すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

自由問答・弐

2017年02月18日 | 雑記帳
 「先生、ジユウってないんですか」「ジユウはいつからですか」…小学校教師であれば、水泳やスキーなどの授業時に子どもからそう質問された経験を持っている人は結構いるはずだ。私の返答パターンは、スキーであれば「なにぃ、君はいつも言われた通り滑らず、ジユウではないのか」と笑顔をつくることだった。



 言うまでもなく子どもの「ジユウ」とは、教師の後について滑ったり、指示された滑り方で細切れに止まったりせず、広いゲレンデを思う存分、勝手に滑りたいことである。「遊び」と言ってもいい。スキーの上達は指導者に従ってプログラムに沿えば確実だが、ある程度進めば、確かに「遊びたい」と思うのが自然だ。


 それは「スキーを楽しみたい」ということである。考えるとその気持ちを抱いた段階で、スキー指導の半分のねらいは達成したようなものだ。ジユウに滑って楽しいと感じれば、もうそれでいいのでは…。ただし技術レベルが低いままでは、制限された斜面を身体感覚を意識しながら、という「体育」は実現できない。


 ある時、子どもは気づく。「あんなふうに格好よく滑りたい」「あの急坂を転ばす降りたい」…指導者や上手なスキーヤーの姿がモデルになり、ジユウの意味が少し深くなってくる。それは「自在」という言葉に置き換えられるかもしれない。「ジザイに滑られるよう練習したい」そんなふうに決意するのは少し先になる。

コメントを投稿