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Do you really dream of jumping sheep?
(ども 火星人です。レイシストお断り)
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少子化の話はひとまずおいといてw、ジャパンカップの日だったから、やっぱりジャパンカップの話しないと。(なぜ?)

毎年、思うのは外国、特にヨーロッパからやってくる騎手の豪華なことでありまつ。
英・愛の二大ジョッキー、デットーリとファロンはもとより、いつもこの時期は日本にいるぺリエ(この人は凱旋門賞を別々の馬で三連覇しているぽ)、同じく最近日本でおなじみのルメール、アメリカの年間最多勝利記録保持者(598勝)のデザーモとか、もー、すごいがな。

ケント・デザーモ騎手は、一度、400勝以上あげて、年間の記録を作っているのだけれど、それをはるかに上回る598勝というのは、だからちょっと想像できないような異常な記録なのだ。

ところが、彼は実は一年中日本で仕事をしたいといって日本に来たのです。
アメリカでは週に6日どこかしらで競馬があるそうだ。(もちろん、全部は乗らないけれど)
まあ、だから598勝したのも、そういうことがあるからなんだけど、彼の二人目の子供が、耳がきこえないということが分かって、できるだけ家にいて子供と過ごしたいと考え(日本のJRAなら週2回だ)、日本で騎手をしたいということになったのら。
まあ、JRAは賞金が高いから効率がいいという側面はあるだろうけどね。

でも、JRAは普通、JRAの競馬学校を卒業しないと駄目駄目なのだ。
まあ、地方競馬の騎手については一定の条件と試験をクリアすれば、オーケーということになったけれど。
(安藤騎手が第1号)
というわけでデザーモ騎手は、気の毒にもJRAの騎手にはなれず、日本では短期免許で乗っている。
(短期免許は、年に3ヶ月だけ乗れる免許で、外国の騎手はこれで毎年何人か、やってくる。特にヨーロッパは平地競走のシーズンが4月から10月までなので、オフにやってくるのだ)

さて、今日のレース。タップダンスシチーが異常なペースで引っ張ってしまった。
(そりゃあいくらなんでも最後はばてるでしょう。)
そんな中、アルカセットは先頭にたってから、これまた異常な粘り。ゼンノロブロイが追いすがってきたが、これにひるまず、最後にハーツクライが一頭だけ明らかに違う脚で、一気に全部かわすかと思いきやこれもぎりぎりで押さえ込んでしまった。
馬の勝負根性もすごいけど、やっぱデットーリの腕でしょう。

今日の着順を、騎手で見ると、デットーリ、ルメール、デザーモ、武、ファロン(ファロンのウィジャボードは直線で不利をうけている)という順番だ。
まったくもって「ジャパンカップは騎手で買え」なのら。

ところでルメール騎手、なかなか勝てません。2着だらけ。(今日のレースなんて普通勝ってるよ、あれ)
こうなったらステイゴールドの後釜でも狙って欲しい。

しかし、今日のレースは激しすぎて上位の馬は有馬記念に余力が残ってないのではないかと心配だ。

(少子化の話は今度)

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http://www.france-galop.com/PROMO/pxarcfr.htm

現地時間で10月2日午後5時30分(日本時間だと3日午前1時30分)、凱旋門賞でつ。このサイト、日本語の「凱旋門賞」で検索に引っかかるのだ。なかなかやるな。

みんなで日本の馬を応援しよう、って出てないやん。

しかたないからニジンスキー(馬の方)の話でもしようかな。(特に理由はないけど)

正確には Nijinsky Ⅱ。

これは馬主がこの馬を私の生まれ変わりだとまじで思ったらしい。馬なのになぜ?

