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風林火山紀行(甲斐路編14)・・・武田家終焉 逃避行④

2010年08月11日 19時53分16秒 | 旅行
裂石山雲峰寺 このお寺も勝頼の逃避行に関っているお寺だ。
このお寺は745年、日本の歴史上初めて朝廷から大僧正の位を送られた
僧行基(668~749年)が開山した歴史のあるお寺だ。

甲斐源氏による武運長久の祈願寺として深く崇敬され、武田家に保護されてきた。

場所は甲州市上萩原2678

かなり標高が高いところにある。
駐車場から山門へと続く参道の階段があり、たくさんの石仏が出迎えてくれる。
実に和やかな表情をした石仏が多くあり、落ち着いた雰囲気のあるお寺だ。
(山門に続く参道と石仏)






山門をくぐると本堂が見えた。
(本堂)


(天然記念物の桜が本堂前にあり、その高さに驚く)


桜の咲く時期なら本当に凄そうだ。

さて、このお寺には、有名な武田家のシンボルである武田の軍旗「孫子の旗」(風林火山)、
「諏訪神号旗」、「馬印旗」、そして後令泉天皇から清和源氏源頼義へ下賜
された日本最古の「日の丸の御旗」が宝物館(拝観料300円)保存されている。

武田ファンにとっては本物の旗の為、見るだけで熱くなれる。
「孫子の旗」「諏訪神号旗」は恵林寺でも1本見たが、このお寺にも長さが違うものなど複数本あることを今回知った。

確かに旗はスペアなど複数あって当然であるが、良くぞここまで保存されてきたものだと
敬意を感じた。
もともと恵林寺の旗も、この寺から出た物とお寺の方が話して下さった。

それにしても実に格好いい旗だ。謙信の「毘」もいいが、孫子の旗も実にいい。
(孫子の旗・諏訪神号旗)





(日の丸の御旗)
この旗の一部は、先の戦時中、守り神とするせいか一部切り取られたらしく、
真ん丸ではない。

因みにもう一つの武田家のシンボルであり、重宝の楯無鎧は、勝頼家臣の
田辺左衛門尉により向嶽寺の杉下に埋められたが、その後、徳川家康により
甲州市塩山上於曽にある菅田天神社宝殿に納められたそうだ。
こちらは残念ながら一般公開していない。

1582年には武田勝頼は田野において自刃が迫っていた。その折、家臣たちが再興を
期して、武田家の重宝を密かに雲峰寺や向嶽寺に運び納めたそうだ。
勝頼の、そして武田家家臣の死してもなお、お家再興を願う強い気持ちが伝わってくる。
勝頼はこの重宝と別れるとき、さぞ無念な想いであった事であろう。

この孫子の旗、400年以上経った今でも武田家復興を願う勝頼たちの強い想いが、
伝わってくる旗だ。