白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

上戸鉱山と西武・堤康次郎

2006年10月10日 07時51分21秒 | 堤康次郎
若山鉱区から上戸村まで索道を架けて、鉱石を鋼製のバケツで運搬する設備を作り、動力で索道を動かして石膏石を貯蓄して置き、桟橋から舟で沖に泊まっている輸送船まで運んで行き、そこから全国のセメント工場に輸送するのである。主として当時の小野田セメントが多かった。全国のセメント工場の過半数がこの上戸村の桟橋をとうして、運ばれていったのである。この鉱山は大宝鉱山と呼ばれ、この地区一体に鉱区を設定しており、独占的に鉱石を採取していた。一方鉱区を設定していないが、昔から石膏を採取して陸上運搬をしていた者がいた。この人は上戸一の金持ちと言われていた。この人の名を竹端仁作といい、私は小学校に入る前よりこの家に使いに行かされていた。この竹端仁作氏は高岡電燈会社の監査役であた。今は北陸電力会社であるが当時は群小会社が全国に割拠しており、高岡電燈は当時日本五大電力の一つ、日本電力の子会社であった。日本電力会社は黒部渓谷を源流とする配電会社で、関西及び東京までも送電をしていた大会社であった。当時の日本は世界列強に対抗する為、電力界においても国家管理となり、日本電力は日電証券会社となり、その後は日電興業となり持ち株会社になったのである。一方高岡電燈は北陸配電会社に統合され、配電専門となった。日本電力は日本発送電となり、日本の電力界を支配する形となった。日本電力は石川県金沢閥といわれるほで、金沢出身の人々による経営がなされていた。父桜井兵五郎もその一人であり、日本発送電が解体され北陸電力が出来る時は当然金沢市が一番の株主となっている。ところが黒部川水系は関西電力に持っていかれ、金沢市の持ち株は激減した。父の持ち株即ち財団康楽寺の株式は竹端氏に預託したあった関係上、ここに堤康次郎が登場し、その株式を関西電力に持っていったのである。 日本電力は西武鉄道の株式等過半数を所持していた関係で、堤は父の株式を横取りする為、能登の竹端の家に日参したのである. 且つ日本電力は箱根登山鉄道を創立し、小田急を創立した関係で、堤はその乗っ取りをはかるのである。また。それで私が邪魔になる為、私の脳の破壊をする道筋を竹端仁作と協議立案実行をした


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