種牡馬ノーザンダンサーの最高傑作といて、当時としてはカナダ史上最高額の一才馬として競り落としたわけで、馬主としては最高のダンサーである必然性があったわけだな、きっと。w
というのは、嘘で、ニジンスキー(私)が「生まれ変わったら馬になりたい」といったからなのだ。
もちろん、それだけではない。
身のこなしはしなやかで、歩く姿だけでも見とれたそうでつ。w
それに加えて気性の悪さ。気性は悪いが走り出すと完璧。

やはりニジンスキーの生まれ変わりなのだ。
カナダのE・P・テイラーさんの牧場にいるときに、馬主に頼まれて他の馬を見にきたオブライエン調教師が、ほれ込んだのだそうだ。(よくありそうな話)

デビュー戦からすでに、圧倒的一番人気。
2歳のときは5戦全勝。
3歳になって(1970年のこと)緒戦を楽勝して、いよいよ2000ギニー。(英国三冠レースの一つ目)
これも普通に勝って(この時点でまだ本気で走っていない)、ダービーを迎えたわけだけど、このとき生涯で唯一、オッズ(賭け率)が2倍を超えたそうだ。(2.4倍だと)
まず、距離の不安。それまでは、1マイルまでしか走ったことがない。ダービーはその1.5倍の距離だ。
あとは各国からライバルが来るので、やはり人気が少しは割れるわけだ。
日本と違って、アイルランドの馬も来るし(ってニジンスキーがそもそもアイルランドの調教だ。)、フランスの馬も走っていいのだ。ようするにインターナショナルなのだ。

で、結局、ダービーも普通に勝って、35年ぶりの英国三冠の期待が高まったわけだ。
当然、ますます人気沸騰。
つぎは、アイルランドダービー。ここは3歳の最強馬決定戦。
フランスのダービー(ジョッケ・クルブ賞)の上位とイギリスのダービーの上位が集まって来るのだ。
ここも普通に勝って、あまりに余裕があるので、キングジョージ(レース名 正確には King George VI & Queen Elizabeth Diamond Stakes 長いのでキングジョージと呼ぶ)も出ることにした。
これは古馬も出るのだ。というより古馬中心。(古馬とは4歳以上の馬)

ちなみにこのレース、欧州三冠レースの二つ目となっています。(いつからかな)
一つ目はイギリスのダービーでつ。

さて、初めて古馬相手に、どうなるかと思ったら、馬なりで楽勝。最早、無敵状態。
ところがだ。ファイナル・ファンタジーだと無敵状態というとヒットポイントもステータスも変化しないんだけど、ニジンスキーは病気になってしまったのだ。

それでも、誰もが期待する中、病気の回復後すぐにレースに出ることになった。

セント・レジャーだ。これは英国三冠レースの最後のもので、今ではあまりイギリス三冠に価値が置かれていないけれども、当時ぐらいまでは意味があった。
しかも、三冠馬は1935年のバーラム以来、出ていない。
調子はよくないが、まあ、敵は居ないから楽に勝てると思ったのだろうね。
勝つには勝ったが、かなりの苦戦。しかもレース後に体重が激減。そうとうきつかったようだ。
このあと中2週で凱旋門賞を迎えることになるんだけれど、そりゃあ大変な騒ぎだ。
ここで凱旋門賞を勝てば、誰がなんと言おうと史上最強だ。(一応、英国三冠と欧州三冠のダブルを無敗で取ることになるのだ)

ところがだ、直線ササフラという馬に粘られて、初めてムチが入った。
そのムチで左に大きくよれてしまった。ササフラに差し返されたところでゴール。頭差で、ついに負けてしまった。
陣営は、こんな凄い馬が最後に負けて引退するなんて(もう、種牡馬として行き先が決まっていた)、気の毒と思ったのか、中1週で、チャンピオンステークスに出してきた。
(このレース、ウイニングポストだと、凱旋門賞より勝ちにくいです。)
しかし、そもそも凱旋門賞の負けは疲れが原因だと後にいわれていたぐらいだから、ますます疲れとるべ。
これも2着に破れた。もうシーズンは終了。
(欧州は、10月で平地のレースは終るのだ)

ちょっとだけ気の毒な気もするけど、種牡馬としても激しく成功して、最後には(晩年の産駒)ラムタラが無敗で欧州三冠を取った。
サラブレッドとしてはこれ以上、幸せな馬も居ないだろ。

ちなみに、ニジンスキーの名前をつけた馬主さん、1971年、ニジンスキーの活躍&引退の翌年、亡くなった。
「墓碑銘は『ニジンスキーの馬主』としてくれ」と言ってなくなったそうだ。(うる

チャールズ・エンゲルハードという人のお墓を見つけたら、墓碑銘を確認してみてください。(どこで見つけるんだかね)


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