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白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

白雲楼、起雲閣、「日本タイプライター」(19)再建整備計画(3)城端軌道

2005年08月25日 15時18分52秒 | 日本観光

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

前のブログで書いたが、昭和24年6月30日をもって整備計画は完了したのである。しかし終戦後より昭和23年頃までは、日本タイプは労働組合が生産管理をしており、会社が経営を取り戻すまで労働争議で明け暮れていた。父は昭和20年12月1日より1年半程戦犯容疑で鎌倉の自邸の一室に軟禁されていた。昭和22年夏戦犯容疑が晴れて釈放され金澤に帰郷した。その時は白雲楼はアメリカ軍将校の保養ホテルとなっていた。従って私と父は康楽寺の父の一室で面会をした。新聞記者が沢山いて記者会見の最中であったが、父を私はお互いの無事を確認しあった。 父は戦後まもなく白雲楼がアメリカ軍将校の保養ホテル事が決まった時、北陸鉄道の林家社長と話し合い白雲楼の経営を委託することにした。その為新たに北鉄興行株式会社を設立、新たに2500坪の洋館を増設、2年後に北鉄興行が正式に買収することにした。それと同時に大学前から石川郡内を通過し湯涌至る幅5間半の新道路を開鑿し、併せて電車軌道を施設、この軌道は湯涌から富山県城端え延長、省線と繋がる計画を父の経営する北国毎日新聞に発表した。しかしこの計画は上記の理由で中止となった。しかしこの道路計画は金澤福光線となり、プログの写真で示すように道路が近年になって出来ている。この道路の沿線には父が当初大東亜寺を建設する為買収した、医王山、キゴ山、金澤ゴルフクラブ(現在竹中工務店が経営)、を通って富山の城端町に繋がっている。昭和7年に白雲楼を建設計画の際、白雲楼の山の上には遊園地を作り、自動車が行ける道路を施設,頂上から遠く金澤から日本海を見晴らせ、山頂には野球グランド、テニスコート、ゴルフ場等を冬にはこのあたりから直ぐ横の高尾山にかけてよりどりみどりのスロープを滑ることが出来るスキー場を計画していたが、ここに康楽寺を建てることとなり、医王山付近を一体として買収した。ここに金澤から富山に通ずる新道を開鑿する計画を発表したのであった。現在はブログの写真の通り新しく道路が出来、医王山はスポーツセンターとして、キゴ山はスキー場として金澤市民に開放されている。ゴルフ場は何故か竹中工務店が経営している。金澤福光線は父が道路を買収していたわけであるから、私に官庁からなんらかの連絡があるはずであったが、白紙委任状を騙し取られ可関係で、弁谷貞造から散々嫌味を言われただけである。このブログの左上の山が医王山で、金澤ゴルフ場の左横がキゴ山スキー場である。湯涌温泉はテニスコートの右上に位置する。茶色い線が金澤ー富山県城端に繋がる道路である。城端は東本願寺の別院のある門前町で、父の考えていた康楽寺の50万坪の境内と連結し、宗教、美術、スポーツ,保健の殿堂となっていたであろう。


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