常磐線鉄橋の下の取手側の利根川河岸に,サクラソウの小さな群生地がある。もともとは人が移植したものらしい。今日カミさんがピクニックに行って,この写真を撮ってきた。一時ここの群落もかなり衰退していたが,だいぶ回復して田島ヶ原よりも立派なパッチを形成している。多分手を入れているのだろう。特別天然記念物ではないので,それが可能である。
筑波実験植物園で開催されているサクラソウ品種展に行ってきた。例年より寂しかったが,100を超える品種が展示されていた。
自生のサクラソウは各地で減少し,まさに絶滅危惧種だが,改良品種は民間の同好会や大学で保存されている。サクラソウの品種改良は江戸後期に始まるとされ,江戸文化の伝承である。形色とも大きな変異が目を楽しませてくれる。
大和では草も櫻をつけるなり 一茶
コカリナレッスン
コカリナのレッスン日だった。課題曲は,ビバルディの四季から『冬』,黒いオルフェの主題曲『オルフェの歌』の2曲。心密かに合格を期していたが,あえなく落第。これで4回目だ。欠点を先生に指摘されると納得する。上達の楽しみが続くと前向き志向で行こう。
絹莢エンドウ
阿見町にて4月18日撮影
絹莢エンドウが花を着けた。今月中には収穫を始められるだろう。
皐月賞
テレビの画面を撮影
13番がいなければ完勝だったのに!残念!天皇賞でリベンジだ!
咲き分け
阿見町にて4月18日撮影
散歩の途次で見かけたツツジの咲き分け。一本の木に紅白の花が付くので,源平咲きともいう。トランスポゾンという染色体上を動きまわる遺伝子が,色素をつかさどる遺伝子にくっついたり離れたりして,色の発現を変更するらしい。赤の濃淡は抑えられる遺伝子の数によるのだろう。
昨日のブログでアルパにちょっと触れたので,ルシア塩満さんのことを書きたくなった。彼女の詳しい経歴その他は公式ホームページがあるのでそちらにゆすり,ここではこの日本を代表する国際的なアルパ奏者とのお付き合いを中心に記すことにする。
1982年に一回目のパラグアイでの仕事から帰ってきた最初の高校同期会で,A・Y君から日本にルシア塩満というアルパ奏者がいることを紹介された。後で知ったことだが,A君はラテン音楽,特にフォルクローレに該博な知識を持ち,ルシアも彼にその才能を見出されて世に出たとのことだった。
A君に誘われるままに,新宿西口にあったエル・パティオというライブスペースで初めてルシアの演奏を聴いた。その素晴らしさに魅了されてフアンになり,彼女の出演日にはエル・パティオに通った。エル・パティオはフォルクローレ専門の店で,日本語で中庭を意味する店名の通りの内装で,ルシア以外にもいろいろなミュージシャンの演奏を楽しんだが,残念ながら10年以上前に閉鎖された。
数多く聴いたルシアの演奏で,特に思い出に残っているのは,パラグアイの日本人移住地でのものである。ルシアはご両親がパラグアイ移住者で,彼女が小学生の時に帰国し,その後日本とパラグアイで研鑽を積んでアルピスタになったとのことであり,ほぼ毎年里帰りして演奏活動をしていた。たまたま私がパラグアイ滞在中の2001年に,ピラポという日本人移住地で演奏会が開かれ,わたしもそれに参加した。
窓を開け放した木造の粗末な造りの公会堂で,虫の声が聞こえそうな夜の静寂の中で行われた演奏は,アルパの響きがまわりに吸い込まれるようで,感動的だった。わたしはアンコールに日本の曲『川の流れのように』をお願いした。演奏が終わった後,ふと気がついたら,聴衆の移住者の方々が涙を流されていた。
ルシアは活発な演奏活動を続けている。昨年は演奏活動45周年のCDを出し,5月には第30回のアコースティックコンサートを開催しようとしている。YouTubeにもたくさんの演奏がアップされている。
A・Y君は2004年に亡くなった。一緒に45周年の演奏が聴きたかった。
