白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

竹端仁作 上戸村の長者

2007年02月01日 14時59分40秒 | 堤康次郎
私は幼い頃より上戸村の竹端家に月に二三回は訪問したものである。
竹端家は辨谷の親戚で子供がいなかったので、暇を持て余していた爺さんの話相手になっていた。この爺さんは私の出生のことを良く知っていたようで、お前の父親の力で辨谷栄は飯田郵便局長になれたのだと私に話したものである。私はこの話は初めて聞いて驚いたものである。
竹端家は地元一番の金持ちで資産家であったらしい。
生活費には現金を一切使わず、小作人等が持ってくる野菜や地元の海産物で、食材が足りていた。金持ちなのに、金を使わないで生活が出来ることを自慢にしていた。
竹薮に囲まれた広い屋敷には老夫婦二人だけであった。
玄関の横にある囲炉裏の部屋で、お湯をチンチン沸かしながらお茶を入れてもらってお茶を飲みながら爺さんの話を聞いた。
来客があった時は、隣の部屋で暫く待ってから爺さんと必ず話しをしてから帰った。
爺さんの話によると
竹端家は近江の出で、この上戸村まで歩いて辿り着き住み着いたと言ううことであった。
私は半信半疑であったが、堤康次郎との関係もこうゆうところから出来たのかもしれない。
私の父が昭和26年2月11日に亡くなって後であるが、辨谷栄、ハシから自分達が先に行っているから後で来るようにいわれた。
竹端家には子供の頃は良く行ったが、
中学3年頃よりは何故か行かなくなっていた。
私が行った時は話しが終わったころで、ハシが帰るところであった。栄は一つ奥の部屋の前で立ち話をしていた様であった。
私が竹端家に着くと直ぐハシが帰る様子であったが、玄関のタタキの前の部屋の敷居まで仁作が来て私に向っていうのである。
お前は弁や家の相続を放棄しろ、簡単な事だ、裁判所で私はなにも要らないと一言云うだけでよいのだ。簡単な事だ。
と竹端仁作は私に
力を入れて話すのである。
弁や家の相続のことで何で竹端の爺さんが私に熱心に説くのか理解に苦しんだ。
傍に弁や栄やハシが居るのに関わず
私を竹端家に呼んで何故爺さんを自ら私に話す必要があるのか。
私が藪から棒のようにいきなり言われて
驚いていると、次はハシに向って、どうせ減る者ではないのだからとハシに云うとハシは何故か真っ赤な顔になった。
此れは何を意味するのであろうか?
弁や栄が未だ生きているのになにを放棄するという云うのか、何故竹端仁作が私に言わなければならないのか、何故ハシはどうせ減るモノではないのだからと言われ真っ赤になったのか不思議であった
性的虐待






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