信の信州からの贈り物

信州で単身生活 6年、その間に魅せられた信州の大自然。そして関東周辺の自然と花々を織り交ぜて発信しています。

鉢形城址を往く

2022年04月06日 | 歴史を歩く




お早うございます、信です。
大好きな清明の季節。一日一日大事に過ごしたいと思います。

昨日は少し早めの健康診断で、隣の駅の医療センターで診てもらいました。
AM 8:30受付開始で、終わったのが 9:40頃でした。

朝早くからの診断で、えらく段取り良く、次から次へと診断項目を済ませていくことが出来ました。
隣がショッピングモールでしたが、まだ開店前に終わったため、やむなく家に帰りました。

終わった後、少しウォーキングしましたが、午前中は雲が多かったものの、みるみる青空が広がって
爽やかな清明の季節らしい、清々しい午後になりました。





さて昨日の続きで寄居・鉢形城です。
日本の庶民にとっては、最悪な時代ともいえる戦国時代のお城の話です。


     鉢形城址石碑です。昨日と同じ絵でスイマセン

     
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鉢形城は、文明8年(1476)関東管領(かんとうかんれい)であった山内(やまのうち)上杉氏の家臣長尾景春(ながおかげはる)が築城したと伝えられています。
後にこの地域の豪族藤田泰邦(ふじたやすくに)に入婿した、小田原の北条氏康(ほうじょううじやす)の四男氏邦(うじくに)が整備拡充し、現在の大きさとなりました。
関東地方において有数の規模を誇る鉢形城は、北関東支配の拠点として、さらに甲斐(かい)・信濃(しなの)からの侵攻への備えとして重要な役割を担いました。
(寄居町hpより)

いかにも時代を思わせる柵


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これが鉄製の鉢形城模型です


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分かり難いので案内板です     
汚い足はお許し下さい。

搦手・笹曲輪から本曲輪への坂を登って行きます


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攻め側からすると、荒川の河岸段丘の絶壁を登って侵入ということになります。
構造上、まず無事では済みません。

案の定、私もオバサン斥候に捕まりました


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石垣の跡です 
オバサン斥候から「この辺でカタクリ群生を見なかったか」という厳しい詰問でしたが、とぼけて何とか危機を脱しました。

本丸曲輪前部(下部)です


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さらに上がって御殿曲輪に踏み込みます


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本曲輪広場です


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右手に荒川、そして寄居の街並みが見えてきます


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これを上がると御殿曲輪です


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御殿曲輪の背はすぐ荒川で断崖絶壁、対岸には玉淀河原が広がります


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御殿曲輪には東屋があって、ガイドウォークの徒士隊が案内板を研修中でした 




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御殿曲輪は、文字通りの武蔵野の雑木林


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     そのさらに奥に本丸跡の石碑

     
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田山花袋が鉢形城に来て読んだ五言絶句の漢詩碑。
「襟帯山河好 雄視関八州 古城跡空在 一水尚東流」
意味は「素晴らしい山や川、関八州を見渡せる場所、古城の跡は何故か空しく、一水(荒川)はなおも東に流れる」というような意味だそうです。
ちなみにこの碑の筆は武者小路実篤だそうです。
(「中間平に行こう」さんのhpから抜粋)影になって読めませんね。


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ここで90°右に曲がって遡る荒川


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本曲輪前の辛夷


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町道を挟んで氏邦桜


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実に美しい江戸彼岸桜でした(因みに樹齢は150年ほどとのこと)


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そのまま段丘を下って


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深沢川です


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荒川と挟んで天然の要害となっています。
今はこの先に歴史博物館があります。


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本曲輪に戻ります


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広い本曲輪から


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二の曲輪へ


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振り向くと氏邦桜


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二の曲輪の城山稲荷神社です


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お狐さま 



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神社の裏を廻ると


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馬出(うまだし)です


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良く考えられた陣取りです


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馬出の説明です 

三の曲輪に大きな井戸


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改めて全体図 

改めて望む北側・寄居宿の街並み


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三の曲輪の東屋です


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庭園と石垣の説明です 

この石垣の前(秩父曲輪)でアサヒ・エムエフ黒で城主・氏邦殿と乾杯(のつもり)
ゆっくりお握りを頬張りました


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天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際には、後北条氏の重要な支城として、前田利家・上杉景勝等の北国軍に包囲され、攻防戦を展開しました。
1ヶ月余りにおよぶ籠城(ろうじょう)の後に、北条氏邦は6月14日に至り、城兵の助命を条件に開城しました。
開城後は、徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の成瀬正一(なるせまさかず)・日下部定好(くさかべさだよし)が代官となり、この地を統治しました。

それでもこの地の人々は桜を植え「氏邦桜」と命名し、古の殿様を慕ったようです。


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実に守りの固い、攻めにくい城だと思いました


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門跡を潜ります


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曲輪を出た右手に、諏訪神社がありました


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長くなりましたが、ご紹介出来たのは一部となりました。
この他にも、現在も八高線の傍で寄居町役場スタッフによる調査・発掘作業が行われています。

一見の価値がある城址公園で、歴史博物館も深沢川の先に建っています。
氏邦桜と戦国ロマンを味わう城址巡り。
長閑な緑豊かな場所で、ほら貝の音が微かに聞こえてきそうな感じがしました。


 撮影日: 3月30日
 撮影場所:寄居町鉢形 鉢形城址


それでは皆様、ご機嫌よう。







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