ルシア塩満さん。2001年8月パラグアイ,ピラポにて撮影。
日米首脳会談
ヨシvs.ジョーの日米首脳会談が行われた。共同発表の内容はほぼ予想された通りだった。いずれにせよ1960年に締結された日米安保条約の帰結である。バイデンはトランプよりも中国に対して強硬のように感じる。憲法9条の持つ重みが大きくなっている。
スペイン語の教材で,スペイン及びラテンアメリカのグルメが扱われていて,アルゼンチン・ウルグアイ・パラグアイの代表的な料理に,アサド(Asado)が挙げられている。もともとはガウチョ(牧童)から発していて,パラグアイでは屋外のパーティーには欠かせない,豪快な料理である。
大きな牛肉の塊を棒杭で串刺しにし,炭火で焼き上げる。焼いている間,箒のような刷毛で,塩を溶かしたレモン水を肉の表面に塗る。焼き上がったら,めいめい好きなところをナイフで切り取って食べる。
村祭りではアルパ(パラグアイハープ)が奏でるポルカのリズムに乗って,乙女が踊る。
(写真はいずれも2002年に,パラグアイ,カピタンミランダにて撮影。)
さいたま市の荒川河川敷にある,田島ヶ原サクラソウ公園に行ってきた。片道70キロ,久しぶりの長距離ドライブだった,
この公園には全国で唯一の,特別天然記念物のサクラソウ自生地があり,約4ヘクタールの草原が保護されている。自生地草原全体が特別天然記念物として指定されているため,草原を維持するのに必要な最小限の1月に行われる火入れ(野焼き)以外は人為的な加工は行われない。外来種の除去はその例外である。
わたしは35年ほど前に約5年間,当時の浦和市の依頼でサクラソウ自生地の調査を行った。仕事としてはサクラソウのライフサイクルの記述と,受粉・種子生産の調査だった。仕事が終わった後も,ほぼ毎年この地を訪れていたが,しばらく中断していて,3年ぶりの訪問だった。
新聞などで報道されていたが,サクラソウ集団の衰退は著しく,ノウルシのようなニッチを同じにするほかの種に押されて,気息奄々の状態である。わたしが調査に行っていた当時からこのことは危惧され,ノウルシの除去などが提案されていたが,上に述べた事情で草原に人為的な改変を加えることがためらわれ,依然として手をこまねいている状態らしい。もうひとつ当時わたしが指摘したのは,訪花昆虫が極めて少なく種子生産が貧弱だということである。サクラソウは地下茎で繁殖するが,クローンの更新には種子からの発芽個体が必要である。この点もまだ解決はしていないようだ。
さいたま市ももちろん危機感を抱き,専門家を交えた対策委員会を発足させるようで,その成果に期待したい。競合種の抑制のような人為的な干渉を行うか,このまま放置してサクラソウの推移を見守るか,岐路に立っている。
田島ヶ原草原の保護区。
ほかの種に押されて気息奄々のサクラソウ。
10年くらい前から現れた白色花の株。残っていた。
この公園では,珍しくカントウタンポポが自生している。
政府が福島第一原発からの処理水を海洋放出する方針を決定したという。なんとも苛立たしい気分である。
そんな方針には反対だといって,知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいい問題ではない。原発を廃炉にしてその場所をきれいな状態にすることが絶対的に必要ならば,処理水の処分は避けて通れない問題である。孫子の代にまで及び,またかつて原発からの電気を利用してきた立場からすれば,多少なりとも責任がないとは言えない。
今自分にはっきり言えることは,処理水に含まれるトリチウムは,決して安全なものではないということである。DNAに取り込まれれば,修復不能の障害を残す可能性がある毒物である。これを数十年にわたって海に放出し続ける。また,処理水は原発の敷地外に出することが難しく,福島の海に流されることになるという。漁民の皆さんが怒るのは当然であろう。
