夢の続き・・・

法政大学ラグビー部・旅行・犬・自然を
こよなく愛し、ささやくブログ

関東撃破!!

2010年05月31日 17時13分02秒 | ラグビー
5月30日、春の大学ラグビーオープン戦 法政大関東学院大が、
関東学院大学釜利谷グラウンドで行われた。
A、Bの2試合が組まれた。
リーグ戦 伝統の一戦じゃ
オープン戦とはいえ、応援に行けなかったのが残念でならない
試合内容は、いずれも白熱した試合で、2試合とも法政の逆転勝利だったようだ
オープン戦の段階でA・B両チームが関東を撃破したのは記憶にないな。まずはめでたい
結果は以下のとおり

(法政大B)
スタメン
1水本(東福岡)
2武田(仙台育英)
3浅岡(西陵)
4後藤(秋田工)
5吉岡成(報徳)
6川上(日大藤沢)
7立石(法政二)
8堀(天理)
9新本(崇徳)
10中山(日川)
11松原(報徳)
12森谷(正智深谷)
13川原田(東福岡)
14宮田直(法政二)
15油嶋(桐蔭)

(結果)
   法政B   関東学院B
前半  7       5
後半  20       20
計  27       25

トライ 前半  堀(G川原田)
    後半  田中、松浦、浅岡、田中

法政B勝利

1,2年生が多いFWが良く頑張ったようだ。
また、Aにいた田中君がBに落ちて奮起したのか後半だけで2トライはさすが。
中山君とともに早く上がってきてほしい。
それにしても、先日より心配しているが、Bでもキッカーが悩みだな。
川原田君が1本決めているが、あとは全て外したようだ
勿論トライした場所にもよるが、結果だけ見れば厳しい。
Gが決められていれば、もっと楽になっていよう。

(法政大A)
スタメン
1 PR 高橋(國學院久我山)
2 HO 草間(東京)
3 PR 荻原(日川)
4 LO 上瀧(東福岡)
5 LO 栗林(東京)
6 FL 光安(東福岡)
7 FL 宮田(伏見工業)
8 No8 吉岡(法政高)
9 SH 本村(大分舞鶴)
10 SO 玉村(東京)
11 WTB 竹下(東福岡)
12 CTB 原島 知行 桐蔭学園高等学校
13 CTB 岡本(御所実)
14 WTB 井上(東福岡)
15 FB 渡辺(西陵)
16 RES 山本(東福岡)
17 RES 高城(盛岡工)
18 RES 加藤(東福岡)


(結果)
   法政A   関東学院A
前半  12       15
後半  26       22
計  38       37

トライ 前半 井上、竹下(岡本G)    
後半 草間(岡本G)、草間(岡本G)、山本、加藤(加藤G)

法政A勝利
さすが関東学院 簡単には勝たせてくれなかった。
ロスタイムでの逆転だから、関東は今年も強い。

それにしても、法政はモールトライが2つあったようだ。
明治戦や立正戦ではあまり機能できなかったが、修正しているようだ。
東海戦での壊れた自信を少しずつ取り戻すにはこうしたモールトライもいい薬になるだろう。
また、キッカーは今回小生期待の岡本君がやったようだ。6本中4本の成功であればまずまずだろう(まあトライした場所にもよろうが
何故、明治戦蹴らなかったのかな????

しかし、一番の見せ場はやはりSO加藤君だろう。
決して贔屓目ではなく、やはり彼は何かを持っている気がする。
今日のサンスポに載っていたが、「ボールを動かすことを意識して個人技は抑えていたが、最後だけ自分で勝負した」という事もあっぱれじゃ
また、トライをあげても、さも当然と言った感じだったようなので、実に頼もしい
これで息の合ったSHの中村君が怪我から復帰すれば、法政のHB団は更に層が厚くなる。

主将が戻れば士気も上がろう

今回、法政もいない選手や試した選手もいるように、関東学院も同じで、多く選手をつかったようだ。
よって、この結果を鵜呑みには出来ないが、今の法政には勝利こそ一番の薬だから良しとしよう

頑張れ 法政

春のオープン戦 法政大学 vs 関東学院大学

2010年05月30日 08時31分36秒 | ラグビー
今日、 リーグ戦の長年のライバル関東学院とのオープン戦が行われる。
所用のため応援に行けないのが残念でならない
関東学院は、大麻事件の影響で一時の勢いはないものの、
毎年良いチームを作ってくる。
昨年も法政有利だと言われていた秋のリーグ戦で、関東学院にまさかの敗戦。
今年も強敵であることに間違いない。
だからオープン戦とはいえ、いい試合をして欲しい

