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桜と絵本と豆乳と

一事が万事ではあり…

2020年11月02日 | 雑記帳
 あきれるほどの物忘れだ。5月に読んだ森絵都の『できない相談』(筑摩書房)をまた借りてしまった。それでもこの一冊は短編集なので、寝室読書にはもってこいだ。前回は落語の小咄集のようだと書いたが、読み直して想ったのは、帯にある「日常の小さな抵抗の物語」から派生する「一事が万事」という慣用句だ。


 「東京ドームの片隅で」で描かれる恋人の見通しの利く動き、お嬢様の「破局の理由は…」で語られるあるナンバーへのイメージ、「羊たちの憂鬱」での女友達同士の固有の口癖…「一点だけ見れば知れてしまう全体」は題材になりやすいか。これは自分の日常にも…。広言できないがいい加減な一事をいつも嫌悪する。



 最近ある集まりで、近くに座った人の靴下の裏が見え、そこに小さな穴が開いているのが目に入った。面識のない方だったが、なんとなく性格や人柄をそこで決めてしまっている自分に気づく。単に身に着けるものには無頓着、いやたまたまそうだったかもしれないのに、勝手に思い込んで、慣用句を適用している


 ところが同じ席で、数時間後ある重大なことに気づく。自分の靴下も穴は開かずとも、ほつれた繊維がだらしなく伸びているではないか。しかも二か所。切る道具もなく、そのままにするしかない。これを近くの人が見たらどう思うのか…。「一事が万事」かあ。ああこれは「人のふり見て我がふり直せ」ではないか。


 ここでもう一度本に戻る。やはり「piece of resistance」さえ持っていれば、諺ごときに振り回されることはないと思い直せる。もともとあまりいい意味ではなかった「こだわり」が、「価値の追求」という面の強調になったように、一つでも二つでも石のような意志を持っていれば、些末な一事など目に入らぬものだ。