すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

劣化を憂いて逝った人

2021年04月12日 | 読書
 筆者の単著は読んでいない。しかし、様々な媒体でエッセイ等を目にしていて、自分より少し若いが、凄い知識だなあと一つの憧れを抱いていた。昨年急逝したときは驚いた。帯にあるように「稀代の時代観察者」という形容がぴったりだ。平成27年から令和2年冒頭までという区切りは偶然とはいえ出来過ぎている。


『最後の人声天語』(坪内祐三 文春新書)

 
 このコラム集の内容は、出版物関係や街の様子、それから大相撲、野球、映画等が中心になっている。都会在住者でなければピンとこない文章もあるが、同時代感覚はある程度共有できる。特に大相撲をめぐる話題は、続けざまに「事件」が起きていた頃で、それらの背景がくっきり浮かび上がってくるようだった。


 予言めいた書きぶりをしたいくつかの箇所が印象深い。2016年の10月号は、リオ五輪の頃に書かれていて、当時様々なものの「終わり」に思いを馳せていた筆者は、こう結んでいる。「だが果たして四年後、新しい時代に日本で五輪が開かれるのだろうか。私はリアリティを持ってその姿を想像することが出来ない。


 自身の死を想ったわけではないが、死後に新型コロナウィルスの感染拡大による五輪延期は見事に符合した。ただ、著者がそのように感じたのは、平成から令和へ向かう時期に、私たちが直面している膿のような様々な出来事ゆえではないだろうか。五輪でいえば、それに関わる不祥事は絶えず続いてきたではないか。


 約5年の「最後の」コラムで語られた核心を、読者の一人として受け止めれば、それは「人の劣化」に尽きる。それが取り上げられた政治の劣化、街並みの劣化、映像文化や社会運動の劣化の正体であろう。著者の大好きだった大相撲は、波乱に次ぐ波乱、力士の劣化も…。今生きていたら、どんな批評をするだろうか。