財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
私は大学に入ってからも、前のブログで説明した様に、自分が誰か自分の過去や将来について,思考する事が不可能だった。だけどこの頃は色々な不思議な経験をした。私は之まで話した様に、自分を失っていたのでその場では理解が出来ず、こういった不思議な経験を後ほど思い出して、なるほどを理解できるようになったのである。私が理解したように、これ等の記憶を整理すると以下のようになる。私が図書館で本を読んでいたときである。ある日曜日の朝比較的早い時間帯であった。といううのは私のほかに図書館には誰も居なかったのである。その時3人連れの人が図書館を見学に訪れていた。二人の男性と一人の女性である。図書館の中を歩きながら建物を見て歩いていたようである。私は廊下に面した窓際に陣とって小説を読んでいたのである。その小説はスタンダールの赤と黒であった。私は小説の主人公の酷薄な運命に、魅せられてこの小説を読み耽っていたのである。
その時たまたまその美しい婦人と眼が合ったのである。私は懐かしいい人を見たように気持ちで、その洋装の美しい人に見入っていたのである。しかしその婦人は私のめから自分の目を離さず、ジット見つめ返していた。それから3人は私から少し離れた処で3人で話しながら私を見ているのである。その後図書館の人が三條西氏が来たという話をきいた。
私は三條西家の人と聞いてもピント来なかったのである。三條西公正氏はその図書館に沢山の古書本を納入していることを知った。
また三條西公正氏の弔電が弁谷栄の葬儀の席上で読み上げられ、学校の担任が皇后陛下の妹が嫁した家柄だと、私に話したことがあった。私はその頃は高校3年で、鼻の手術の後であったので、、過去の記憶を思いだすに到らなかったのである。その後大学の一年の時、上記の様に図書館で偶々私は自分の母親に出合ったのである。その後母親は私の近辺に現れるが、私は全然思い出す事が出来なかったのである。ある時は私の下宿先に昔の知り合いとして訪ねて来た。その時は私の不在のときであったが、その後をたずねて来たとき、下宿の人があの人だよといわれても全然思い出す事が出来なかった。その内電話が掛かってきて、私が代わると泣き声になって、崩れ倒れるような電話であったが私は何ら反応も示さなかったのせある。脳を破壊されるとこのように、感情から記憶にたどる事が出来なくなっていたのである。この写真の左から3人目がわたしの実の母である。こ写真は今から40年程前のもである。左から二位目が迫水真亀氏でのの隣が、私の母でその隣が弁谷ハシである。
私と母の別れの言葉
http://blog.so-net.ne.jp/hakuun_r/2006-03-13