
財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
七尾造機株式会社の財団化について(2) 戦後鉄道の枕木が木材よりPSコンクリート化されたのが、この能登の七尾造機株式会社の工場施設より実現したのである。この施設は昭和20年4月三菱重工に合併されたが、戦後三菱重工は三分割され東日本重工業になりその管轄下にあったが、経営が苦しくなり閉鎖の危機を迎えていた・しかし七尾造機株式会社の施設は工場財団として所有権保存が昭和19年になされており、当時よりpsコンクリートの研究がなされており、七尾造機株式会社の施設は東日本重工業に賃貸契約がされていたのである。一ヶ月一万五千円となっている。之を管理していたのは日本観光の破産申請を行なった北国銀行である。また七尾造機株式会社の社長は、日本観光の債権者である興能信用金庫の理事長であり、債券額は元本6億8千万、利息2億3百万円である。白雲楼の破産申し立てを行なった北国銀行の債権額は元本4億1千2百万、利息1億3百万円である。両方併せて元本11億、利息が3億円でる。いくら地方銀行とはいえ担保の保証も無く貸すことはないであろう。その担保の保証人とは弁谷貞造である。しかし11億もの担保を保証する資産は辨谷貞造にはない。この担保を保証するものは七尾造機株式会社の工場財団である。この資産は私の父桜井兵五郎の七尾造機工場財団であり、私が相続すべきものを弁谷貞造が私より白紙委任状をとっであるので、それを担保としたものである。日本で最初のpsコンクリートの工業化に成功したのは、父の立ち上げた七尾造機株式会社である。会社は三菱重工業、東日本重工業となり、東日本重工業と神戸の桑原用次郎の二社で日本psコンクリート株式会社が出来、現在の三菱psコンクリートと会社名が変わっているが、七尾造機株式会社は工場財団として、その工業所有権と共に賃貸されていたのである。 ブログの写真は鉄道のps枕木である。