです。バス停から神社見えます。
「西鳥居」より入ります。前の道路は西大路通り(市道181号線)です。
「平野神社」元は平城京で桓武天皇ご生母の「高野新笠(たかののにいがさ)」を
お祀りしていたのが、平安京への遷都とともに平安宮の近くに移し祀られたとか。 (^^♪
平野神社は桜の名所として有名ですが、
本日は彼岸花でございます。
桜の樹の周りに彼岸花咲いています。
ちょっとボリュームが足りないですな。「彼岸花の名所」というには憚りがありますな。
だから云ってないのね。!(^^)! でも奉納提灯とコラボ いい感じです。 (^^♪
「東鳥居」
大きい。(^^♪
芙蓉と鳥居
脇に白い彼岸花。(^^♪
石垣と白い彼岸花 (^^♪
「楼門」 神紋は「山ざくら」です。(^^♪
そばに可愛いお花が (^^♪ なんかな お宮の人に聴いてみました。
サフラン(咱夫藍)だそうです。アヤメ科クロッカス属 香辛料の原料となる植物
です。まだつぼみ (^^♪
「拝殿」修復中。
2018年の台風21号で倒壊。そう云えばニュースで見ました。
「ご本殿」四殿二棟の平野造と称される独特の形式になっています。北から
第一殿「今木皇大神(いまきのすめおおかみ)」第二殿「久度大神(くどのおおかみ)」
第三殿「古開大神(ふるあきのおおかみ)」第四殿「比売大神(ひめのおおかみ)」
の四祭神が祀られています。
「御神木」大きい (^^)/ あの板の上にあがって御神木に手を当て霊気をいただきます。
おっちゃんも (^^)/
パワーいただき !(^^)!
こちらはと。
「ムラサキシキブ(紫式部)」シソ科の落葉低木。元は「ムラサキシキミ」と呼ばれ
ていたのが今の名前になりました。因みにシキミとは「重なる実」実がたくさんなる
という意味です。(^^♪
彼岸花は球根に毒があります。土を荒らすモグラやネズミなどの小動物、虫を避ける
為に植えました。田んぼのあぜ道にあるのは稲を守るため、お墓の周りにあるのは
土葬の御遺骸を守るためと云われています。
それでは、お散歩がてら次の目的地へと。
桜の樹 春まで待てと 彼岸花 (^^)/~~~ to be continued (^^♪
西大路通りを北へ (^^♪
「千本ゑんま堂(せんぼんえんまどう)」に着きました。京都市上京区千本通蘆山寺
(ろざんじ)上る閻魔前町(えんままえちょう)京都の住所表記は風流やね。平野
神社よりipadを見ながら住宅地をくねくね歩き15分です。(^^♪
本堂横「千本えんま堂 会館」宿坊です。コロナやからしてはるのかな。
高さ幅とも2.4mの閻魔大王が見下ろしています。 迫力 (^^)/
「千本ゑんま堂」正式名称「光明山歓喜院(呼称不明) 引接寺(いんじょうじ)」
あの世とこの世を行き来して閻魔大王と交流したと伝説のある「小野篁(おののたか
むら)」が1200年前に開基したと伝わる高野山真言宗のお寺さんです。
ゑんま堂はその昔、京都の三大墓地 化野(あだしの)・鳥辺野(とりべの)・蓮台野
(れんだいの)のひとつである蓮台野の入口に立っています。現在は千本通(市道31
号線)のすぐ前です。
卒塔婆や石仏が何本も無数にあったことから「千本」の地名が残ったとか。
そのへんから「千本ゑんま堂」と呼ばれたのね。
本堂入口横 カワユイ (^^♪
「引接(いんじょう)」とは仏が「衆生(しゅじょう)」一切の生きとし生けるもの
を浄土に往生させることです。「引導(いんどう)」と同意語ですな。(^^♪
寺紋は「丸に桜」 (^^♪
本堂内は撮影禁止。こちらから。ご本尊は「閻魔大王」です。
奥が寺務所です。
お地蔵さん見えました。ゑんま堂さんはこのお地蔵さんとその周りに咲く彼岸花が
有名です。(^^♪
こちらが順路と。
毎年旧盆8月7日〜15日に行われる「お精霊(しょうらい)迎え」と8月16日の「お精
霊送り」が恒例行事です。
水塔婆を流し鐘を撞くとその音を頼りにご先祖の精霊が閻魔様の御許しを得て各家庭
にお皈り(おかえり)になります。 お盆はお地蔵さんの前は人でいっぱいです。(^^)/
「皈る」とは回ってもどるとか元の場所に帰るという意味だそうです。仏教用語でも
でないみたいですな。お寺のHPに「皈る」とあったのでちょっと調べてみました。(^^♪
あそこから噴水出るみたい。今日は出てない。 (^^♪
お地蔵さんの前の彼岸花。映えポイント (^^)/
なぜか「紫式部 像」 ふくよかな式部さんですな (^^♪
奉納されたお地蔵様なのね (^^♪
ほとけの身 咲いて守るか 彼岸花 (^^)/~~~