さて法政ラグビー部HPで今日のスタメンが発表された。

春オープン戦
法政A
1 PR 高橋(國學院久我山)
2 HO 草間(東京)
3 PR 荻原(日川)
4 LO 上瀧(東福岡)
5 LO 栗林(東京)
6 FL 光安(東福岡)
7 FL 宮田(伏見工業)
8 No8 吉岡(法政高)
9 SH 本村(大分舞鶴)
10 SO 玉村(東京)
11 WTB 竹下(東福岡)
12 CTB 原島 知行 桐蔭学園高等学校
13 CTB 岡本(御所実)
14 WTB 井上(東福岡)
15 FB 渡辺(西陵)
16 RES 山本(東福岡)
17 RES 高城(盛岡工)
18 RES 加藤(東福岡)

SHは本村君がBから上がってきたな。
1年では、SO加藤君だけがAに入ったな。後半には出てくるだろう。
今日は明治戦で完敗したFWの建て直しに注目したい。

また、関東学院B戦スタメンは以下のとおり。
法政 B
1水本(東福岡)
2武田(仙台育英)
3浅岡(西陵)
4後藤(秋田工)
5吉岡成(報徳)
6川上(日大藤沢)
7立石(法政二)
8堀(天理)
9新本(崇徳)
10中山(日川)
11松原(報徳)
12森谷(正智深谷)
13川原田(東福岡)
14宮田直(法政二)
15油嶋(桐蔭)

1列が1年2人に、2年1人と若い1列だ。
水本君は、東福岡優勝メンバーだ。
ただ、PRは層の厚さがそこそこあるから、上のチームでの出場はまだ先と思っていたが、
Bスタメンまで来たな(先日AでもRe入り)
ライバルが多いが彼にも期待したい。
そういえば大型新人のPR石澤君(東京)の怪我の状態が気になる。
間違いなく怪我が治れば水本君のライバルになるはずだ。
法政FWを背負っていける人材だけに切磋琢磨して法政FWを強くして欲しい。
あとWTB松原君は立正戦での爆発を見たが、強敵関東戦でどこまで通用するか?
こちらも注目だ。
Aに上がれるためにも壁を越える事を願う。頑張れ!!

とにかく法政全体で怪我人が多いのが、気になるが、6月には山森主将が怪我から復帰するらしい。精神的な柱だけにこれからが上げ潮だ
頑張れ法政

今年初めて蛍を撮った

2010年05月29日 12時13分12秒 | 犬・自然
先日、数匹のを確認したものの、
に収めるには場所的にあまりに厳しくて、撮影できなかった。
昨晩(5月28日)、あれからどのくらい増えただろうか?という思いにかられ、
出掛けてみた。
このところ大雨や朝晩の冷え込みなどがあったから、あまり増えていないかも??
とも思いつつ足を運んだでみた。
当然ゆう坊もついてきた。
(昨晩のゆう坊:とっても元気)

場所についてみると、10匹ほど確認できた。
今回は、に収めやすい所で光っていたので、
今年初めて撮影することが出来た

(蛍の光:カメラの性能が良くないので蛍の光を撮影するって難しい・・・

実は緑っぽく光ってるのが蛍の光。2匹いる


(なんとも優しい光だ)



(草むらの蛍)


(河辺の蛍:下は川が流れている)

僅か1cm程の小さな命。
だが、今年も命をつないで、見ることが出来た。
来年にしっかりつなげて欲しいね

因みにこのは、「平家蛍」で、この地で見れるホタルの
殆どが「平家蛍」である。昔は「源氏蛍」もかなり見れたが激減し、今では
かなり少なく見つけるのが大変なくらいとなった。
源氏蛍を見つけたらまたUPしたいと思う。




風林火山紀行(信濃路編6)・・・八幡原古戦場・典厩寺【川中島決戦③】

2010年05月28日 13時57分19秒 | 旅行
4月24日 八幡原古戦場の近くで、川中島の大激戦にかかわりのある典厩寺というお寺を訪ねた。
場所は、長野市篠ノ井杵淵1000番地
ここは武田信玄が弟、武田典厩信繁(1525年生-1561年10月18日没)が眠るお寺だ。
小生が最も歴史上尊敬する人物の一人である。
(典厩寺)


(武田信繁)




(武田信繁馬印)



信繁は、武田信虎と大井夫人の間に生まれ、信玄とは同母弟である。幼少期から文武に秀で、父信虎に寵愛された。信虎は嫡男である晴信(後の信玄)を廃して信繁に家督を譲ろうとしていたと言われている。
しかし信繁は、身をわきまえ、兄晴信を立てた。そして信虎追放後は、兄に
忠義を尽くし、軍事・政治で活躍し、信望厚く、武田の副大将として
信玄を大いに補佐した。

