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「すいか泥棒」無き時代に

2017年07月27日 | 雑記帳
 用事があって車で出かけFMを聴いていたら、今日が「すいかの日」らしくそんな話題になっていた。

 そこで流された曲が、なっなんと

 「レッツ すいかどろぼう」(by Crystal Key)

 「なんて歌だ!」と思わず小峠のように言ってしまいたくなるが、ユーモラスを越えて、なるほどと納得したくなる部分もあるではないか。
 多くの大人(まあ50歳以上かなあ)は「すいか泥棒」と聞いて、なんとなく「許せる」というイメージを抱いてしまうのではないか。

 もちろん、それは「良き時代」へのノスタルジックな感情と言っていいだろう。
 すいかを盗られた方は当然怒るが、周囲はそれを大目に見てくれているような寛容さがあったように思う。
 「すいか」という、ごろっと畑で寝ているような作物、そして両手で持てる大きさ、ほどよい甘さ、みずみずしさ…の持つ雰囲気が、その感情を助長しているのかもしれない。

 今「すいか泥棒」と聞けば、どこかの倉庫からごっそりとブランド西瓜が盗まれる事件をイメージしてしまう。それが時代認識というものだろうが…。



 ふと思い出したのは、M小学校に勤めていた時のこと。夏休みに入る直前だったか。

 学校に電話があり、ある高学年の男児が帰り道にすいかを盗っていったという連絡があった。
 翌日、問い質すと、一緒に帰った低学年の妹があまりの暑さに、すいかを指さし「食べたい」とつぶやいたという。それで、心優しき兄はつい…。

 その後の詳しい顛末は忘れたが、苦笑と叱責で簡単に済まされた時代だったはずだ。


 そんなことを思い出しながら、家に帰って「レッツ すいかどろぼう」の歌詞を検索してみた。

 J-Lyric歌詞  

 改めて聴くと、「遠い昔の人々からの ことづけ「ことわり」って、いったい何だろうと考えてしまう。

 「すいかどろぼう」がいなくなった時代が、いや人々が失った何かを指していることは間違いない。

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