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祈る作家の言葉

2011年03月22日 | 雑記帳
 仙台在住の作家伊集院静が週刊誌に文章を寄せている。8ページにもわたって、地震発生から一週間ほどのことを書いている。

 この時期、ペンを持つ人たちがどんな発言をするか、少し興味があり、多少の切抜きを始めた。今読んでどうということはないが、読み直す時期がやってくるように思っている。

 避難所では技術を持った方が重宝され、貴重な働きをしているし、ボランティアとしても有効な場面が多い。
 では、作家なら何をすべきか、と考えたとき、ペンを持つ余裕があるならばそれで発信してみせることこそ大事と思う。

 その日の夜半から「仕事場に入り、ローソクの下で午後から起こったことを簡単でもいいから記しておくことにする」と動いた作家は、かなり詳細に自分の身の周りで起きたこと、見聞きした情報について思ったことを綴った。

 それはやはり、自分の内部に蓄積された情報によって「動き」が見つめられ、この非常時に起きる様々な事象に疑問を投げかけたり、感心したりする内容となっている。
 作家だからと言って何か劇的な感じ方や動きをしたわけではないが、自分の感性を書き留めるプロは違うなあと感じた。

 その夜、カップ麺を食したあとに庭に出た作家はこう記している

 空を見上げると、驚くほど星があざやかである。
 ――何だ?この異様なあざやかさは…。
 空を見上げながら、いったい何人の人がこの星空を見ているのだろうかと思う。


 そういえばその夜、自分も玄関から外に出て月を見ていた。
 下弦の細い月がこんなにも明るかったとは…と感心してシャッターをきったが、うまくは撮れなかった。停電がもたらした人の世の闇を、こんなにも明るく照らす自然もあることを久しぶりに知ったのだった。

 震災によってえぐられる人の心の醜さも指摘しながら、同時に人々の逞しい生命力を信ずる作家の次の言葉に励まされる。

 希望の光というものは万人に同じかたちで差すものではないが、それでもいつかは誰にも差すものだ。

 具体的な支援とともに、祈りの言葉の力も大きい。 

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