羽花山人日記

徒然なるままに

花を奉る 三度

2023-03-10 20:17:45 | 日記

花を奉る 三度

明日で東日本大地震から12年が経つ。いまだに傷は癒えず,汚染水の海洋放出が,特に地元漁民に新たな重みを負わせようとしている。

以前訪れた山古志で,なにができるかと地元の人に問うたら,「忘れないで欲しい」と答えが帰ってきた。

自然あるいは人為による多くの災厄が人々を痛め,悩ませた事実を,87年間の人生で,わたしはこの目で見てきた。

生き永らえたことへの感謝と,犠牲になられた,あるいはなっておられる方々への思いを,今年もまた,石牟礼道子さんの詩に託したい。

花を奉る 石牟礼道子

春風萌すといえども われら人類の劫塵いまや累なりて 三界いわん方なく昏し

まなこを沈めてわずかに日々を忍ぶになにに誘わるるにや

虚空はるかに一連の花 まさに咲かんとするを聴く

ひとひらの花弁彼方に身じろぐをまぼろしのごとく視れば

常世なる仄明かりを花その懐に抱けり

常世の仄明かりとは あかつきの蓮沼にゆるる蕾のごとくして 世々の悲願をあらわせり

かの一輪を拝受して 寄る辺なき今日の魂に奉らんとす

花や何 ひとそれぞれの 涙のしずくに現れて咲きいずるなり

花やまた何 亡き人を偲ぶよすがを探さんとするに 声に出せぬ胸底の想いあり

それをとりて花となし み灯りにせんとや願う

灯らんとして消ゆる言の葉といえども

いずれ冥途の風の中にて おのおの行くときの花あかりなるを

この世のえにしともいい無縁ともいう

その境界にありて ただ夢のごとくなるも花

かえりみればまなうらにある御形 かりそめの姿なれども おろそかならず

ゆえにわれら この空しきを礼拝す

然して空しとは云わず 現世はいよいよ地獄とやいわん 虚無とやいわん

ただ滅亡の世せまるを待つのみか

ここにおいて われらなお 地上にひらく一輪の花の力を念じて合掌す

2011年4月 大震災の翌月に

 

STOP WAR!

コメント (3)
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