後に、江戸幕府の治世の上で、武士の鏡として扱われたのがこの信繁だ。
儒学者である室鳩巣は「天文、永禄の間に至って賢と称すべき人あり。甲州武田信玄公の弟、古典厩信繁公なり」と賞賛している(『駿台雑話』)

また、豊臣秀吉の弟の、賢弟秀長は、この信繁を手本に兄に使えたという。

更には、戦国最後の華、大阪夏冬の陣で活躍した真田幸村の名は、真田信繁といい、
幸村の父昌幸が尊敬した武田信繁より、優れた弟になってほしいとの願いから名前をもらってつけたと言われる程の名将だ。


信繁は、第4回の川中島の大激戦において、武田の前備えとして、信玄本陣を守備していた。
啄木鳥戦法が読まれ、突然上杉軍13000が現れ、武田本陣を急襲。武田軍大混乱となり、
大ピンチとなっていた。
武田本体の想いは、「妻女山に向かった別働隊が戻るまでなんとか持ち堪える。」「別働隊が戻った時が反撃の時であり、勝利の時だ」という感じだっただろう。
上杉軍は車懸の陣で次々と、信繁隊に襲い掛かる。
信繁は、この大ピンチに、勇猛果敢に立ち向かい、武田の陣形が総崩れとならないよう、必死に支え続けた。
信玄も弟信繁が気がかりで援軍を送ろうとするも、「援軍無用、策構すべし」といって、自分が捨て駒となって持ち堪えている間、建て直す策を考えてくれといって拒否。
家臣の一人に母衣と自らの髪の毛を託し嫡子・信豊に届けたとされ、自らが捨石となる覚悟を決め、壮絶な討ち死にを遂げる。
なんと泣ける話じゃ

典厩寺には、この悲劇の武将武田信繁の遺品やお墓などがある。
典厩寺は、当初鶴巣寺と号するお寺だった。
信繁の本陣となり、この付近で討死したことから、信玄は遺骸をこの寺に埋葬したという。
合戦から60年後の1621年に松代藩主(海津城主)の真田信之が武田典厩の名をとって寺号を典厩寺と改め、信繁の菩提と武田・上杉両軍の戦死者を弔った。
典厩寺に入ると、左手に閻魔堂がある。中にある閻魔大王像は日本一の大きいのだそうだ。
実に迫力がある。
(閻魔大王像)


更に奥に進むと「本堂」と左手に「首清め井戸」の井戸がある。

(本堂)



(首清め井戸)


信繁討ち死に後、信繁は上杉軍に首をとられるも、部下が取り戻し、ここの井戸で洗い清めたという。何にせよ、首が戻ってよかった
信玄は、この首を見て号泣したという。
そして井戸の傍に面白い石があったので、載せておく。
(ボケ防止の石:将来に備えていっぱい触っておいた)


山門を入って右手には宝物館があり、信繁の遺品が展示されている。
(信繁の兜)



(信繁の槍)



(信繁愛用鉄扇)



(信繁愛用馬具)



さらに山門より正面奥に信繁の墓がある

(武田信繁の墓)


武田の副大将ここに眠る。
武田軍は、強敵上杉軍を退け、この地を防衛する。
しかし、この地を得た代わりに、信繁を失ったことは、痛恨の極みであったろう。
仲の良い弟。最も信頼でき、頼りにもしていた弟。
この弟を失った大きさは、後の武田家の将来を考えると、川中島の地よりも遥かに大きい気がする
快川紹喜曰く「典厩公の戦死は、惜しみても尚惜しむべし。蒼天」と言っている。
信繁の人徳含め、存在の大きさを示した言葉だと思う。

享年37歳。あまりに短すぎる生涯。信玄の補佐のため目立たないが、信玄にならぶ才能を持っていたからこそ、信虎追放後の信玄の快進撃があったのだと思う。
改めて、時代を超えても素晴らしい武将だと敬意を感じる

2010年05月25日 17時19分32秒 | 犬・自然
先日、初蛍を1匹だが確認した。
あれから、4日ほど経とうか..。
山梨は、23日、24日と大雨(九州の被害地域には遠く及ばないが)だったが、蛍にとっては大雨などお構いなしか?
今夜は5匹くらい確認できた。
勿論ゆう坊も探していた。
(今夜のゆう坊)

今夜は風が強く、必死に草につかまってる感じ。
雨に、風に、小さな命ながら、実に力強さを感じる。

これから、1ヶ月近くは、蛍の恋の光で楽しめそうだ。
去年よりも増えていることを願うばかりだ。
そして来年へとつなげてほしい