織田が高遠城を落とし、信廉の大島城などを落とすと信濃はたちまち制圧され、
もはや武田には抵抗する力はなく、怒涛の軍勢が甲斐に押し寄せてきた。
勝頼は、日に日に家臣の裏切りや織田徳川の攻勢が強まる中で、厳しい状況を覚悟したのか、信玄の代まで居住としていた躑躅ヶ崎館を離れ、現在の韮崎市の七里ケ岩台地に1581年新府城を築城した。
この築城の任にあたったのが、関が原で大活躍した真田昌幸である。
昌幸が築城した上田城は、関ヶ原時徳川秀忠の大軍を打ち破った名城。
その昌幸が築城したとあらばかなりの要害堅固の名城だろう。
残念ながらこの新府城に居を移して68日あまりで、勝頼はこの城に火を放つ。
織田が攻めてきたからだ。
ここで迎え撃つつもりだったのに、家臣団が崩壊し、もはや守る兵もまともにいなかった。
名城なのに、まともに使われずに終わってしまった。
勝頼、昌幸さぞかし無念であったことだろう。
まさに戦艦大和のような悲劇の城だ。
そのせいか、悲しい雰囲気が今も残っている。
(道路から見た新府城)
(急な階段じゃ。頂上まで249段。運動不足を痛感)
(階段を上りきると新府藤武神社がある。勝頼公を祀っているそうだ)
この神社、地元の方には「おしんぷさん」と呼ばれ親しまれているそうだ。
毎年4月20日近くにお祭りが行われ、神輿がこの階段を駆け上がるそうだ。
この階段を神輿とは凄い迫力だろうな。
(新府城MAP)
(本丸跡)
思ってたより、かなり広い。
(本丸跡地には勝頼をはじめ、長篠の合戦で討ち死にした家臣を祀っている。もちろんここに埋葬されているわけではない)
(二の丸跡)
(新府城からみえる景色 実にのどかな光景が広がる)
勝頼や昌幸はこの景色を見ながら何を思ったのだろうか?
感想だが、もう少し県・市がこの文化財を整備して欲しいと思う。
勿論厳しい財政だからだろうが、高遠城とくらべ、あまりに整備がされていない。
もっと説明の表札とか、歩道など観光客をはじめ多くの人に見てもらえるようにして欲しい。それだけの遺構は残っている。
災害・人災などで破壊されないうちに整備して欲しい。
それにしても山梨県民にとっても武田ファンにとっても暗くなる悲劇の城だ。
しかし、地元の方には勝頼公は現在に至るまで代々慕われてきた。この点で見ても凡将ではないと思う。
見たことはないが、4月の神社のお祭りだけでなく、10月にも勝頼公が新府城に居を移した時を再現した「新府城入場祭り」が毎年行われている。
今度見て見たい
考えても仕方ない事だが、この城で、戦は信玄以上に強かったと言われる勝頼に、十分な兵でもって、織田の大軍を迎え撃つ篭城戦をさせてあげたかったと思う
もはや武田には抵抗する力はなく、怒涛の軍勢が甲斐に押し寄せてきた。
勝頼は、日に日に家臣の裏切りや織田徳川の攻勢が強まる中で、厳しい状況を覚悟したのか、信玄の代まで居住としていた躑躅ヶ崎館を離れ、現在の韮崎市の七里ケ岩台地に1581年新府城を築城した。
この築城の任にあたったのが、関が原で大活躍した真田昌幸である。
昌幸が築城した上田城は、関ヶ原時徳川秀忠の大軍を打ち破った名城。
その昌幸が築城したとあらばかなりの要害堅固の名城だろう。
残念ながらこの新府城に居を移して68日あまりで、勝頼はこの城に火を放つ。
織田が攻めてきたからだ。
ここで迎え撃つつもりだったのに、家臣団が崩壊し、もはや守る兵もまともにいなかった。
名城なのに、まともに使われずに終わってしまった。
勝頼、昌幸さぞかし無念であったことだろう。
まさに戦艦大和のような悲劇の城だ。
そのせいか、悲しい雰囲気が今も残っている。
(道路から見た新府城)
(急な階段じゃ。頂上まで249段。運動不足を痛感)
(階段を上りきると新府藤武神社がある。勝頼公を祀っているそうだ)
この神社、地元の方には「おしんぷさん」と呼ばれ親しまれているそうだ。
毎年4月20日近くにお祭りが行われ、神輿がこの階段を駆け上がるそうだ。
この階段を神輿とは凄い迫力だろうな。
(新府城MAP)
(本丸跡)
思ってたより、かなり広い。
(本丸跡地には勝頼をはじめ、長篠の合戦で討ち死にした家臣を祀っている。もちろんここに埋葬されているわけではない)
(二の丸跡)
(新府城からみえる景色 実にのどかな光景が広がる)
勝頼や昌幸はこの景色を見ながら何を思ったのだろうか?
感想だが、もう少し県・市がこの文化財を整備して欲しいと思う。
勿論厳しい財政だからだろうが、高遠城とくらべ、あまりに整備がされていない。
もっと説明の表札とか、歩道など観光客をはじめ多くの人に見てもらえるようにして欲しい。それだけの遺構は残っている。
災害・人災などで破壊されないうちに整備して欲しい。
それにしても山梨県民にとっても武田ファンにとっても暗くなる悲劇の城だ。
しかし、地元の方には勝頼公は現在に至るまで代々慕われてきた。この点で見ても凡将ではないと思う。
見たことはないが、4月の神社のお祭りだけでなく、10月にも勝頼公が新府城に居を移した時を再現した「新府城入場祭り」が毎年行われている。
今度見て見たい
考えても仕方ない事だが、この城で、戦は信玄以上に強かったと言われる勝頼に、十分な兵でもって、織田の大軍を迎え撃つ篭城戦をさせてあげたかったと思う