古賀康正 『むらの小さな精米所が救うアジア・アフリカの米づくり』農山漁村文化協会 2021年
この長い題名が,この本の結論である。
著者の古賀さんはわたしの大学一級上で,在学中からその存在感から,よく存じ上げていた。1991年に,インドネシアにチョウジの調査でおもむいた時,古賀さんはJICAの専門家としてボゴールに滞在しておられて,大変お世話になった。
古賀さんは米のポストハーベストがご専門で,国際的な技術協力に従事され,最後は岩手大学農学部の教授をつとめられた。その自叙伝『遊びをせんとや生まれけむ』(徳間書店)にあるように,豪放磊落なお人柄であるが,この本は意外に(失礼)緻密な論考で貫かれている。
著者は先ず,日本における米の流通が玄米の形で行われることの特殊性を指摘する。日本で栽培されるイネの短粒種は籾殻が取れやすく,糠層を傷つけずに玄米にすることができるため,長期の貯蔵に耐えて流通できる。しかし,長粒種のイネは,籾殻のかみ合わせが強く,籾摺りによって糠層が傷つけられ,そこから発酵が始まるため玄米による流通は不可能で,籾流通が行われることになる。
籾殻によって覆われた米は直接的な品質検定ができない。籾買い取り業者は様々な理屈をつけて,零細農家からの買値を押さえつける。農家は自家飯米を臼などの手作業によって精米するので,劣悪な白米になってしまう。籾の売渡ではいくら努力しても買いたたかれるので,米の品質向上はおろか生産意欲すら失うことになる。
しかし,何らかのきっかけで小さな精米所が農村に設置され,安い搗き賃で白米が得られると,農民はそれを利用し,おいしい米を食べ,市場で白米を売って収入を増やすことができる。精米所は設備投資にそれほどかからないので,次々と農村に設置され,お互いに競合して技術改良がなされ,搗き賃も安く抑えられる。かくして農民は米の生産と品質向上意欲が刺激され,米の増産をもたらすことになる。
米の大輸出国のタイでは,早くから農村精米所の設置が行われ,輸出米の品質評価を高めた。インドネシアはスハルト政権になってから精米所の設置が自由化され,米の生産量が増大した。アフリカではケニアでやはり農村精米所が増加し,米の生産量が向上しているという。
一方軍事政権下のミャンマーでは,供出米として農家からの籾の徴収が行われていたため,品質は低下し,タイと競っていた米の輸出量は激減した。(民主化時代がどうだったかは,この本には書かれていない。)
わたしは不明にしてここに書かれている事実をほとんど知らず,目から鱗が落ちたような気がする。あえて注文をつければ,もう少し数値的な裏付けが欲しいが,イネの栽培にあたって収穫物に至るまで生産者(農民)に関与させ,生産過程からの疎外をなくそうとする著者の主張に全面的に賛成する。