わたし自身反省していることだが,今回の政府の方針の発表があるまで,本気でこの問題を考えようとしなかった。また,方針に反対する野党の主張にも付焼刃的なところがあるようにみられる。ただ時間を置けばいいという問題ではないが,今回の方針はあくまで提案として扱い,反対論,別方針案を含めて公開の討論に付すことにすれば,多少いらだちもおさまるのだが。現在貯蔵されている処理水だけでも放出に30年を要するという。何世代にもわたる問題である。開始を2年後とせず,方針決定を2年後としても,決して遅すぎるとは言えないのではないだろうか。
松山英樹選手がマスターズで優勝した。日本人では初めてとのこと,わたしにはその価値が分からないが,これだけ大きなニュースとして扱われているのだから,やはり大したことなのだろう。池に球を打ち込んだアクシデントにも耐えた精神力はすごいと思う。
わたしはゴルフとは,グリーンに一回出ただけで,以来無縁の生活を送ってきた。50年以上前になるが,ゴールデンウイークで帰郷した折,義兄と義弟からゴルフに誘われた。一組三人以上でないと予約ができないので,道具から何から全部用意するので,数合わせに入ってくれとのことだった。一度くらいやってみるのも面白いかと考え,承諾した。ゴルフの球を打つのは初めてだった。野球やソフトボールではそこそこの打率だったので,走ってくる球にバットを当てられるのだから,止まっている球は訳ないだろうとクラブを思い切り振ったところ,手応えがなくボールはそのまま鎮座していた。2回目も同様,3回目にやっと球に当たったが,転がって10メートルほどのところで止まっていた。振り返ると順番待ちの人が列を作って待っているのが目に入って,顔から火が出た。
当日のキャディーは専修大学のゴルフ部主将の人で,わたしに5番アイアンを渡して,「これでチョンチョン刻んでいってください。」とアドバイスしてくれた。仰せの通り,チョンと打っては球の後を追いかけ,池の周りもチョンチョンと刻んで,ようやく最終ホールで待っている二人のところにたどり着いた。
これがトラウマとなって,ゴルフはしないことにしている。
Bingよりダウンロード
コカリナ愛好会Love Peaceの例会に行ってきた。
この会へは10年ほど前に高校同期生のT・K君の紹介で参加し,はじめはパーカッションで伴奏をしていたが,今はコカリナを吹いている。多い時には8名くらいのメンバーがいたが,健康や家庭の事情から止める人が出て,現在は5名になってしまった。若い新人の加入がないため,メンバーはわたしを最高齢として全員後期高齢者である。
リーダーのK・Mさんはギタリストで,真木ひろしのペンネームで編曲もされている。Love Peaceの演奏はほとんどKさんの編曲によるものである。演歌,ポップス,クラシックといいろいろなジャンルの曲を提供してくださる。なかなか難しい編曲が多いが,うまく行った時は素晴らしいアンサンブルになる。
私以外の3人のコカリナ担当はいずれも実力者で,間違えるのはたいてい私一人である。それでも誰にもとがめられることがなく,冷や汗をかきながらも一生懸命やる気分にしてもらえる。
今日は,『葦のうた』(オリジナル曲),『百万本のバラ』,『蘇州夜曲』,『Memory』の4曲,重い宿題を背負って帰ってきた。しかし,楽しかった。
コカリナ。右からCバス,Gバス,バリトン,ソプラノ。単管で下のシから上のレまで出すことができる。ソプラノとバリトンでは,さらに高低の音が出せるよう,別な管をくっつけて演奏する。
興味のある方は下記URLに,わたしたちの演奏がアップされているので,お聴きください。2015年に,取手市にあるWoodstockというライブスペースでのセッションに参加した時のもので,オーナーが録画し,YouTubeに載せてくれました。まだ残っているようです。