すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

という言い方のゴマカシ

2020年04月17日 | 雑記帳
 町の健診が中止になり、ブックスタート(乳児に絵本等を贈る事業)ができなかったので、直接自宅へ届けることにした。町内を車で回っている間につけていたラジオでユーミンの番組が流れてきた。日中に聴く習慣はないので、どこか新鮮に思える。ほとんど現在の感染症拡大に伴う日常が話題のベースになっていた。


 町内を廻り続けたら80Kmを超えていた。いい天気。

 その中で今年還暦を迎えたというある女性の投書の言葉に少しひっかかりを覚えた…「選ばれなかった人生」。今、感染症のことで皆不安が募り、自分の来し方に思いをはせる人は多いだろう。「あの時、ああすれば…」「こちらの道を選んだら、私は…」と想像した方も多いかもしれない。そんな思いで使われたと想う。


 詩的なフレーズであり、状況に照らし合わせれば想像できる。しかしまたそれは、あり得ない話なのだと承知しているだろう。それでも浮かぶのは性(さが)なのか。いや、「人生とは選択の連続でできている」とはわが師の言だが、そういう覚悟がないから「選ばれなかった」などと他人事な表現となるのではないか。


 そこにはもう一つ、人間は変わらない存在であると考えがちな性向も見てとれる。「癒し」という言い方がよく使われる。これはかなり以前から重宝された語だ。今日もラジオでパーソナリティが、「こんな時代だからこそ、○○で癒しながら…」と語っていた。そうそうと頷きながら聴けばいいのだが…。少し気にかかる。


 自分も「孫の笑顔に癒されて」と使いがちだ。しかしよく考えると、これは「変わらない自分」へ戻るための息抜きのようなイメージがつきまとう。実は人間とは身体成分さえ日々変わるものであり、脳でごまかしているだけだ。確かに取り戻したい日常はあるが、今の日々でも人間は常に選び続け、変わり続けている。