車があるうちの見納めにと,10キロほど離れた町営の予科練平和記念を訪れた。残念なことにコロナ自粛の閉館中で,中に入ることはできなかった。
阿見町は戦時中,霞ヶ浦航空隊本部が置かれ,そこに海軍飛行予科練習部(予科練)が横須賀市から1939年に移設された。そして終戦まで,全国の予科練訓練の中心的役割を担うことになった。古関裕而作曲の『若鷲の歌』には,「今日モ飛ブ飛ブ霞ヶ浦ニャ,デッカイ希望の雲ガ湧ク」の歌詞がある。
この記念館には,全国少年のあこがれであった予科練生の入隊,訓練,学習,生活の模様が土門拳氏撮影の写真とともに展示され,多くの特攻隊員を送り出した歴史を見ることができる。その時代を具体的に教えてくれる,貴重な空間である。
記念館には「ゼロ戦」と特殊潜航艇「回天」の実物大模型が展示されているが,残念ながらゼロ戦の方は格納されていて見ることができなかった。
予科練と記念館の文字に挟まれた「平和」に町民の願いが篭められている。
記念館に隣接する自衛隊武器学校の敷地に,雄翔館という建物があって,特攻隊員他戦没者の遺品と遺書,約1700点が展示されている。特に,遺書の方は涙なしには読むことができない。わたしが共通して感じるのは,自分の死を納得させる家族への愛である。
再開されたら,何とかしてもう一回訪ねたい。